西村冴

訪問

「ご馳走様でした。ほんとにお代はいいんですか……?」


 瞳ちゃんが病院に向かい、私と陸人君は店で二人きりになった。


「いいのよ~! 食べてくれて嬉しかったし」


「すみません、ありがとうございました」


 清々しい笑顔を陸人君は浮かべ、私もつられて笑った。


「瞳、大丈夫かな……」


 陸人君は荷物をまとめながら、そう呟いた。


「そうねぇ。何とも言えないわね」


 走って病院に向かう瞳ちゃんの後姿にホッとしたけれど、憎んでいる母親の死に目に立ち合い彼女はどんなことを思うのだろう。


「とにかく心配なので、僕行ってきます」


「うん。瞳ちゃんのこと、よろしくね」


 一礼して扉を開ける陸人に私は手を振った。パタン、とドアの閉まる音がして、一気に静寂が私を襲う。瞳ちゃんにあんなことを聞いてしまったことを若干後悔した。


――分からないです、私には。


 その言葉には、自分は生みの親に育てられた普通の子供だから、という意味が含まれている。分からなくて当然だ。それでも瞳ちゃんは優しい言葉を私にくれた。


 もし私があの時子供を施設に預けなければ、自分の子供といい関係を築くことが出来ていただろうか。子供を手放さなければなれなかった今の自分は、ちゃんと子供を育てることが出来る気がする。なんと恐ろしい皮肉だろうか。 


 私はエプロンを脱いで店の鍵を閉めた。店の電気を消し身支度を整えると、私は時計をちらっと見た。現在時刻は十一時、これからお昼時だ。もし迷惑なら出直そう。私は娘を預けた施設に訪問すると決め、店を後にした。


「先生、お久しぶりです」


 私を先生と呼ぶのは、施設に勤める私の大学の元教え子だった。


「元気にしてた?」


「お陰様で。先生は今も大学に居るんですか?」


「うん。ずっと研究三昧よ」


 来客用の部屋を通してくれた元教え子は、私にお茶を出してくれた。


「もし忙しかったらまた出直すけど、大丈夫?」


「大丈夫ですよ。それでお話ってなんでしょう?」


 私の対面に腰掛け、元教え子は聞いた。


「ありがとう。もし規定でダメと決まっているなら答えなくても大丈夫なんだけど、昔自分の子をここに預けたって話はしたわよね?」 


 元教え子は頷いて、立ち上がった。


「ここに勤め始めてからその話を先生から聞いた時、実は娘さんが誰なのか調べたんです」


 戸棚から分厚いファイルを取り出し、元教え子はパラパラとめくった。


「え?」


 私は驚いて声を漏らす。


「いつか先生が私に尋ねてくるかもしれないなって思って。勝手にすみません」


 元教え子はまた私の対面に座り、あるページを開いてファイルを机の上に置いた。


「結構資料の数が多くて探すの大変だったんですけど、この間やっと見つけたんです」


 私のために探してくれたんだ、と私は泣きそうになる。


「……大変だったでしょう? どうして」


 へへッと元教え子は照れくさそうに笑う。


「先生には感謝しているんです。親が病気して大学を退学しようと考えていた私に、お金を貸してくれて。あの時先生がいなかったら、今の私はありません。仕事も楽しくてやりがいもあって、毎日本当に幸せなんです」


 元教え子の言葉に、私は涙を流す。


「いやね。あんなことぐらい、どうってことないのよ」


 最近涙もろくなっちゃった、と私はぼやいて涙を拭う。


「こんなことで恩返ししたつもりにはならないですが、先生のお子さんは赤ちゃんの時にちゃんと里親が決まったみたいです」


 そう言って元教え子は私が見やすいようにファイルを回転させ、見せてくれた。


「ここに先生のサインがありますよね」


 元教え子の指先には、確かに私のサインがあった。


「ほんとだ……」


 その資料は私のサインと、施設に預ける条件が記されているだけだった。


「里親が決まった場合、この資料と一緒に譲渡先の資料を保管することになっているんです」


 元教え子はそう言って、資料を一枚めくった。


「これは譲渡先の情報です。本当は極秘なんですけど、もう娘さんは成人していますし先生のことは信用しているので」


「あ、ありがとう」


 私は脈を首元で感じながら、ゆっくり資料に目を通していく。


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