最低ですよね
「彼氏が死んでしまって、赤ちゃんが危なくなってしまって帝王切開で子供を産んだ。でも、自分には子供を育てる資格なんてないと思って、私が育てたら子供は悪い道に行ってしまうと思ったの。だから私なんかが育てるより、施設に預けて里親を探してもらうことにした」
店主の話を聞いて、気持ちが分かるなと私は思ってしまった。私は家庭を持ちたいとは思わないし、自分なんかが子供を育てるのは恐ろしいとすら思っている。
「その子は里親が見つかったんですか?」
「ええ。特別に教えてもらったんだけど、すぐに里親が見つかったみたい」
養護施設の環境はあまりいいものではないという偏見を持っている私は、ホッとした。
「その時、どう思いましたか?」
つい私は店主に深入りするような質問をしたが、店主は嫌なそぶりを見せず答えてくれた。
「施設で育つのは嫌だったからホッとしたわ。でも私の子は可愛くて優しい子だから、すぐ里親が見つかるって信じてた」
「赤ちゃんなのに、優しい子だなんて分かるんですか?」
店主はニコッと笑った。
「分かるわよ。目を見れば分かる」
私の目をじっと見つめる店主に、私はドキッとした。
「そ、そうですか……」
母親ってすごいですね、そんな言葉が喉元まで出たが、自分の母親にそんな能力がないことを思い出すと引っ込んでいった。
「瞳ちゃんは私のことを責めないのね」
心を落ち着かせるために、私はコーヒーを一口飲んだ。
「そうですね。いろいろ事情があったんでしょうし。私も褒められた人間じゃありませんから」
少しぬるくなったコーヒーも、変わらず美味しかった。
「そんなことないでしょう? ちゃんと立派に生きてるじゃない」
「でも浮気しました」
店主の言葉を遮るように、私は言った。店主は変わらない眼差しで、私をじっと見つめる。
「どうして浮気しちゃったの?」
私、どうして浮気なんかしたんだっけ? 私は過去を遡りながら理由を探った。
「私の恋人、同じ会社の人なんですけど、私の上司がそれを知って私の恋人を東北の支店に飛ばしてやるって脅してきたんです。東北支店は労働環境が劣悪なことで有名で、彼がそっちに飛ばされるのをやめてもらう代わりに上司に体の関係を求められました」
店主の眉間にしわが寄った。
「そのこと彼には話した?」
「いいえ」
額に手を置いて、店主は深くため息をつく。
「最低ですよね」
「その上司がね」
首を何度も横に振り、店主は苛立った顔をした。
「彼とはどうするの?」
「別れるつもりです。本当は上司と体の関係を持ってすぐ別れようと思ったけど、彼のことが好きだから別れようって言えなくて」
私は話しながら涙を零す。予定外の落涙に、私は動揺して急いで涙を拭った。
「いいのよ、いっぱい泣きなさい」
私の頭を優しく撫でて、店主はそう言った。
「辛かったね、よく我慢したね」
こんなに優しく慰められたのはいつぶりだろう。もしかしたらこれが初めてかもしれない。この人が私のお母さんなら良かったのに、なんてありもしないことを考える。
「私、自分がずっと嫌いで。でも自分は浮気なんてしないって信じてたのに、他の男の人と関係を持っちゃって、嫌で嫌でたまらないのに。断れなくて、言いなりになって、大事な人まで失うなんて――」
店主は私を抱きしめ、私の背中を優しく撫でる。
「自分を嫌っちゃうのは、あなたの育ちのせいよ。瞳ちゃんが悪いわけじゃないわ。浮気だって彼のことを守るためなんでしょ? ちゃんと彼に話してみたら?」
私にはふさわしくないほど優しい言葉に涙が止まらない。
「これから彼と会うんです」
「ほんと?」
「話があるみたいで、福岡から飛行機でこっちに来ているみたいで」
そうなの……と店主は声を漏らす。
「このお店に呼んだら? もうCLOSEの看板出しちゃうからさ」
「いいんですか?」
うん、と頷いて店主は立ち上がり店の扉を開ける。スマホを見ると、十分ほど前に到着したという陸人からの連絡が来ていた。
『空港から十分ぐらいバスで移動した海辺にある「Peace」という喫茶店にいます。来てくれる?』
そう文章を打ち送信すると、すぐに既読はついて『わかった』と返事があった。
「彼来てくれるみたいです」
戻って来た店主に向かって私は言った。
「そう! 彼お腹はすいているかしら」
店主は厨房に向かい、鍋を覗く。
「カレーはあるから、お腹すいてたら言ってね」
私はカスカスな声で返事をした。すると店主は水を一杯持って私の前に置いた。
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