第五章 テスト編
第20話 赤面
「眩しい……」
教室の窓から差す朝日が強く、思わず目を細める。
山田さんの正体を知った翌日。なんとかベットから身体を起こして登校したものの、全く眠れなかった俺の目に太陽の日差しは厳しい。
一晩中、山田さんの正体が頭の中でぐるぐると回り続けるせいで一睡も出来なかった。だけど、未だに全く眠気は襲ってこない。
教室には、まだ山田さんは来ておらず、隣は空いたままだ。手に顎を乗せながらそっと空席の隣を見る。
山田さんの言ったことが事実であるなら、彼女の正体はシャートンであるらしい。未だに実感は湧かないけれど。
一体どんな確率だというのか。自分の知り合いが今一番流行りに乗ってる有名な歌手なんて、そんなことあり得るはずがない。
だけど山田さんがそんな嘘をつく理由もないし、何より別れ際のあの焦り様は初めて見た。
挙動不審に去って行ったことからも、多分事実ではあるのだろう。いや、本当に?
言葉としては理解しても、まったく心が追いつかない。落ち着かないし、こっちが挙動不審になりそうだ。
普段なら落ち着くためにシャートンの曲を聴くのだけど、今回に限っていえばそれは使えないし、昨日から微妙な緊張と底の抜けたような不安定な浮遊感がずっと抜けてくれない。
一体どんな顔をして会えばいいんだ。誰か教えてくれ……。
くるくるとペン回しをしながら、適当にスマホを眺める。ネットを探しても、もちろんこんな状況の対応の仕方は見つからない。最強の万能先生でもだめなんて……。
なんとか気を紛らわせながら、適当な記事を読んでいると、隣の椅子が引かれる音がした。思わず身体が跳ねる。
「……っ」
揺れる黒髪。特徴的な黒縁のレンズが光るのが横目に見えた。山田さんだ。……何か言ってくるだろうか?
生唾を飲み込み、言葉を待つ。なんとなく自分でも分からないけれど、山田さんが来ているなんて気付いていない風を装う。
気を落ち着けるため、くるくるとペンを何度も回していると、滑って落ちてしまった。勢いよく、山田さんの足元に転がり滑る。
しまった……。
「……落ちたけど」
「あ、ありがとう」
俺のペンを拾い上げた山田さんがこちらを向いた。細い指先にペンが摘まれ、こちらの掌に置かれる。
「気をつけて」
視線が一瞬交わった。けれどすぐに山田さんは正面を向いて、1時間目の用意をし始めた。何事もなく、いつものように。
(え? あれ?)
昨日のことに触れることもなく、かといって特に変な様子もなく。思わず昨日の出来事は幻だったかのような気がしてしまう。
夢……じゃないよな?
隣で山田さんは淡々とノートに何かを書いている。いつものように予習だろう。あまりにいつも通り過ぎる。
いや、昨日のは? え、山田さん?
昨日のことを気にしていた俺が馬鹿みたいだ。なんだ、これ。はてなマークが頭の中にいくつも浮かぶ。
想定していた流れと全然違うんだけど。これからどうすればいいんだ?
分からないまま、とりあえず自分も勉強の用意を始める。期末テストがもう間もなくだし、やらないわけにはいかない。
山田さんの姿を真似ている訳ではないけれど、並んで同じように勉強していると不意に声が飛んできた。
「あ、潤」
呼ばれた声の方を向くと、市川が寄ってきていた。机を挟んで真向かいに立つ。
「うわ、凄い隈じゃん」
「昨日、ちょっと寝れなくてね」
「なに、テスト勉強?」
「まあ、そんな感じ」
テスト勉強で寝不足ならどれだけ良かったか。
「それで何か用事?」
「あ、そうだった。シャートンの新曲最近出たみたいで、昨日聞いたんだよ」
「お、どうだった?」
まじか。市川も聞いてくれたらしい。自分が好きなものが人に広まるのはやっぱり嬉しいものだ。
「今回もめっちゃいい曲だった。個人的には前の曲より好きだわ」
「おー! やっぱり? 俺も今回の曲すっごい気に入ってるんだよね!」
「お、おう。相変わらず凄い食いつきだな」
ちょっとだけ引き攣った表情が市川の顔に浮かぶ。まあ、もう見慣れたけど。
「好きなアーティストを褒められて、喜ばないファンがいるわけないでしょ」
「いや、それにしても喜びすぎ」
「まあ、流行る前から追ってるからね。知り合いが気に入ってくれるのは普通に嬉しいからさ」
「今回の曲、聴いて結構ハマってさ。おすすめの曲あったら教えてくれよ」
「今まで何度も勧めてきたんだけど?」
「いや、それは、ほら、ちょっと右耳から左耳に流れてたというか。な?」
「何が、な? だよ。ったく」
聞き流されてるのは元から分かっていた。そのことに別に腹は立ってないし、むしろ興味を持ってくれたことの嬉しさの方が大きい。
とりあえず、自分のお気に入りの曲を何曲か教える。
「いやー、それにしてもとうとう市川までシャートンにハマるなんてね。やっぱりシャートンの才能は恐ろしいね」
「まあ、いい曲だからな」
「常々思ってたんだよね。シャートンは天才だって。あんな千差万別の曲を作れてしかも全部いい曲とか、みんな気に入らないわけがないんだよ。もうほんとシャートンって神だと思うわ」
「それは大袈裟すぎないか?」
「いやいや。むしろ謙虚なくらいよ。本当は重要無形文化財に全曲登録してほしいくらいだし」
シャートンが作る曲はもう褒めるところしかない。知り合いが気に入ってくれたことが嬉しくてついつい饒舌になってしまう。うん、何か、忘れてるような……。
「とにかく、一回は全曲聴いてよ。どれもいい曲だから」
「ほんと、潤ってシャートン好きだよな」
「まあね。超好き。大好きに決まってる」
「満面の笑みかよ。とにかく勧めてくれたやつは聞いてみるわ」
市川はスマホにメモした曲名に目を通す。とりあえず熱く語っておいたし、勧めたものは聞いてくれるだろう。ふふふ、これで気に入ってくれれば、市川もシャートンの沼に……。
にやけそうになるのを抑えていたところで、はたと気がついた。
あ……。完全に山田さんの存在を忘れていた。
そっと隣の山田さんを見る。さっきまでずっと動いていた右手は止まり、薄ら耳が赤くなっているのが目に映った。
さらには、山田さんの視線がこっちを向いていて、レンズの奥の瞳と目が合う。
きゅっと唇が引き結ばれる。パシッと軽いパンチが肩に飛んできた。
「ねえ、ちょっと……!」
市川に聞こえないように俺に顔を寄せてくる。桜色に染まった頰が見え、ふわりとフローラルな香りが鼻腔を擽る。
「分かっててやってるでしょ。本人の前でベタ褒めするとかやめて。……流石に恥ずかしいから」
目を伏せてぽつりと呟く。耳たぶが髪の間から茜色に染まって見え、山田さんの恥じらい具合を告げていた。
「え、あ、いや……」
思わず山田さんから目を逸らして、正面を向く。すると、にやにやしながらこっちを見ている市川と目が合った。
まずい。絶対勘違いしてるやつだ。ひそひそと山田さんと二人で内緒話をしている。それもあの山田さんが微妙に恥ずかしそうにしている姿で。
変な勘違いをされたとしてもおかしくない。
「……なに?」
「んー? 何でもないよ」
とりあえず市川を睨んでみるものの、市川はにやけ顔を隠そうともしない。声まで楽しそうで少し腹が立つ。
市川を威圧して黙らせていると、またくいっと隣から袖を軽く引かれる。
「……とにかく、私のことで話があるから、今日放課後屋上に来て」
「……分かった」
上目遣いにのぞく山田さんは未だに頰が赤い。こくこくと頷くとやっと身体を離して自分の席に戻る。
や、やってしまった。やっぱり昨日の出来事は夢じゃなかったみたいだ。あの照れ具合は間違いない。あんな顔が赤い山田さんは初めて見た。
恥ずかしいのは分かるけど、本人の前でベタ褒めはやめろと言われても、好きなものを嫌いとは言えないし、言いたくない。
かと言って本人にやめろと言われてることを続けるわけにもいかないし。あと、普通にベタ褒めするのは距離が近づいていく気がする。
あれ? 詰んでる?
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