落涙

「……え?」


 思わず漏れた声は、元教え子の顔色を曇らせる。


「どうかしたんですか?」


 そんな元教え子の声に返答する余裕は今の私にない。


「こ、この情報、嘘じゃないものね」


「ええ。正確ですよ」


 嘘だ、と私は何度も思った。もしこれが本当なら、いや本当なのだが……。


「先生、顔色が悪いです。どうしたんですか?」


 資料から目を離し、私は元教え子を見つめた。


「もしかして、知っている人だったり……?」


 私は頷いて、大粒の涙を流した。


「ちょっと、先生」


 元教え子は立ち上がり私の元に来ると、私の背中を撫でた。


「教え子だったんですか?」


 私は目元を抑えながら、首を横に振った。


「なぜそんなに泣いているのですか?」


 なんで泣いているのか、私にもよくわからない。生きていてくれて嬉しかったからなのか、私が手放したせいで親に恵まれなかったからなのか、あなたに母親になって欲しかったと言われたからなのか。


「ごめんなさい。悲しいわけじゃないの」


 元教え子の気持ちを踏みにじるわけにはいかない、と私は無理に笑顔を作った。


「じゃあどうして……?」


 私は涙を拭い、呼吸を落ち着かせる。


「生きていてくれて嬉しいだけよ」


 久しぶりに人に嘘をついた。けれど不思議と罪悪感はない。


「先生のお子さん、ちゃんと幸せそうにやっていますか?」


 施設を出た後の子供を気に掛けるなんて……。いい教師になったな、と私は自分の教え子の成長を嬉しく思った。


「ええ。人生いろいろあるけれど、たくましく生きているみたい」


 この事実を知ったら、あの子は絶望してしまわないかしら。ただそれだけが気がかりだ。


「なら良かったです。これからも健康で居てくれるといいですね」


 元教え子はファイルを閉じて戸棚に仕舞った。


「元気で居てくれるに決まっているわ。あんなに瞳の綺麗な、私の愛した人との子供なんだから」


 いつも通りニコッと笑顔を浮かべると、元教え子も私に笑顔をくれた。


「会いに行くんですか?」


 その問いに私は首を横に振る。


「あちらから尋ねてくれるのを待つわ」


「そうですか」


 彼女が実の母親が私であることを知った時、私の気持ちにこたえてくれるのだろうか。私の気持ちを届ける宅急便を、受け取ってくれるだろうか。


――分からないです、私には。


 そう言って一度は受け取りを拒否した宅急便の不在連絡票を、娘が受け取ってくれれば。


「きっと会いに来てくれますよ」


 私の心を読んだかのように、元教え子はそう言った。


「ありがとう」


 私の愛しい娘。親のエゴだと分かっているけれど、もう一度あの笑顔を見せて欲しい。


「そろそろ私、行かないと」


 元教え子の言葉で、私は現実に帰って来る。


「じゃあお暇しないとね。今日は本当にありがとう。また研究室にも遊びに来て」


「勿論です」


 そう言うと元教え子は私を出口まで送ろうとした。


「出口か分かるから、いいわよ。早く仕事してらっしゃい」


 私は笑って元教え子の肩を叩く。


「すみません」


 そう言うと元教え子は元気よく部屋を飛び出して行った。


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