野村陸人
ご臨終です
「ご臨終です」
そう冷淡に呟いた医師は、瞳のお母さんの腕をそっとベッドに戻した。瞳は泣いてはいなかった。ただぼうっと遺体を見ていた。僕は瞳を傍観して、どんな言葉をかけてよいのか考えていた。
「母が大変ご迷惑をおかけしました、申し訳ございませんでした」
瞳はそう言って、医師と看護師に頭を下げる。
「最善を尽くしましたが、残念です」
そう言うと、医師は病室を出て行った。
「ではご遺体を運びますので、一度病室を出ていただいてもよろしいですか?」
看護師がそう言うと、瞳と瞳のお父さんは何も言わず病室を出た。僕も後をついて行く。
「ちょっとお話があります」
病室から出て数メートル歩いたのちに、瞳はお父さんに言った。僕は席を外そうと、瞳たちから距離を取る。
「陸人にも聞いていて欲しいの。ここに居て」
意外な瞳の言葉に、僕は驚きながらも頷いた。近くにあったベンチに二人は座り、僕はその隣のベンチに腰掛けた。
しばらくの沈黙の後、瞳は深々とお父さんに頭を下げた。
「今まで育ててくださり、ありがとうございました」
よそよそしい瞳の言葉に、お父さんの目が細くなった。
「お母さんから全部聞きました。私が血の繋がっていない子供だってことを」
――え?
僕は驚いて瞳の顔を見上げる。お父さんは表情を変えず、黙っていた。
「なのにここまで大きくしていただいて、感謝しています。本当にありがとうございました」
お父さんははぁ、とため息をついた。
「私たちの家族になったのは、君が生後三か月ぐらいの時だった」
遠い目をして、ゆっくりとお父さんは話し始める。
「妻はもともと子供が産めない体で、結婚する前から里親になって子供を育てたいと言っていた。私の稼ぎはほどほどにいいし、特別反対はしなかった」
瞳は遺体のお母さんを見ていた時の眼差しをお父さんに向けていた。
「私は仕事が忙しかったし、妻はすべてを自分でやりたがる性格だったから、私は君に対して教育というものをしたことがない」
「口すらまともに聞いたことがありません」
被せるように瞳は言った。
「……ああ。そうだ。私は君にどう接していいのか分からなかった。教育費だけちゃんと出していれば、父親になった気持ちでいた」
そうか、瞳はいつも一人ぼっちだったんだな。僕はそれ知って彼女がどうして人を信用したがらないのか、分かったような気がした。
「でも妻が君に厳しくしていたのも、気が付いていた。でもそれが正しい教育なんだと勝手に信じていた。君は常にいい子だったし、妻の教育は間違っていなかったんだと思っていた」
「本当ですか?」
瞳は俯き手を震わせながら聞いた。
「本当にあれを正しいと思っていたんですか? あんな暴言吐かれてひどい仕打ちをされることの、どこが教育なんです? 本当は正しくないって、分かっていたんじゃないですか? 解決するのが面倒くさいから放っておいただけなんじゃないですか?」
声を震わせ瞳はお父さんを睨みつける。
「恨まれても仕方ないと分かっている。私に出来ることと言えば、金を出すことぐらいだ。何か金に困ればいつでも相談してくれ。もしくは私と縁を切ってもいい。もう君を束縛したりはしない」
はぁ、と瞳はため息をついた。親に抱く呆れの感情ほど切ないものはない。
「分かりました。じゃあ奥さんのお葬式とか諸々、お願いします」
瞳は立ち上がり、もう一度お父さんに頭を下げた。
「今までありがとうございました」
歩き出す瞳を、僕は追いかけた。
「瞳、これでいいのか……? もっと話した方が」
「無駄だよ」
瞳は悲しげに笑うと、歩みを止めた。
「あの人、一回も私の名前を呼んでくれなかった。育ててくれたことに感謝は伝えられたし、もう話すことは何もないの」
瞳はきっとお父さんを試したんだろう。そしてお父さんの返事で、話しても無駄だということを悟ってしまった。
「私にはもう、家族はいないけれど、でも、大丈夫……」
綺麗な瞳の目に涙が浮かび、重力に負けてすぐに地面に落下する。
「僕がいるよ。何もできないけれど、僕がずっとそばにいるよ」
僕は病院の廊下にいるということを忘れ、瞳を抱きしめた、
「それに瞳の本当のお母さんだって見つかるかもしれないじゃないか」
人の視線を感じ、僕は瞳を胸元から離す。
「ゆっくりでいい。幸せに生きられるように、僕はずっとそばにいるよ」
瞳は何度も頷き、ありがとう、と呟いた。
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