第327話 魔都への帰路

 雪山を進むほどに、真っ黒な建物が並ぶ廃都オベルギアが小さくなって見える。やはり山頂付近になると、気温がぐっと下がる。体を温めるためにホットインナーにさらに多くの精霊力を流していく。魔都ルーンバッハに戻ったら、これを作ってくれたラムダに礼を言わなければな。


 頂上に登った俺は振り返って、もう一度廃都オベルギアを眺めた。今日は厚く冷たい雲がどこにもなく、太陽の光を反射して煌めく雪原が青い海まで続いた。その雪原の中にある黒い都。これだけ離れても、存在感は抜群だった。


 ユーフェミアは俺を引き留めなかった。今の俺がフェイトであり、ナハトではないからだという。俺の意思を尊重してくれたのか、それとも俺がナハトに戻るために必要なことだと思ったのか……。それ以上彼女は語ることはなかった。


『さらば、廃都オベルギアだな』

「違う。戻ってくるんだよ」

『マックスがすごかったから。帰ってこなかったら、大暴れだろう』


 セシリアと俺の話を聞いていたマックスだったが、まったく理解していなかった。

 俺が廃都オベルギアを旅立つときになって、やっとハッとした顔に変わって慌てだした。それからは駄々をこねるし、ギャン吠えはするし、大変だったのだ。

 結局俺に付いて来ようとしても、彼女はグレートウォールから踏み出すことができなかった。本能的に外に出れば、今までの自分ではいられなくなってしまうのを感じていたようだった。

 セシリアの説得もあり、マックスは大泣きしながら俺を見送ってくれた。すごいジト目で見られていたので、帰ったら腹いせにがぶりと噛みつかれるかもしれない。


「セシリアは俺に付いてくるって言うと思っていた」

『ずっと兄のゲオルクばかりだったからな。兵士の治療が気持ちのリセットになったのさ。今の彼女には自分を見つめ直す時間が必要だ』

「俺と一緒にいる戦いばかりで、そんな暇も無かったしな」

『良い機会になるはずさ』


 今がセシリアにとって大事な時間なら、やはり魔都ルーンバッハに行かないで良かったと思う。ロイの兄であるオータムは今頃になって、セシリアとの婚姻を望んだのか? ロイはもっともらしいことを言っていた。それでも彼女はエルフだ。ハイエルフではない。


 他種属を蔑むハイエルフかつ高貴な血筋のオータムだ。何かもっと違う思惑があるのかもしれない。そんなことを当事者であるセシリアには考えさせたくなかった。


『良き縁談かは、お前が判断すればいい』

「俺が!?」

『セシリアはお前の眷属だ。その資格はある』

「判断するも何も、答えはすでに出ているぞ」

『なら、言ってやれ』


 そうだな。話を聞いたセシリアは気分を害して、寝込んでしまい来られなかった……と言ってやるか。

 オータムは顔を真っ赤にして激高することだろう。


 さて、しばらくはダークエルフの国ともお別れだ。セシリアとマックスの身の安全を祈りつつ、俺はハイエルフの国へ向けて、山越えを始めた。

 それにしても寒いな。道行く途中で大岩があると思えば、魔物が凍っていた。


「見ろよ、グリード。アイスグリズリーだ。分厚い毛皮があってもカチンコチンだ」

『気候変動が酷くなっているな。気を抜いているとお前も同じようになるぞ』

「ハイエルフの国は生態プラントを管理していたP01が壊れたから、その影響かな?」

『それにしては早すぎるな。すべての島が繋がったことでバランスが崩れた可能性もあるぞ』


 イネス島とアリス島の境界である山脈は酷い寒さだった。もし、この冷気がハイエルフが住まう魔都ルーンバッハまで下りてきていたら、環境に影響が出てしまうだろう。


『ダークエルフに食糧支援を提示してきたくらいだ。まだ影響は出ていないだろうさ』

「そうだといいんだが」


 ハイエルフの国で食糧生産に問題が発生すれば、まず切り捨てられるのは獣人たちだ。また彼らが置かれた厳しい環境を目にするようになるのか……。思わずため息が出てしまう。


『ライブラがP01用の演算ユニットをダークエルフからもらってくれと言っていたな』

「手土産なしだ。ラムダにもダークエルフの武具を持って帰れなかった」

『帰る気が無かっただけにな』

「ロキシーに危険が及んでいるのなら帰らないわけにはいかないさ。ライブラは何をしているんだか」

『呑気に胡座をかいていたら、殴ってやればいい』


 ライブラは大人しく殴られるようなやつだろうか。俺の知る限り、殊勝な男ではない。


「ライブラは人間との戦争をどう思ってるんだろうな」

『あれは神の復活のために魂を育て、収穫するのが役目だった。その神は暴食スキルに喰われている。興味があるかすら、怪しいな』

「俺に協力しているのも、暴食スキルの中に出来損ないの神がいるからと?」

『予想に過ぎないが……どうも信用できん』

「ダークエルフと人間みたいな関係だな。互いに殺し合いまでしたんだ」

『油断はするなよ』

「もちろんだ」


 魔都ルーンバッハに戻る前の心構えだ。ライブラがいくら仲間だと主張しても、俺たちの関係は平行線だ。あいつは飄々とした顔で近づいてきて隙を見せれば、喉元へ食らい付いてくるような男だ。


 ロキシーが御神体になった姿を見たときも、俺はライブラを疑った。彼女にそうさせるように仕向けたのかと……。だが、グレートウォールに触れたときに、再開したロキシーは自ら進んで御神体になったと感じた。


 ライブラが常に彼女に手を貸していたとすれば、これも暴食スキルの中に出来損ないの神のために行ったことなのだろうか。

 ロキシーが目覚めたら、ちゃんと確かめよう。


『今回はロキシーが目覚めるまでいるんだな?』

「ああ……何が起こっているかはわからないけど、無防備な彼女をそのままにはしておけない」

『一度起これば二度あるかもしれん。その方が良いだろう』


 まだロキシーの身に起こっていることを解決していないというのに、気が早い話をしていた。俺がもう魔都ルーンバッハに戻らずに、ロキシーとの接触を拒んだから、罰を受けたのかもしれない。彼女にわかっていることをすべて話して、その上で決めてもらおう。


 そう思えば、足取りも少しは軽くなったような気がする。


 魔物たちが凍り付く山脈を越えて進んでいくうちに、寒さが和らぐのを感じた。


「雪がやんだ」

『張り付く霜からもおさらばだ』

「手入れは魔都ルーンバッハに着いてからだぞ」

『まったく武器に対する扱いが酷いぞ』

「安心しろ、ハイエルフほどじゃない」

『もしそうだったら、俺様はお前の相棒でなくなっているところだ』


 少々皮肉を言いながら、俺たちは山の上から魔都ルーンバッハを見ていた。

 帰ってきてしまった。


「外側の荒廃が進んでいるな」

『グレートウォールの内側は緑で溢れている。この様子では食糧問題は杞憂だったな』

「さて、今回は出迎えはあるのかな」

『望んでいないくせに。そんなことを言っているとハイエルフたちが隊列をなしてやってくるぞ』

「御免被るね」

『なら、さっさとグレートウォールの中に入るぞ』


 山の斜面を滑って下りていく。魔物の気配は感じられない。

 理由は枯れた草原を歩いているとすぐにわかった。


「……狩られている」

『それも大量にな』


 至る所に死んだ魔物が転がっていたからだ。草原を踏み荒らした足の数から、軍勢で演習がてら魔物狩りをしたようだった。


『エリスと聖騎士に襲われて、尻に火が付いたのかもな』

「魔物と人は戦い方そのものが違う」

『それでも実戦を欲しているのだろうさ』


 しかし、俺たちの予想は大きく外れてしまう。横たわる魔物が動き出したからだ。


「死んでいるのに動いている!?」

『おいおい、これは……』

「ネクロマンシーだ」


 俺が近づいたことに反応したのか!? ハイエルフは獣人たちでは飽き足らず、魔物まで手を出していた。

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