第340話 天秤の枢機卿

 まずはミーティアを利用してグレートウォールと接触する。そして、もう一人の俺の力を引き出すことで不足している力を補って、グレートウォールを調伏する。

 その話を聞いたグリードはものすごく難色を示した。だが、ライブラは違った。面白そうに話を聞いていた。


「でも、大丈夫なのかい? 彼に力を借りたら、ギリギリで保たれている均衡は崩れ去る」

「それはわかっている。調伏しただけが目的じゃない。その後に獣人たちに力を委譲しないといけない」

「じゃあ、どうするんだい?」

「グレートウォールを喰らえば、俺の力は高まる。それで、もう一人の俺を押し切る」

「たしかにグレートウォールほどの巨大な力を取り込んだら、彼との力関係は変わるだろうね。だけど、忘れてはいけないよ。後手に回っていることをね」

『ダメだ。危険すぎる』


 グリードの声にライブラは大きく頷いた。


「僕も同じ意見だよ。下手をしたら主導権を彼に握られるかもしれない。守る側から奪い返す側に回ってしまえば、遅すぎるよ。それはわかっているよね」

「ああ……表にいる俺自身が一番わかっているさ。守る方が楽だってことを。だから、主導権を奪われる前にグレートウォールの力を手に入れる」

「綱渡りだね。彼だって千載一遇のチャンスだ。全力で来るだろう」

「現状で他の方法は見つからない」

「そして、時間もない」


 ライブラは容器の中で漂うロキシーに目を移しながら言った。


「彼女の体も心配だけど……入れ替えが滞っていることにヒューゴが疑いを持ち始めている」

「元老院からの圧力もあるのか?」

「もちろんさ。仲まであるはずの聖職者たちからは非難されて、支援してくれているはずの元老院からはプレッシャーをかけられているんだ」

「その割には飄々としているな」

「いや、見た目以上に切羽詰まっているんだ。近々、ここにヒューゴの息のかかった者たちが派遣されてくる予定だ」

「ことを起こすなら、その前にってわけか」

「君のやろうとしていることはハイエルフに決して知られてはいけない」

「獣人を解放してグレートウォールも消失させる。戦争どころじゃないな」

「ハイエルフへの裏切り行為だね。極刑に値するよ」


 笑顔で俺の首が飛ぶように手を横切ってみせた。英雄や奇跡の子として持ち上げられた者が、ハイエルフの国を揺るがす行為をするのだ。元老院議長は血なまこになって俺を止めようとするだろう。


「それに、このミーティアの管理も厳重になってしまう」

「派遣された者によってか?」

「御神体を補助する稀少な物だからね。入れ替えが終わった後、僕なしで管理するために必要となるからね」

「ミーティアも自由に使えるのも今だけか……」

「そういうことさ。最後にロキシーの体力を考えると、あとに回すほど命の危険が高まる。なにせ、君がグレートウォールを調伏するまで、ミーティアを使用しないといけない。その間はロキシーを支えることができないから、彼女の体力がまだあるこのタイミングがいいだろう」


 決行するなら今しかない。出来損ないの神に蝕まれる暴食スキル。ハイエルフの国の情勢。ロキシーに残された体力。そのすべてがこのタイミングを逃すと次の機会は巡ってこないように思えた。


『まったく……好きにしろ』


 グリードは怒っていたけど、最後は納得してくれたようだ。ロキシーは自分の命を顧みずに頑張っているんだ。彼女を取り戻すには俺もこれくらいのことはしないとな。


 ロキシーが入った容器に手を当ててみる。少しだけ冷たくて、ひんやりとした感触が手のひらに伝わってきた。


「……ロキシー」


 俺の声は今の彼女に届くことはない。それでも、彼女からミーティアの支援をやめることで今よりも負担が大きくなってしまう。

 俺が容器から手を離すと、ライブラが話しかけてくる。


「じゃあ、行こうか。おっと、その前にこの姿だと目立ちすぎる。少々時間をもらえるかな」

「わかった。その偉そうな服は着替えた方がいいな。外に出た途端、お前を狙っている聖職者たちに囲まれるからな」

「そうさ。グレートウォールへ行くどころではなくなってしまう」


 俺はロキシーの姿をもう一度だけ見た後、ライブラの後を追って地下通路に戻った。

 

「自室で着替えるのか?」

「ああ、君を看病していた部屋だね。それとステラに会っても、何も言わないようにね」

「彼女はお前を慕っているよう見えたが」

「そうかもしれない。だけど、彼女は教会側だ。僕らがやろうとしていることを知ったら、報告義務が生じる。ステラが僕らに与したところで、得られるものはない。ハイエルフである以上逃げ場はなく、どのような処罰を受けるか」

「お前でも他人のことを心配するんだな」

「心外だな。いろいろとお世話になったからね。それに平凡な聖職者である彼女に冒険は似合わないのさ」


 わざわざステラに危ない橋を渡らす理由もない。もし会っても気取られないようにするべきだろう。

 地下通路を出て、ライブラの自室に向かって歩いて行く。奥へ進むごとに、行き交う聖職者の数はぐっと減っていった。


「教会内部はただいま大混乱さ。事態をおさめるために、ここからかなりの人員が各所へ送られている状況だ。元々ゲオルグに奇襲によって、多くの者が亡くなったからね」

「教会のトップはまだ決まらないのか?」

「まさにその権力争いの真っ最中だね。外の騒ぎも最終的にはそれに繋がっている。そうだね……このままいけば、ヒューゴの傀儡が教皇になるだろうね」

「それも、グレートウォールがあっての話だな」

「君が望む人間との戦争を止められる可能性だってある」


 獣人を解放して、ロキシーを救い出し、ハイエルフが戦争をできなくする。グレートウォールさえ無くなれば、この国で俺が抱えている問題のほぼすべてが解決する。解放した獣人をどうするかという話は、ロキシーとじっくり話し合えば良い。


「そのためにもミーティアのことは頼んでいいんだな?」

「安心していいよ。嫌なら礼拝堂から離れたりしない」


 ライブラはそう言って、自室へと入っていった。そして、すぐにフード付きの外套を羽織って出てきた。


「どうだい。フードを深く被って、着てる服も隠せば……この通りさ」

「溢れ出すライブラ感が拭えないな」

「わかったよ。君みたいにすればいいだろ」


 おおっ! まったく気にならなくなった。強者が纏うようなオーラは感じられない。

 ん!? 待てよ……俺みたいにって言ってなかったか! ということは……。


「そんな目で見ないでくれ。良いお手本があって本当に良かった。たまには役に立つんだね」

「まったく褒めていないぞ! たまにはって言うな!」

「では、行こうか」


 ライブラは神殿の正面から出ずに、反対方向へ歩き出した。


「特別な裏口があるんだ」

「また議長が用意してくれたのか?」

「いや、避難用の出口さ。ほら、凄惨な事件があったろ」

「ゲオルクさまさまだな」

「あのときは逃げ場がなかったから多くの者が亡くなったんだ。その反省として、設けられたんだ」


 ハイエルフの国が襲われたのは、おそらく初めてのことだったのだろう。それでもすぐに対応策を実行するのはハイエルフらしいとも言えた。

 避難用の出口には認証機器が設置されていた。


「ここにもあるのか」

「だれにでも使われると困るからね。神殿で働く者だけが登録されているんだ。しかも、出るときにしか利用できない」

「本当に避難用なんだな」


 扉を開けたライブラは、振り返って俺に言う。


「さあ、ここからは時間との勝負だ」


 まさかライブラと行動を共にする日が来るなんてな。でも、今は利用できる者はしっかりと利用させてもらうべきだ。

 ライブラが言うように、時間は限られているのだから……。

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