第307話 氷樹の林

 氷樹の大きさが魂の強さに比例しているのか。それとも父さんが聖獣人という特別な存在だから氷樹を大木へ成長させたのか。他に理由があるのかは俺とグリードにはわからなかった。


 周りの氷樹よりも数倍の大きさである以上、何か原因があるようだった。


「父さんっ!」


 目を瞑ったまま、返事はなかった。俺を呼ぶ声が聞こえたのは気のせいだったのか。


『氷樹が力を奪っているように見える』

「破壊しよう」


 俺は鞘から黒剣を引き抜き、氷樹の根元に狙いを定める。

 ハイエルフの魔都ルーンバッハにある地下施設で高純度のアダマンタイトを両断したときと同じ要領で斬り込む。


 キーンという甲高い金属音を立てながら、跳ね返されてしまった。


「斬れない」

『硬いというより、結界のようなものに弾かれるといった感じだな』

「触った感じは、冷たいだけで何もないのに」


 やっぱりただの氷ではない。魂を喰らって成長した氷樹は、この精神世界では強い力を持っているのかもしれない。

 俺だってダメージを食らっても、魂が健在である限り容易に回復できてしまう。もし氷樹も魂の塊のようなものだったら、黒剣を振るっただけでは傷つけられないだろう。


『通常攻撃では無理か。位階奥義を使ってみるか』


 もう一人の俺との戦いで、かなりの力を消費している。おそらくこれが最後の位階奥義になる。

 アーロンともし再会したときに、何が起きるかわからないため力を残しておきたかった。でも父さんのこんな姿を目にしたら、出し惜しみなんてしていられない。


「やるぞ、グリード!」

『第二位階でいくぞ』


 俺が持てる奥義の中で魂に届くものはデッドリーインフェルノしかない。

 黒鎌に変わったグリードに力を注いでいく。禍々しい姿——三枚刃の大鎌へ変貌したグリードを氷樹の根元へ向けて一閃した。


 氷樹の周囲に取り巻いていた冷気は刃に触れると霧散した。どうやら寒さの原因となっている物も、魂に関係しているようだ。


 デッドリーインフェルノが、父さんを捉えている氷樹の根元へ食い込んだ。


『よしっ、このまま切り倒せっ!』


 弾かれることなく、三枚刃の大鎌は太い幹を切り裂いていく。手には斬られまいとする抗うような抵抗を感じる。

 もう半分だ。俺は手に力を込めて、大鎌を振り抜いた。

 氷樹の根元は完全に切り離された。その途端、大勢の悲鳴のような声が氷樹から聞こえた。鼓膜にキンキンと響き、酷い頭痛を引き起こすほどだった。


「くっ」

『なんだ……この声は!? それに10人や100人っていう数じゃないぞ』

「頭が割れそうだ」


 途轍もない数の声が反響して、声を高め合っている。増幅された悲鳴が、俺の魂の深い場所を大きく揺さぶるのだ。


 揺れ方が乗り物酔いのレベルを遙かに超えている。立っていられなくなり、思わず膝を地面に付けてしまう。


 切り倒した氷樹は悲鳴を上げながら、ゆっくりと霧散し始めた。

 声が収まった頃には氷樹は消え去って、父さんが横たわっていた。俺はまだ耳に残っている悲鳴を振り払うように頭を横に振った。


『立てるか?』

「なんとか……」


 もう一人の俺の攻撃や今回の悲鳴は、魂に直接ダメージが届くので、まさに防御不能って感じだ。どんなに強くなろうと魂は鍛えようがないので、精神世界では思いも寄らぬことで大ダメージを負ってしまう。


「グリードは大丈夫か?」

『多少こたえた程度だ。俺様は武器だから、お前と違って抵抗があるようだ』


 俺は黒鎌を黒剣に戻して、鞘に収めた。氷の地面に手をついて、立とうとするが足に力が入らなかった。弱った体に凍てつく寒さがより一層染み込んできているようだった。


『俺様を杖代わりにしろ』

「すまない」


 鞘に収めたまま黒剣を地面に立てて、やっと起き上がることができた。


『満身創痍だな』

「中身の魂がな」


 俺がもたもたしている間にも地面に倒れた父さんは、周りの氷樹から発せられる冷気に晒されている。きっと父さんの魂は俺以上に弱っているはずだ。


 父さんの顔色は真っ青だった。体が恐ろしいくらい冷たい。この体温なら現実なら死んでいる。でもここは精神世界だ。魂が消滅しない限りは大丈夫なはず。


 俺は残った力を振り絞って、父さんを抱き起こした。


「氷樹の林から出さないと」

『急げ、フェイト。お前もここの寒さに限界が近いぞ』


 俺が氷樹の林を出ようしたとき、周りの木々はそれを阻むように冷気を強めた。

 着ている服がみるみるうちに凍り付いていく。それは父さんも同じだった。


 ここで立ち止まったら、きっと俺たちは氷樹のようになってしまうだろう。そうなってしまえば、永遠に暴食スキルの世界に閉じ込められることになってしまう。ジエンドである。


 俺は父さんを担いで、足を引き釣りながら、氷樹の林の出口に急いだ。

 足先はすでに凍り付いていた。感覚はなく、そこから冷たさが全身に流れ込んでくる。


 指先ももうじき同じように鳴るだろう。握力がなくなってしまうまでに、なんとしても氷樹の林を抜けるんだ。


『踏ん張れ、フェイト!』


 グリードは何もできない自分が歯がゆいようだった。以前の彼なら、人間の姿で俺を助けてくれた。だが、精神世界に来てもずっと武器のままだ。

 彼が適応できないほど、この世界は変わってしまったのだ。


 氷樹の林の出口が見えてきた。それに合わせて、冷気はどんどん濃くなっていく。

 視界が冷気で真っ白になってしまう前にっ!


『よくやった!』


 グリードの声で、俺は氷樹の林の外へ出られたことがわかった。

 体中が凍り付いて、視力がほとんど奪われていた。父さんを地面に置いて、俺も倒れ込んだ。ここもかなり寒いが、氷樹の林よりはずっといい。


 魂がまだ冷え切っていないからだろう。体中に張り付いた氷がパラパラと砕けて地面へ落ちていく。それでも手足の感覚は戻らなかった。


 父さんを見ると、より一層顔色が悪い。


『このままでは魂に負荷がかかりすぎて、消滅していますぞ』

「どうすれば……」


 急いで俺は黒剣を黒杖に変えて、黒炎を作り出す。これで暖を取れたらと思ったのだ。

 しかし、全く温かくない。黒炎では魂を暖めることができなかった。


 こうしている間にも、父さんの魂はどんどん弱っていく。助け出したのが失敗だったのか……。父さんを起こそうと、肩を揺らすが反応がない。


「父さん……」


 俺が見守る中で、父さんの体が凍り付いていく。手足に始まり、体の中心へ向かって氷が伸びていく。俺はそれを手で振り払って、侵攻を止めようとする。

 しかし、氷は父さんの体を包み込み、最後は顔を残すのみとなった。体には氷樹の苗が生え始めていた。


 そのとき、父さんの口が開いた。


「……カテリーナ」


 微かな声で女性の名前を呼んだ。この名前には記憶がある。

 幼い頃、父さんと一緒に祈ったお墓。そこに刻まれた母さんの名前だった。


『フェイトっ!』


 すぐに異変を察したのはグリードだった。赤い空から流れ星のような光が落ちてきて、父さんの凍った体に当たった。その衝撃で、体中に張り付いていた氷が一瞬にして砕けて消し飛んだ。側にいた俺の氷も同じように消え去っていた。


 そして、今までに感じたことがないほどの温かみに包まれた。柔らかな感覚で、とても安心してしまう。

 傷だらけだった魂が回復していく。もう一人の俺に付けられた胸の傷も、凍傷によって動かなくなった手足も元通りに治っていく。

 父さんも同じだった。あれだけ真っ青な顔をしていたのに、みるみるうちに顔色が良くなっていく。父さんに落ちた光はさらに強まる。目を開けていられないほどだった。


 そんな中でも俺は常に心穏やかだった。光の温かみの強さにずっと浸っていたかったからだ。


 光が収まり目を開けたとき、俺と父さんは真っ白な世界にいた。

 俺の精神世界によく似ている場所だった。なぜ違うかとわかった理由は、あまりにも狭い世界だったからだ。俺が泊まっている城の客室くらいしかない。


 ここは誰の精神世界なのだろうか。見回してみても、持ち主らしい人はいなかった。

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