第336話 ナハトの力

 知りたかった情報を得られた俺は獣人牧場からそっと出た。外から、もう一度施設を見回すが、静かなままだ。痕跡はほぼ残さずにできたので、誰も侵入者が入り込んだとは思わないだろう。それ以前に、働いている者たちは獣人牧場へ勝手に侵入する者はいないと考えているので、予想すらしないはずだ。


『ちょろかったな』

「手際よくできたのはグリードのおかげだな」


 認証機器は俺にはどうにもならないし、情報を調べる端末もグリード任せだ。彼がいたから、ここまでうまくことが運んだ。口は悪いが、仕事はきっちりとこなす男なのだ。


『そうだろ、そうだろ。いいぞ! もっと俺様を褒め称えろ! すべて暴き出してやる!』

「調子に乗りすぎだっ!」


 獣人牧場から離れるために鬱蒼とした森の中へ入る。これで出会うとしたら獣くらいだ。

 奥へ進んだところで、丁度良い座りやすそうな切り株があったので腰掛けた。

 緊張が続いていたから、ここで一息ついて気持ちを整えよう。武人たる者、いかなる時でも冷静であれ……なんて言うが俺にはこういった時間が必要だ。


「ふぅ〜、落ち着くな」

『お前くらいだ。こんな不気味な森で一休みするのはな』


 ここはロイがネクロマンサーの力を試すために利用した狩り場だった。当初の獣狩りが目的だった。だが、ロイの実験体であるジャスミンが割り込んできて、多くの兵士の血が流れた。そんな忌まわしい場所にハイエルフが近づくことはなく、俺はこうしてゆっくりできているわけだった。


 ここら一帯からまだ血の香りがする。多量の血が地面に染みこんでしまっているためだろうか。それとも、無念に死んでいった兵士たちの魂が彷徨っている証拠なのかもしれない。


『成仏できずに彷徨い続ける魂か』

「戦争がまた始まれば、もっと多くの人が死ぬ。この世界が魂で溢れかえるかもな」

『至るところであの真っ黒な怪物……アビスが跋扈する世の中になってしまうだろう。浄化されることなく、蓄積され続ける呪いによってな』

「人間が勝っても、ダークエルフやハイエルフが勝っても、戦場となるガリアは地獄と化すか……」


 だからこそ、ユーフェミアは聖地ガリアを勝ち取った後、俺にアストラルチェインへ迷える魂たちを導いてほしいのだろう。しかし、その役目を当人であるはずの俺がやり方をまったくわかっていない。やはりあのときのユーフェミアはナハトにお願いしていたと思われる。


『アストラルチェインは三賢人が探し求めていたらしいからな……そいつらを探した方が早いかもしれん』

「5つの島の内、3つは居た形跡は残っていた。だけど、今も居る証拠はどこにもなかった」

『なら、残り2つの島に居るのかもな。シーサーペントの根城となっているクロエ島と、魔物となった獣人たちに滅ぼされたエマ島だな』


 今後、アビスの驚異と向き合うことになったら避けては通れない道だ。クロエ島とエマ島への探索は考えておくべきだろう。

 よしっ! 俺は小休憩を終えて、切り株から立ち上がった。


「今は、グレートウォールだな」

『そういうことだ。ロキシーを解放しなければ、身動きも取れん。だがこの先……問題は山積、雨霰だな』

「期待しているぜ、相棒!」

『協力はしてやるが、頑張るのはお前の仕事だ』


 もちろん、頑張りますとも! グリードが居てくれるだけで千人力だ。一人でぐずぐずと考えるよりもずっといい。


「行くか」

『おう!』


 血の香りが残る森を抜けて、さらに進むと生えている木々がまばらになってきた。枝葉の隙間から、真っ白な壁が見える。暗闇の中なのに、白く見えるとは不思議な現象だ。

 おそらくグレートウォールがわずかに発光しているのだろう。


 ユーフェミアが生きていると言っていた。グレートウォールをよく見れば脈打つように発光している。それは心臓の鼓動のようで彼女の言葉の通りだと思った。


 グレートウォールの側までやってくると、所々で会話をするかのように淡く光っていた。その光る場所にそっと触ってみる。指先に僅かな電流のような刺激が流れ込んできた。そして、光ははじけて消えてしまった。


 何かが俺の中へ流れ込もうとしてきたが、指先で力尽きた感じだった。違う光を触ってみると、同じようにはじけて消えてしまう。


「何なんだ……これは」

『どうした、フェイト? さっきから壁に触って』

「えっ?」


 もしかして、グリードにはグレートウォールから発せられている光が見えないのか?


「壁一面に至るところが光っているんだ……」

『光っている? こんな暗がりだ。光っているのなら、一目でわかるぞ』

「俺だけに見えているってことか」

『今までにない現象だな。心当たりはあるか?』


 そう言われても、さっぱりだった。強いて言うなら、精霊獣の扱いが以前よりもうまくなったくらいだ。


『ナハトの力かもしれないぞ』

「ダークエルフのグレートウォールに新たな力を与えたって、ユーフェミアが言っていたな」

『お前に、その一端が戻ってきているとしたら』

「記憶は戻っていないのに、力だけってことがあるのか?」

『さあな。それでも、現にお前にはグレートウォールが他の者とは違った姿で見えている』


 ナハトのグレートウォールに干渉できる力が、もし扱えるなら今の俺にとって好都合だ。うまくやれば、調伏できるかもしれないからだ。


 俺はグレートウォールにしっかりと手を当ててみる。ピリピリと電流が手のひらを刺激するだけで、それ以上は何も起こらなかった。


「繋がりそうで、繋がらないって感じだ」

『ロイの研究レポートで、調伏するには途轍もない強大な力が必要だと記述してあった。単にお前の力がグレートウォールと釣り合ってないだけかもな』

「暴食スキルの力が弱まっているんだ。喰らったところで……」

『エクスキューショナーの餌食だな。それに呪いというステータス値も邪魔をする』

「……方法は一つだけある」

『馬鹿げている。おくびにも出すな』


 グリードは強い口調で俺を叱咤した。

 その方法とは、もう一人の俺に力を借りることだ。聖獣人の力と暴食の力が合わされば、グレートウォールにも届くはずだ。彼の地での戦いで、4体の聖獣を取り込んだライブラを追い詰めたほどの力だ。そして、出来損ないの神すら取り込んでみせた。


 力を借りた代償はとても高くつく。もう一人の俺がフェイトとなり、俺はフェイトとなったやつの姿を精神世界で傍観者となって見守るだけの存在となってしまう。


 グリードの言うとおり、馬鹿げた話だ。だが、現状で考えられる唯一の方法だった。

 力が足りていないのかと思いながら、改めてグレートウォールに触ってみる。確かに……繋がりが途中で断たれる感覚は、グレートウォールが俺にその力がないと判断しているように思えた。


 なぜだ? このタイミングでナハトの力の一端を使えるようになったんだ。これでは、もう一人の俺の力に頼れと言っているようなものじゃないか。

 これは罠なのか……それともただの偶然か?


『今日はこのくらいにしておけ、夜が明けるぞ』

「そうだな。街に戻ろう」

『食糧支援で兵士たちが街の中を駆け回る前にな』


 俺はグレートウォールに背を向けて、鬱蒼とした森へ戻った。闇に紛れて、獣人たちの住居……休みなく働いている農地を抜けて、ハイエルフの街を目指す。獣人たちに接触したかったが、夜明けは待てくれない。一度は彼らと会って話をしたい。改めて別の機会を見計らうことにしよう。


 塀を跳び越えて、ハイエルフの街の中へ入った。

 ふぅ〜……潜入はこれで終わりっと! 完璧に帰って来られた自分を褒めてやる。


『自己満足が済んだのなら、ラムダの武具屋に戻るぞ』

「彼の容態も心配だしな」

『お前も少し仮眠を取れ。廃都オベルギアを出てから寝ていないだろ』

「武人たる者、いかなる時でも休めるときに休めってやつか。……懐かしいな」

『いざという時に本領が発揮できなければ、ここまでやってきたことが無意味になる。嫌な予感がする』


 やめてくれ……こういうときのグリードの勘は当たるんだ。

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