どこにいるのかしら

「すみません」


「いいのよ。間に合わせで作ったものだけど、マヨネーズとマスタード使ってるから美味しいと思うわ」


 それは確かに美味しい組み合わせだけど、と私は笑うと店主は私の机にサンドウィッチが乗った皿を置いた。


「アレルギーとかない?」


「はい、なにもないです」


「ならよかった」


 店主は私の正面に腰掛け、顔の前で手を合わせていただきます、と呟いた。私もいただきますと呟き、サンドウィッチを一口食べた。


「美味しい」


 私は思わず口にして、ハッとして口元を抑えた。


「ほんと? ならよかった」


 嬉しそうに店主は微笑んで、私を見ている。


「すみません」


 他人の料理に感嘆したのは、生まれて初めてだった。母の作る料理はいつもいまいちで、けれど文句は言えなかったから適当に美味しいと言っていた。人の料理を心の底から美味しいと思うなんて、珍しかった。


「いいのよ。私とあなた、きっと味の好みが合うのね」


 フフッと可愛らしく笑う店主。


「そういえば、あなたお名前はなんて言うの?」


「青木瞳です」


「瞳ちゃん? 目が綺麗でぴったりな名前ね」


 店主の言葉は不思議と嫌味には聞こえない。私はなんだか嬉しくて、店主から顔を背けてしまった。


「ありがとうございます」


 母はいつも機嫌が悪かったけれど、店主はいつでも機嫌がいいようだ。私の母と真逆な人いだから、私は店主に好感を持っているのだろうか。


「瞳ちゃんは社会人?」


「そうです」


「どんな仕事してるの?」


「寝具を売る営業です」


「あら、いいわね。私も最近起きると体が痛くて。やっぱりああいうのは高いほうがいいのかしら?」


「そうですね……。会社にもよりますが、値段で決めるより、寝て試して買うのが一番です」


 会って数分しか経っていないのに、私と店主は打ち解け初めていた。臨床心理士とは、すごいコミュニケーション能力を持っているんだな、と私は感心する。


 サンドウィッチも食べ終わり、店主がコーヒーを淹れなおしてくれた。


「ありがとうございます」


 私はそう言って、コーヒーを一口飲んだ。


「いいのよ。話し相手になってくれて、ありがとうね」


 そう言えば店主には娘がいると言っていた。こんな母親ならば、娘と仲はいいのだろうか?


「あの、先ほど娘さんがいらっしゃるって聞いたんですけど、娘さんは青森にいるんですか?」


 店主は私の向かいに座り、自分用に淹れた紅茶を飲んでいた。


「そうねぇ。どこにいるのかしらね」


「え?」


 曖昧な店主の返事に、私は聞き返した。


「娘とはもう二十年以上会ってないの」


 聞いてはいけないことを聞いてしまった、と私は顔を引き攣らせる。


「こんなことを言ったら、瞳ちゃんに嫌われてしまうかもしれないけど。娘を産んですぐ、施設に預けてしまったの」


「え……?」


 意外な言葉に、私は驚いて店主の顔をまじまじと見てしまった。


「十七歳の時に娘を産んだ。その時付き合っていた彼氏のことを本当に愛していたから、私は産みたいって聞かなかったの。親には反対されて、兄は応援してお金を出してくれたけど足りなくて。彼氏は私と赤ちゃんのために朝も夜も働いてくれた。でも妊娠九ヶ月ぐらいの時に、彼氏は事故で高いところから転落して即死だった」


 淡々と話す店主は、後悔に駆られて苦しんでいるようにも見えた。さっきまではそんな様子は見受けられなかったから、私は何も言えず黙って話を聞いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る