第3話 海を渡る

 夜の暗闇に焦点をあわせると、向こう側に開けた情景があるような気がした。僕の理解できる科学的知識の範疇では、そんな情景は見えるはずがない。でも、世界は広く、僕はまだ十分に少年だった。自分にだけは見えて欲しいと願ったのだ。

 だから僕は今日も布団にもぐりこむ。ある点を見つめ、意識を集中する。まぶたをこらえる。そして見えてきたのはお決まりの奇怪な図形だった。暗闇を凝視したときの、光であるはずのない光点が無造作に走る現象、目が疲れているだけなのだ。僕はでも、その向こうを期待し、希求した。乾いた眼球を代償に、今日と違う明日が現れることを願う。そしてそのうち、布団のぬくもりに誘われて眠った。

 そうやって僕は、十八、十九の少なくとも二年間を過ごした。

意味があったのだろうか。

 「意味なんてないさ。」断定、そして畳み掛ける。「便宜的な考え方に慣れる、そういった意味においては、意味があったかもしれないけどね。」

「便宜的…?」

「…。」無言。思考が多重的に錯綜している。集中する、見極める、捉えるべき点は…。

「本質的ではないってこと?」

「その通りだよ、本質的ではない。君はよく分かっているじゃないか。…そう、君はよく分かっているんだ、君の過ごしてきた時間に本質的な結果はない。君が前に進んでいたとするならその動力として、もしくは前から迫り来る何ものかがあったとすればそれに対抗しうる意力として、君はエネルギーを消費してきた。目標を挿げ替え、目的と手段を転換し、あらゆる可能性をシュミレーションしながら自分の心棒を守り続けた。しかしながら、いや、だからこそというべきだろう。本質的に君は何も変わっていないし、成長してもいない。二年間かけて自分の外殻を塗り固めたのさ。だからって…」

「僕は強くなりたかったんだ。どんな辛さも、どんな苦しさも、どんな憤りも、どんな悲しみも、あと…、よく分からないけど、与えられた環境とか、降ってくる火の粉とか、そんなもの気にならないくらい強くなりたかったんだ。だから…、」

消滅、僕の声はもう響かない。

「…だからって、悲観することじゃない、君は強くなったんだ。二年間頑張ったじゃないか。山があれば切り崩し、谷があれば埋め立て、とにかく前に進んだ。君は君であり続けるために最大限の努力を惜しまなかった。それが便宜的であったにせよ、本質的でなかったにせよだ。そして君はとにかくここにたどり着いた。君の本質的な希求が何であれ、今君はここに立っている…。」目の前に白く濃密なもやが広がっている。目を凝らす。ミルク色の視界は、明日の僕をどこにも導かない。

そうやって僕は海を渡った。


 大学四年生を僕は二十二歳で迎えた。その年は、とにかくさえなかった。

初夏が過ぎ去り、惰眠を貪るのに丁度良いとは言い難い陽気となった。その夏、数回目の夏日であった。

 僕はいつものように一講目から講義に出席し、一講目から居眠りをしていた。どうせ居眠りするならアパートで寝ていたほうがゆっくり体を休められるのだが、自ら希望して入学した大学に対して、講義に出席することは最低限の礼儀に思えた。だから睡眠の過不足にかかわらず、体調の好不調にかかわらず、講義には必ず出席した。ありがたいことに、大学四年間を通じて二日酔い以上に重篤な症状に陥ったためしがない、僕はそんな丈夫な体を所有していた。だから僕の出席率はかなりのハイポイントであった。

 しかし如何に体が丈夫とはいえ、夏日の、若者の充満した教室は不快の底に没していた。札幌の老朽化した大学の校舎には、もちろんエアーコンディショナーなど設置されていない。講義が進むにつれて、時計の針は悪魔のように緩慢な進度となり、コンクリートの壁の外では、太陽が天頂を目指しながら居丈高と自慢の熱を放出していた。光線が強まり気温は上昇し、惰眠をすら貪れないほどの暑気が僕らを襲う。僕は汗ばむ額をTシャツの袖で拭いながら、むっくりと頭を上げた。

 若い経済学の講師が、黒板に向かって意味不明な図形を描きながら、大声を張り上げていた。死なないためには生きていなくてはならない、そんな人生観を背負わされたような、そして生命感のあらかた欠如したような相貌、長身だけが取り柄のようなひょろ長い体躯、彼は白い長そでのワイシャツを肘下までまくりあげ、チノパンを緩めに履きこなしていた。きっと彼の腹囲は、筋肉もなく締まりもなく、決定的にひょろ長いのだろう。チノパンは定期的にずり落ち、ずり落ちるたびに彼は、何度も何度も引っ張り上げていた。それでやっと自我同一性を保っているようだった。

 「表象された具体的なものから、ますますより希薄な抽象的なものにすすみ、ついには、もっとも単純な諸規定にまで到達するであろう。そこからこんどは、ふたたびあともどりの旅が始まるはずであって、最後に再び人口にまで到達するであろう。だがこんど到達するのは、全体の混沌とした表象としての人口ではなく、多くの諸規定と諸関連をともなった豊かな総体としての人口である・・・」九割五分のやる気のない生徒たちの退廃が教室の中をぼそぼそと漂い、そんな空間を紆余曲折しながら講師の音声は僕の鼓膜に到達する。その振動は僕の鼓膜を震わせはするが、いかんせん、前頭葉の受態能力は皆無に等しかった。眠りから覚めたとはいえ、体の底から欲した睡眠ではなかったし、暑気の不快にあてられて、神経系を含む僕の身体機能の全てが漠然としていたからだ。僕は頬杖を突き、モンゴロイド系の薄い目をさらに半分に垂れこめながら、頑張るね、と心の口唇から、ひょろ長い講師に対して純粋な感想をこぼした。

 大学入学来、僕は様々な講義を聴講してきた。しかしその内容が決定的に有用だとは、どうしても思えないでいた。個人的な興味を惹かれる講義もあったが、ただそれも、興味の域を出るものではなく、有用性を見出すにはいたらなかった。たかが大学生が何を以て有用性を判断するのか懐疑の余地はあるが、ある講義の内容を理解することによって自分がいったい何者になれるのか、もしくはその講義内容の学術的意義は、我々の社会的営みに何を寄与することを目的としているのかが、僕には分からなかったのだ。

 例えば経済学は、ある個別具体的な事象を数限りなくサンプリングし、それらを抽象することによって理論構築の礎とする。理論構築の過程においては、網羅性を実践すべく抽象的な単語をのべつ幕なく羅列する。そればかりか、既存の単語で表現しきれない場合は、他言語を平然と借用するなり、新たな単語を造作することすらいとわない。そのようにして編纂された、読みづらく、分かりづらく、親切心のかけらも感じられない高額な書籍を、教科書と称し、清貧で貞潔な、虚勢すら張れない学生に購入することを推奨する。それが社会通念上当然であるかのように推奨する。清貧で貞潔な、虚勢すら張れない僕らは、疲れたもぐらのように古書店を巡り、他人の書込みがふんだんに記載されている同書を手に入れ、その廉価にほっと胸をなでおろす。ある学生は不幸にも、まっとうで学問的なメモが所狭しとページを汚している書籍と出会い、ある学生は幸運にも、ページの隅にささやかながらも温かい笑みを与えたもう、長大なるパラパラ漫画の掲載されている書籍と出会う。もちろんそこに価格の差はない。出会うことのない人間の所有する、比較されることのない書籍の悲喜こもごもがあるだけだ。搾取の罪悪を講義内容とする経済学の講師が、我々学生から搾取する構図があるだけだ。

 講師たちの多くは自己の理解力と表現力を駆使し、そういった単純で個別具体的な事象を抽象した、独善的で難解きわまる文章を解説するための、抽象された観念の具体的事例を僕ら学生達に提示していた。学問を成立させるためのロジックを学ぶには、重要な就学的ドリル作業だとは思える。また、そういった作業を通して我々は細分と統合の手法を習得していくのだとも思える。しかしそれが僕にとって有用なものなのだろうか。じゃが芋や人参や玉ねぎやセロリやその他雑多な野菜を大鍋に投入し、ぐつぐつ煮溶かしたスープを差し出され、栄養があるから飲めと言われる。しかしひどくまずい。コックは言う、じゃが芋はでん粉質のエネルギー豊富な食材で、かつ熱に強いビタミンCを多く含有している、また、人参は云々…。だからといってそのスープを飲まなくてはならないのだろうか。僕はじゃが芋の組成を分からずとも、その形状も味も知っている。そして人類が脈々と食べ続けてきたことも知っている。ヨーロッパを飢餓から救い、高地アンデスの重要なエネルギー源であったことも知っている。何より、そんなにまずいスープに仕立てなくとも、茹でて塩をふればそれだけでうまく、体に沁み亘る滋養を感じ取れる。講師諸君よ、あなた方は滋味深いじゃが芋の思い出を、どこに置き忘れてきたのだ。体も心も満たされたはずの思い出だ。人類のその奥底から感じるはずの生命だ。

 徒然と、そんなことを思い流しながら講義を眺める。頑張るね、とまた無言のエールを、それこそ心の底からの純粋なエールを講師に投げる。皮肉や嘲笑や憐憫ではない。純粋に心の底から湧く何ものかだ。しかしその何ものかはとらえられるべきでなく、だからこそ僕らは憎み合わなくてもすむのかもしれない。

 なぜか。

 諸悪の根源は僕の側にあった、僕の無目的に。

 僕は大学を嫌悪していない。大学と僕とでは向いている方向が異なるという納得が、奇妙に心地よくしみていた。

 …例えば修学旅行。仲の良くも悪くもないクラスメイトとバスの席が隣同士になる。何かのきっかけで会話が始まる。昨日のテレビ番組や週刊の漫画雑誌やテレビゲーム、もしくは勉強、受験…。始まりにはあらゆる可能性がある。しかし、ひとしきりの話題が終了してしまったならば、後に残るのは沈黙の砂漠だ。冷戦からの講和のしずく、その源泉すら吸収するような沈黙の砂漠。無限に広がる不可能性の漆黒…。

たかだか学生の僕にしたって、経験からにじみ出る苦い良心のようなものはある。良心は、経験が増えるだけ、時が過ぎゆくだけ、にじみが少なくなる一方、苦みが凝縮されるような気がする。

 だから、時が癒してくれないもの、あるいは時の分だけ増殖するもの、それは僕の苛立ちなのかもしれない。その矛先が、大学やそれを含む社会全般ではなく僕自身の無目的であるために、僕は八方をふさがれ、沈黙の砂漠で不可能性の漆黒に含まれる。そして僕は、いつもそこで力尽きている。力尽きた僕は、過去にはじっとバスの車窓を、あるいは車窓に映る僕自身や、ボク自身の瞳や、その瞳に映る僕自身を眺め続けたりもしていたし、今は講堂で、頬杖を突き、瞳を半分に垂れこめ、無言のエールを送ったりする。だから、僕らが憎しみ合わずに存在していることは光明なのだと思う。それを個の尊厳と認識しているととらえれば格好良いのかもしれないが、実際はただ本当に、講師が自分の職務を全うしている状況をとらえ、僕は講師を肯定すべきと思ったのだ。それを言葉にしたら「頑張るね。」だったのだ。自分を棚上げして…。


 札幌には珍しく、遠くで蝉が鳴くのを聞いた。時計の長針は、悪魔のごとき緩慢さをもって最後の一分に押し留まっている。しかしそんな長針も、退廃しきった生徒たちを一瞥にらむと、力なく12の文字を指し、その瞳を閉じた。校舎に講義終了のチャイムが響く。そして突然講師が言った。ハイ、前期の講義は今日でお終まい、試験まで時間が空くので、よく復習しておいてください、と。

 ぼそぼそと漂っていた退廃は一息に晴れ渡り、教室に閉じ込められていたエネルギーが夏の光のもとへはじけ飛んだ。瞬く間に教室は空になり、心なしか乾いた風が窓から窓へ吹き抜けるているように感じた。若者の人いきれが根こそぎ剥ぎ取られた結果なのかもしれない、あるいは、習慣的にそう感じただけなのかもしれない。乾いた風の後に、ほんの三名だけが、教室の大きな空間に取り残されていた。

 ひとりの学生は、とにかく勉強が好きなのだろう、講師と会話していた。講義の内容について議論しているのかもしれないし、学術的な世間話をしているのかもしれない。

 もうひとりの学生は、なぜそれほど眠れるのだろう、いまだに机に突っ伏して、死んでしまった人間のようにひっそりとしていた。醒めたくない夢を見ているのかもしれない。

 そして残るは僕、それで終わり。

 がらんどうの教室の向こうの果ての窓をじっと眺め、考えをまとめようとする。-前期の講義は今日でおしまい、そう、これからは夏休み…、今更「優」を取れるはずはない。単位を取得できる程度の勉強はしなくてはならないだろうが、まだ先の話だ。講義はない、時間はある、何をして過ごすべきか。就職活動を機にアルバイトはすべてやめてしまったし、田舎へ帰省する気はサラサラなかった。毎日飲み歩けるほどの財力もなければ、連れ立つ友人だって限られていた。時間だけが、無尽蔵に広がる原野の如くどこまでも間延びしていた。結論、僕は今まとめなくてはならないほどの考えを有していない。だがとにかく立ち上がろう。自分の二本の足で立ち上がろう。教室を出、学食へ行き、昼食を食べよう。僕はそれだけを決断して、本当に、現実的に立ち上がった。

 しかしその夜僕は、どこまでも間延びした原野に降り立つ第一歩目のしるしとして、なけなしの財力をふり絞り、限られた友人とともに、街に繰り出したのだった。

 

 限られた友人とは、サークル活動の仲間だった。

 僕はバトミントンのサークル活動のようなものをしていたのだが、そもそもの事の始まりは、大学入学時まで遡る。僕は体育の学科でバトミントンを選択し、そこで、二人の人間(友人Aと友人B)と接点を持つことになった。彼らと僕の息が投合されるまでにはそれからまた幾許かの時間を要したが、三人の接点となった共通項は、過去に部活動としてバトミントンに取り組んでいたこと、学校の体育以外での運動を所望していたことだった。僕は、悶々とした浪人生活のおかげで、大学入学時の身体検査ではひどい成績をたたき出した。十九才にして生活習慣病の危険があると診断された。だから僕は生活習慣病の予防に運動をしたかったし、また、友人Aは根っからの労働者で体を動かすこと自体を好んでいた。友人Bは彼女を獲得するためには見た目が重要だと、体型維持に熱意を注いでいたようだった。そして、バトミントンの腕前が、おおよそ同程度だったことも近寄り易い要因だったのだと思う。僕らは体育の授業以外でも何度か顔を合わせ、学科以外でバトミントンを行える場所を探索しだした。安直なのは大学の部活動に所属することだったが、僕らは競技としてのバトミントンに魅力を見出していたわけではないので、まずその可能性を排除した。次いで議題にのぼったのは、学内に存在する既存のバトミントンサークルに所属することだった。これはそれなりに有用性があると判断され、三人で何度か、そしていくつかの団体を見学した。しかし友人Bの意見はすべて否だった。組織だった運営に嫌悪を抱き、その組織の組成に組み入れられた上下関係に悪寒が走り、そんなチンケな権威に媚を売る(ように見える)女の子に粟だち、その女の子を取り巻くアリンコのような一般男性に悲しみを覚えるということだった。格好の良い理屈にも聞こえたが、おそらく、好みの女子を上級生にとられることを懸念して、もしくはそれに嫉妬して、率直に言えばただただ我慢ならなくての発言なのだと思われた。

 僕らはそれほど火急にバトミントンをしたいわけではなかったので、既存のサークルに所属することはやめにした。一方僕は、大学構内をジョギングすることで、一定の運動量を確保し、生活習慣病予防に効果が期待できそうだったので、急いてバトミントンに熱を入れることもなかった。それでも体育の授業で会うごとに、AとBと、バトミントン活動について話し合うことは続いた。それは場所を移して居酒屋での話し合いになることもあり、また、三人のうちの誰かの部屋になることもあり、そうやって僕らの続柄は徐々に明確化されていった。四月が過ぎ五月が過ぎ六月が終わろうとする頃、僕たちは友達になり、それと時を同じくしてAが、区の体育館でバトミントンを行える環境があることを突き止めた。家庭教師のバイトで教え子に聞いたらしい。

 札幌市の区の体育館では、月曜日から金曜日までの六時から九時を、競技毎にフロアを区切って一般に開放しており、毎週水曜日がバトミントンの割り当てだった。僕らは早速、区の体育館を訪れた。そしてそこで、バトミントンに酔狂することになったのである。

 はじめのうちは三人ともやはり運動不足解消程度の様相だった。三人で何となく連絡を取り合って、水曜日の夜に区営体育館で落ち合う。区体育館の一般開放なので、雑多な種類の様々なグループが集い、それぞれのレベルに即したバトミントンを繰り広げていた。コートは四面張られており、集ったグループは一般社会の礼儀をわきまえ、常識の範疇で交代しながらそのコートを占有した。そんなコート上で、我々三人も見ず知らずの人たちに交じり、こじんまりとシャトルを打ち合っていた。でも毎週、「水曜日のバトミントン」が続けられ、僕らの生活にそれが定型化されていくと、ごく自然な流れで体育館での人間関係も芽生えだした。三人でバトミントンをしようとすると、ダブルスをするには一人足りないし、シングルスでは一人あぶれる。他のグループも似たり寄ったりで、人員の貸し借りをしているうちに徐々にではあるが、周囲のグループとの隔たりが希薄になってきたのだ。

 そうこうしているうちに僕らは二年生に進級し、その頃には連絡を取り合う仲間が十数人に膨れ上がった。それはごく緩やかなグループを形成した。大学生、短大生、専門学校生、高卒の社会人、皆二十才前後で、気楽な付き合いだった。それでも仲間が増えると真剣みも増すもので、その年の秋には市が運営している一般募集の大会に出場した。僕は一回戦を勝ってよしとしたが、Aは三位に入賞し、市長名義の賞状を授与されていた。喜んだAは記念写真を提案した。Bとともに僕ら三人は肩を組み、カメラの前に立った。Aは賞状の端をつまみ、見せびらかすようにひらひらとさせながら、賞金稼ぎのガンマンような顔をしていた。僕とBはその横で、やり込められた弟たちのように迷惑そうな顔をしていた。そんな若者特有の童話的な集団に、僕は身を寄せていたのだ。


 そして時を隔て、大学四年生の夏の夜。夏休みを明日に控えた若者たちは、ビールを片手に、無為な会話に花を咲かせていた。

 「だいたいな、オスってのは精子をまき散らしたいようにできてんだ。そもそもそうなんだ。太古の昔から、ヒトが人間になる前からそうなんだ。杉なんて見てみろ、人間サマの迷惑なんて考えないで、花粉をまき散らしているじゃないか。」

 Bは夏休みを目前に彼女と別れたようだった。Bは彼女がいなくなるとAと僕をよく誘うようになる、実に分かりやすい人格の持ち主であった。そして今日何杯目かのビールに手をかける。今日のピッチは過去最高かもしれない。今日のエースパイロットは間違いなくBだった。

 「まずな、杉は植物で動けないから、子孫を残すためにはとにかく花粉を大量に風に乗せて、少しでも受粉の確率を高くするしかないんだ。それが杉にとっては効率的なんだ。でも動物は違う。動物は卵子のあるところに移動して、なるべく確実に精子を送り込むことができる。確かに、送り込むこと自体は個体差がある。でもだからって、まき散らしてよい理由にはならないだろう。」

 Aは人情沙汰にはすぐ熱くなるのだが、色恋沙汰には総じて冷静だった。そのうえ農学部で種苗関連の勉強をしていたので、杉花粉についても詳しく、Bの屁理屈もそもそもはAの知識を拝借したものであった。

「長期的な展望をもって頑張るしかないんじゃないか。夏中頑張れば秋にはまた彼女ができるよ。」

と僕は慰めの言葉をかけた。僕はABに比べると主義主張が薄く、相対的に中立的な役回りになることが多かった。

「いや、夏休みには必ず間にあわす。せっかくの夏休みを、お前らと過ごして終わるのはごめんだ。」Bに慰めが必要ないことは分かっていた。過ぎたことを嘆くような人間ではないのだ。終わったことはきっぱり整理して、常に、次の進むべき未来を想定しているのがBだった。「終わったことは終わったことだし、俺を必要としない人間とは一緒にいられないことくらい俺だってきちんとわかってるんだ。でもまあ見てな、すぐに次の精子を送り込むべき卵子を探し当ててやるさ。」

 みんな分かっているのだ。でも、その全員が行動に移せるものではない。そういった点において、僕はいつもBに感嘆させられる。

「そういう問題ではないんだけどなあ…。」

 Aは苦笑し、僕らは酩酊しかけていた。

 そうやって僕の大学四年生の前期日程が終了した。間延びした原野に酔っぱらいの足跡がひとつ標され、暑く、長い夏休みが始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る