青木瞳
夕方の海
今までの私の人生は、いったい何だったんだろう。母からの厳しい教育も酷い罵声も、すべて本当の親だと信じ込んでいたから耐えられた。けれど、私を苦しめてきた母親が本当の母親じゃないだなんて。
私を施設に預けた親は、どうして私を手放したのだろう。死んだ母親よりも悪い人間だったのだろうか。私は死んだ母親より不出来な人間はこの世に存在していないと思っている。私を産んだ母親に、逆恨みの情を抱いてしまう。
もしかすると、私を産んですぐに死んでしまったかもしれないし、特別な事情があって私を育てられなかったかもしれない。だからと言って、私が死んだ母親にあんな酷い仕打ちを受けなければならない理由にはならない。
あんなに苦しむなら、産まれる前に殺してくれれば良かったのに。
陸人を連れて私は病院を出た。陸人は私に何も言わず、ただ黙って私の手をつなぎ傍にいてくれる。産まれてこれたおかげで、私は陸人に出会うことが出来た。けれど、産まれてこなければ良かったのにと思うことが多すぎて、私はこの命に感謝することが出来ない。
向かう先を迷い、私は足を止めた。
「どうする? もう少し青森を観光していく?」
陸人は私に尋ねた。観光という言葉に魅力は覚えず、私は首を横に振った。
「じゃあ海でも見に行く?」
特に思い入れのある場所でもないけど、なぜか恋しくなって私は頷いた。
「行こう」
陸人が私の手を引いて、海の方へ向かう。潮の匂いが鼻につき、けれど海は見たかった。もう夕方になっていて、夕日が海に映っていた。
「夕方の海はやっぱり綺麗だね」
「うん」
少し冷たい風が、熱を持った私の体に心地よく当たる。海岸沿いを歩いていけば、西村さんのお店がある。私は西村さんの店の方をじっと見つめた。
「行きたい?」
陸人の問い答えを私自身も知りたい。まさか自分の親と血がつながっていとは夢にも思わなかった私は、第三者として西村さんと接することが出来た。西村さんがお母さんなら良かったのに、と本気でそう思っていた。
しかし、自分が施設に預けられた子供だと知り、西村さんのような親に捨てられたのだと思うと、私の心中は穏やかではない。西村さんのような人の元に産まれたから、私はあの親に育てられてしまったのだ。
でも、なぜか心の底から憎めない。西村さんのそばにいると安心して呼吸ができる。優しい眼差しに包まれて、自分の存在を肯定されているような気分になる。それはあの人が臨床心理士だからなんだろうか。
「ねぇ、陸人」
陸人は私の方を向いて、どうしたの? と呟く。
「私、西村さんのことが好きだったの」
「僕も西村さんのこと、好きだよ」
風に靡く髪の毛を耳にかけ、私は夕日をじっと見つめる。
「でも、自分が施設に預けられた子供だって知った時、赤の他人なのに少し恨んじゃった。第三者だと思っていたから、私は西村さんをいい人だと思えていたの」
陸人は血の繋がった親に育てられた人。だから私の気持ちは理解できない。だから陸人は何も言わず、私と一緒に夕日を見ている。
「けどね、今でも私は西村さんのことが好き。不思議とあの人が恋しくなる。あの人のそばに居たくなる」
一言では表しきれない感情が、私の心で蠢く。生きている上で情は邪魔なものだと思っていた。だからどんなに苦しくても悲しくても、自分の気持ちは無視してきた。でもこの感情は、どうしても拭いきれない。苦しくて、どうすればいいのか分からない。
「私、どうすればいいのかな。西村さんとまた会いたいのに、会ってしまったら傷つけるようなことを言ってしまいそう」
陸人はジッと私を見つめる。
「どっちでもいいんじゃないかな」
優しく微笑んで陸人は私の手をギュッと握った。
「きっと西村さんは、瞳の思いをちゃんと受け止めてくれると思う。瞳が西村さんを傷つけるようなことを言っても、西村さんは嘆き悲しむ人じゃない。もし会いに行かなくても、いつかは会いに来てくれるって信じて待ってくれると思うよ」
今は現実から逃げたい。そして気持ちが落ち着いたころに、また会いに来たい。
「……うん」
私は夕日から目を逸らして、陸人を見た。
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