第305話 ディープダイブ
俺は足元の真っ白な地面を見ていた。
ここから下は暴食スキルの世界だ。出来損ないの神を喰らってからは踏み入れたことがない。どうなっているかは未知の世界だった。
『心の準備はいいか?』
「いつでもいける」
『なら、俺様を境界面に突き刺せ』
境界面とは真っ白な地面のことだ。グリードが暴食スキルの世界への道を切り開いてくれるようだ。
暴食スキルに近しい俺が入り口を開ければ、不要な刺激を与える恐れがある。ここはグリードに任せた方が得策だ。
俺は鞘から黒剣を抜いて言う。
「頼むぜ、相棒」
『得意分野だ。任せておけ』
黒剣を境界面に突き立てると、ゆっくりと亀裂が生じていく。そしてガラスが割れたような音が鳴り響いた。
黒剣を中心に人が一人ほど入れるほどの穴が空いていた。下を覗き込むと漆黒で何も見えない。俺がいる真っ白な世界とは対照的な世界が広がっていた。
「相変わらず、不気味だな」
『暴食スキル保持者が怖がったら、この先は誰も踏み入れられないぞ』
「ただの感想だ。恐れていないさ」
『ここから先は暴食スキルに喰われた者たちが彷徨う場所だ。お前に恨みを持っている者もいるだろう。気を引き締めろよ』
暢気に散歩できる場所だったら、どれほど良いことだろう。
俺は大きく深呼吸をした後、暗闇へと飛び込んだ。
光もない世界に落下していく。次第に寒さを感じた。それは下へ行くほどどんどん冷たくなっていく。精神体の状態なのに、これほどの寒さを感じるのは初めてのことだった。
魂に直接染み込んでくるように体の内側から冷えていくのだ。現実とは違った感覚だった。吐き出す息も白くなっている。
以前に訪れた暴食の世界は灼熱のような場所だった。それが出来損ないの神を喰らったことでここまでの環境が激変しているとは思ってもみなかった。
180度環境は変わってしまい、別世界だった。
「まだ、底が見えないな」
『以前よりも深いぞ』
俺には底なしのように思えるほどだった。どれくらい落下しているのだろうか。
視界からの情報がまったくないため、次第に距離感や歩行感覚がなくなっていく。
変な気分だった。落ちているはずなのに、浮いているように感じてしまうのだ。
『下を見ろ、フェイト!』
「赤い光だ。あの色には見覚えがあった。俺が飢餓状態になったときに瞳の色と同じだった」
見る者に忌避感を抱かせてしまう色。そして恐れを抱かせる色でもあった。
その光は僅かに輝いたが、次第に大きくなっていった。世界は黒から、血のような赤へと変わろうとしていた。赤黒い色の中で見下げれば、細かい何かが舞っているようだった。
その場所まで下りてくれば、必然的にわかってしまう。
真っ赤な色をした雪だった。赤雪とでも呼べばいいのだろうか。
血を固めて細かく砕いたような雪。それに触れると心の底から冷え込むのだ。
ここに来るまでに感じていた寒さの原因はこの赤雪だった。
「くっ、身が削られるようだ」
『赤雪に触れると俺様まで冷たさを感じるぞ』
「精神世界で凍り付いたら、どうなるんだろ?」
『永遠に目覚めることなく眠りにつく可能性が高い。寝たら帰れなくなるぞ』
「それはまずいな。もし寝そうにあったら、起こしてくれ」
『甘えるな。それよりも俺様が寝そうになったら起こせよ』
「グリードこそ甘えるなって!」
じゃれ合いができているのなら、俺たちにはまだ余裕がある。もう一人の俺に傷つけられた傷に寒さが一番響いてくるけど、まだ我慢ができる。
「底は赤雪が深く積もっていたりしてな」
『そうなら、俺様を黒盾にして上に乗っかって滑っていけばいい』
それはちょっと楽しそうかもしれない。暴食スキルの世界での唯一の娯楽になりそうだ。
気持ちが温かくなったところで、視界いっぱいに赤雪で満たされてきた。
『吹雪いてきたな』
「魂が凍りつきそうだ」
黒剣に赤雪が積もり始めていた。さすがのグリードも辛そうだ。
赤雪を払って、鞘に収める。これで少しは寒さを凌げるだろう。
俺は上着に積もった赤雪を払いながら、降下を続けた。黒い翼があったなら、自由に移動できただろう。今その翼を持っているのは、もう一人の俺だ。
「なあ、グリード。もう一人の俺をいつかは倒さないといけないのかな」
『どうした急に?』
「戦う度にあいつの力が強まっていくのを感じるんだ」
『安心しろ。同時にフェイトの力も強まっている。あいつの言葉を借りれば、お前たちは表裏一体だ。倒そうとは思わない方がいいかもしれん』
「どういう意味だ?」
『お前たちは根っこの部分で繋がっているかもしれん。もしそうなら、倒せばお前も命を失う恐れだってある』
父さんはこの体に俺ともう一人の俺が存在することを知って、危険な方を封印した過去がある。
もう一人の俺を消し去る術を知らなかったのかもしれない。それかグリードの言うとおり、俺たちは魂の奥底では繋がっているから、父さんは封印という形を選んだのかもしれない。
「もしそうなら、俺たちは互いの存在を賭けて戦っても……最後は両方とも死ぬわけか」
『もう一人のお前は、フェイトを殺すことよりも、入れ替わることに執着しているように見える。さきほどの戦いでも、お前を弱らせはしたが、結果的に命までは手にかけなかった』
「あれで手を抜いていたのか!?」
もう一人の俺の攻撃は殺意の塊だった。そんな状況で俺の命に気を遣っていたとは到底思えない。
『可能性の話だ。頭の隅にでも入れておけ。まったく、彼の地でライブラと戦ったときは、仲良く協力していたように思えたのにな』
「あれがきっかけで、はっきりとした意思を持って表に出ようとするようになったんだ。協力するふりをして、虎視眈々とあいつは狙っていたんだ」
『フェイトと違って策略家だな』
俺とあいつは性格が違いすぎる。同じ体を共有した魂なのに。
だから俺たちはわかり合えないのだろう。策略を仕掛けられたら、その距離は遠のくばかりだ。
『こちらも手を持っていた方が良いだろう』
「父さんがやった魂の封印か?」
『そうだ。いざという時にあれば、優位になれる』
魂の封印の方法は知らない。父さんは彼の地での戦いで、暴食スキルに喰われながらも俺にたくさんの力を貸してくれた。それによって、もう父さんの声はあれから聞こえなくなってしまった。今もこの世界に魂が留まっているのだろうか。
アーロンを探さないといけないけど、父さんにも会いたかった。
『父親も探す。欲張りセットだ』
「ケイロスに会わなくてもいいのか?」
『あいつはもう逝ってしまった。かつての使い手だ。俺様にはよくわかる』
ケイロスは彼の地での戦いで、魂のすべてを使い切って消滅してしまったらしい。
俺のために無茶をさせてしまった。もっといろいろと話をしたかった。
『ケイロスは自らずっとこの真っ赤な世界で待っていた。お前という次世代の暴食スキル保持者にな』
「俺は彼の意志を継げたのかな」
『出来損ないの神を喰らって、王国の崩壊……いや人間たちを収穫から救ったことであいつの悲願は果たされた。意志を継ぐなど大それたことを考えなくてもいい。誰もケイロスの代わりにはなれない。フェイトはお前のままでいい』
ケイロスは魂までも消滅してしまった。もう彼の魂の安命すら祈れない。
彼はそれで良かったと思っているかもしれない。それでも、残された俺はやるせない気持ちになっていた。グリードだって、口ではああ言っているけど、同じ気持ちのはずだ。
魂の消滅は肉体の死よりも、悲しいものなのかもしれない。
『底が見えてきたぞ。着地の準備をしろ!』
かつては業火のような場所だった深層は、赤い氷の世界に変わり果てていた。
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