再会
「瞳ちゃんは今の会社を辞めようとは思わなかったの?」
私の正面に腰掛けながら店主は私に聞いた。水のお礼を言いながら、私はそれを飲んだ。
「私、聴力が低くて。なかなか正社員で雇ってくれる会社がないんです」
「あら、そうだったの」
店主はちらっと私の耳を見た。
「はい。いつも補聴器をつけて生活しています」
自分の耳元に手を置いて私は答える。
「ならなおさら許せないわね。人の足元見て、頑張っている子の足引っ張るだなんて」
口をへの字にして店主は怒りを口にしていた。他人のことなのにこんなにも感情的になれるだなんて、優しい人だなと私は思った。
「でも、浮気は浮気なんです。どんな理由があっても私がほかの男と関係を持った事実は変わらない」
何も言えず店主はふぅっとため息をついた。
「でもその理由に人は救われたりするものだから。彼にもその理由を話してあげて欲しいな」
結果や事実がすべてだと思っている私。理由なんてただの言い訳だと思っていた。私が逆の立場なら、理由なんてどうでもいいと思ってしまう気がする。普通の人間は、理由を求めてしまうものだろうか?
「そうでしょうか」
私は顔を上げて店主に問う。
「私が浮気した理由なんかを彼に話して、意味があるでしょうか?」
「そりゃ勿論よ」
店主は迷いなくそう言った。
「愛している人の行動なら、どうしてそんなことしたのか気になってしまうものよ。信じていた人の浮気なら、なおさらね。彼があなたの話を聞いてどう思うかは分からないけれど、きっと理由を知ったらあなたのことを責める気にはならないと思う」
でも私は彼に責められて、軽蔑されて振られたい。心が粉々になるぐらい責められて、二度と恋愛ができないほど傷つけられたい。そうでもしなければこの罪悪感から逃れられない気がする。自分の疚しさを実感して私は俯いた。
「でも嫌われたい?」
私の心を読んだように、店主は言葉を発した。私は驚いて店主を見上げる。
「責められて自分の罪悪感を消そうとしているの?」
私は何も言えず、下唇を噛んだ。また涙が浮かんで視界を歪ませた。
「そんなことしてもあなたの心は救われないのよ。自分の心を殺そうとしたって、生きている限り苦しみは続くの」
そんなこと、分かってる。私なんて苦しめばいいし、陸人に嫌われて全部失えばいいんだ。
「もう自分を責めるのはやめなさい。この世の中にあなたを否定していい人なんて存在しないし、あなたは酷い扱いを受けるべきじゃない」
そんなこと、分かっているけれど幼いころからの癖はなかなか抜けない。大好きだった母から暴言を浴びせられる理由を作らなければ生きていけなかったし、自分のせいだと思えば現状が変えられる気がして気持ちが楽になった。
すべて自分が悪いということにして自分の価値を下げれば下げるほど、母への対応も自分の在り方もマニュアル化していく。でも自分の存在意義をいつも求めていて、彼氏が居なければ生きている実感が持てなくなっていった。
表面的な好きという言葉が私を救ってくれる。こんな私でも生きていていいんだと思える。こんな私を好きだと言う、自分より劣等な人間もいると思うと安心できた。この生き方は間違っている。私の生き方は、自傷的で他傷的だ。
「瞳ちゃん?」
店主に名を呼ばれ、ハッとして私は我を取り戻した。
「スマホ鳴ってるわよ」
そう言われてスマホを見ると、陸人から電話がかかっていた。私は急いで電話に出た。
『もしもし、ごめん。瞳が言っていたお店、閉まってるけど』
『大丈夫。そのまま入ってきて』
私がそう言うと店主は自分の飲んでいたティーカップを持って厨房へ向かう。
『わかった』
陸人は電話を切って、店の扉を開けた。
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