第335話 ロイのレポート

 獣人牧場は真っ暗で明かりが一つもついていなかった。深夜なので、働いている者たちは帰ってしまったのかもしれない。それでも、警備している可能性はあるので、慎重に行くべきだ。


『どこから忍び込む』

「痕跡は残したくないから、いい場所があれば……」


 錆び付いたドアはどれも鍵付きで施錠されていた。カード認証なら、グリードが開けられたのに残念だ。古びた施設だけあって、カード認証のような高度な機能は備え付けられていなかった。


『こうなったらドアを破壊するか』

「痕跡を残したくないって言っているだろ!」

『まごまごしていると、見つかるかもしれんぞ』

「わかっているって」


 施設をぐるりと回って、忍び込めそうな場所を探していった。そのとき俺にグリードが声をかける。


『上を見ろ』

「窓が開いている」

『換気のためだろう。中に入ったときに高い湿度を感じたからな』


 確かに施設の中に入ったときに、むっとした暑苦しさを感じた。ハイエルフが獣人にしっかりとした空調を提供するとは思えない。せめてでも、窓を開けて空気の入れ換えをしているだけでも良かったと受け止めるべきだろう。


『この様子では中は警備もないかもな。現状から考えて、ハイエルフがわざわざ獣人がいる場所に忍び込まない』

「今日案内してくれたステラも中へ入るのを拒んでいたしな」

『なら、さくっと中へ入るぞ』


 足に力を入れて、大きくジャンプする。よっと! そして窓枠に手をかけて、体を持ち上げた。精霊の力を借りて、暗視しながら施設の中を覗き込む。


「異常なし」

『静かなものだ。獣人の子供は寝ているようだな』


 寝ているところを起こして、騒ぎになってはまずいのでそっと中へ入った。

 足音を立てずに、牢の前を歩いていく。見覚えのある獣人の子供がいる。今日、責任者の男が罰として食事を与えていないと言った子供だった。


 何かしてやりたい気持ちを抑えて、先に進む。ここで食べ物を与えたところで、この子がおかれた状況は変わらない。もし与えて飢えが少しでも収まったのなら、責任者の男はすぐに違和感を覚えるはずだ。追及されて今よりも酷い罰を受けるかもしれない。


 それに苦しんでいるのはこの子以外にもたくさんいる。何段にも重ねられた牢を通り過ぎて、俺とグリードは繁殖場の場所を探した。

 おそらく繁殖場は施設の奥に設けられているはずだ。ここの責任者に案内されたときに、繁殖場についての話をした際に、奥の方へ目線を移したからだ。


 やはり牢が並んだ奥に扉があった。押してみると、鍵はかかっていなかった。

 扉の先に移動して、一息つく。たくさんの子供たちが寝ている前を息を潜めて、進むのは意外にも神経を使うようだ。


『ひとまず難所を越えたな。子供一人に見つかって騒げば、まわりの子供たちに伝播するおそれがあるからな』

「繁殖場を探すぞ」

『さて、どちらに行くべきか』


 このまま真っ直ぐ進むべきか、それとも右へ曲がるべきか。

 ん? 右からは僅かに食べ物の匂いがする。もしかしたら、獣人たちの食事を用意する場所なのかもしれない。


「真っ直ぐだ。右は調理場の匂いがする」

『暴食らしい判断だ。この悪臭が漂う中でよく嗅ぎ分けた』

「俺の中で少しずつ暴食スキルの力が弱まっているけど、まだまだいけるさ」

『暴食スキルの世界でアーロンがまだ暴れているのか?』

「おそらく……。父さんは押さえ込んでくれているからこのくらいで済んでいる感じだ」


 眠った時に夢に見る。それは暴食スキルの世界で、冷酷なエクスキューショナーとなったアーロンと父さんが戦っている姿だ。力も弱まらず、疲れをしらないアーロンに父さんは苦戦を強いられていた。それでも父さんは諦めることなく、魂が存在する限り戦い続ける……そんな夢だ。


 暴食スキルの世界で起こっていることが、眠っている俺の夢として流れ込んでいるのだろう。朝起きるとまた少しだけ暴食スキルの力が弱まったことを感じる。その度にその夢は現実なのだと否応なく伝わってきた。


『もう一人のお前はこのことを知っていたのだ。お前の力が弱まっていくことをな。だから、頼ってくると確信しているのか』

「あいつの思い通りにはさせるつもりはないさ」


 だがこのまま俺の力が弱まっていけば、力関係は逆転する時が来るかもしれない。

 今のところ、もう一人の俺の思惑通りにことが運んでいるのは確かだった。暴食スキルの世界に巣食って暴れられる存在が現れるなんてな。しかも、俺が親しかったアーロンとは皮肉な話だ。


『ロキシーのことも大事だが、お前自身も同じように大事にしろ』

「自分の体なのに、魂が休まることがないからな。不思議な感覚だ」

『いろいろと魂を狙われすぎだ。しかもそれがお前自身の中で起きている。見かけ以上に大変な状況だということを忘れるなよ!』


 グリードはたまに心配性になってしまう時がある。それだけ俺が置かれた状況がまずいのだろう。


 真っ黒な通路を進んでいき、突き当たりに大きな扉が見えてきた。


「ここだけやけに真新しいな」

『どうせ、ロイがやったんだろう。見てみろ、ラボラトリーと同じ仕様だ』

「扉の横に見覚えのある認証機器があるな」

『ここでロイは獣人を使って、ネクロマンシーの研究をしていたんだ。安易に見られたくないものもあるんだろ』


 研究当初は軍事機密だったのだろう。今ではダークエルフにもネクロマンシーの技術は提供されるほど一般化されている。それでもロイの研究内容は他にもあるので、こうやって権限のある者しか入れないような場所に改造したと思われる。


『さてと、これは俺様の仕事だな』


 黒剣を鞘から抜いて、認証機器にかざした。ピッという音がなって、扉の施錠が解除された。鮮やかなお手並みである。


『認証機器を通じて、中のセキュリティを調べてみたら、監視システムはなかった。この扉だけ突貫工事で付けたのだろう』

「なら自由に調べられるな」

『繁殖場か……俺様も興味がある。入るぞ』


 扉を押し開けて、すぐに目に入ったのは、培養液に満たされた容器だった。それらには獣人が入れられており、ずらりと並んでいた。地下施設で見たものとよく似ている。違いは入っているのがハイエルフではなく、獣人だということだ。


 人工的に獣人を作り出しているようだった。よりよい遺伝子を持つ者を選別して、掛け合わせて命を生み出し、人の形になるまで培養する。


『まるで三賢人の真似事だな』

「地下施設にあった技術はハイエルフにも引き継がれていたのか……」


 培養液に浸された獣人たちを見ながら、先に進むと隔壁で区切られた小さな部屋が目に入った。他の設備よりも明らかに真新しい作りをしていた。


『見るからにロイの研究室って感じだな』

「中に入ろう」


 ここにも同じように認証機器が備え付けてあった。サクッとグリードが解除すると、ドアが音も立てずにスライドした。獣人牧場には似つかわしくない自動ドアだった。


 中に入ると、金属製の机の上に端末が一つだけ置いてあった。そして安っぽい椅子が一つ。あとは何もない部屋だった。合理的なロイらしい研究室だった。


「ここで研究データの整理だけをしていたようだな」

『実験は外でいくらでもできるからな。死体捨て場もすぐそばにある』

「グリード、調べてくれるか?」

『すぐにかかろう』


 グリードを端末の認証機器にかざす。端末が起動して、画面にたくさんの文字が羅列された。しばらくはグリードの解析が終わるまで待たなければいけない。

 手持ち無沙汰にしていると、グリードが解析が終わった情報を開示してくれる。


『グレートウォールの研究はまだだが、面白いものを見つけたぞ』

「お前の面白いはいつも当てにできない」

『そういうな。ここにある繁殖場は、以前は獣人のために研究されたものではなかった。ハイエルフのために研究されていた』

「たしか……ハイエルフは子供が作れなくなってしまったんだよな」

『だから、三賢人の技術を解析して、種の存続を試みたようだ。結果は言わなくてもわかるか』

「失敗に終わったんだろ。そして獣人の繁殖場として転用されて今につながる」


 ロイはここで研究するにあたって、獣人牧場の成り立ちまで調べていた。わからないことは徹底して調査する性格らしい。


「ところで、本命の方はまだなのか?」

『見つけたが、暗号化しているから、復号化に時間がかかってしまってな。あれはそれまでの小話だ。ほら、終わったぞ』


 画面に映し出された研究レポート。俺はその部分から、獣人とグレートウォールに関するところを探した。この部分だ!


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 獣人に精霊を無理やり埋め込むと死ぬ。それでも利用価値はある。内部の精霊を操ることで不死の人形にできる。

 なぜ死ぬのか? 精霊を生まれ持たない獣人は、精霊に適応できずに体が拒絶反応するためだ。

 だが気になる点がある。獣人の魔物化はグレートウォールが防いでいる。

 グレートウォールは精霊の集合体だ。内に入らずとも外側から、獣人に影響を及ぼしている。推察だが、グレートウォールの精霊たちは獣人に相性がいいのかもしれない。

 もしグレートウォールを調伏させて、細分化した精霊を獣人に委譲できれば、拒絶反応を起こすことなく獣人の中でグレートウォールと同じ現象を再現できるのかもしれない。そうなれば獣人はグレートウォールがなくとも魔物化せずにいられるだろう。

 しかしグレートウォールの調伏や細分化した精霊の委譲には問題がある。途轍もない強大な力が必要で事実上、不可能と結論づける。


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