第303話 もう一人の俺
フレディに案内された客室は、俺たち三人でも十分すぎる広さだった。置かれている家具は玄関ホールのような悠然とした木工細工が施されており、見ているだけで心が落ち着いてくるようだった。
俺は寄木細工で綺麗な紋様が描かれたテーブルの前に腰掛けていた。
セシリアはもう一つ用意された客室で、マックスと一緒に休んでいる。まだ、マックスは獣人の姿になってから目を覚ましていない。
フレディ曰く、大きな力を持って魔物から獣人へと逆転生の儀を果たしたことで、体に大きな負担がかかってしまったという。明日、目が覚めなければ、念のため医者に診てもらうことになっている。
『フェイト、お前は寝ないのか? このところずっと寝ていないだろ』
「……そうだな」
ユーフェミアとの会話で堪りに堪っていた眠気もどこかに吹き飛んでしまっていた。それに今寝られたとしても、悪夢にうなされそうだ。
『……アローンのことか?』
グリードは、俺の頭の中で絶えず渦巻いていた名前を言った。
俺がアーロンを殺したという現実感はない。しかし、ユーフェミアの言葉やエリスと謎の聖騎士の態度から、それは真実だと突きつけられている。
俺には到底受け入れられない事実だった。
「ほら、見ろよ……グリード。アーロンの名を聞くと右手が震えるんだ」
『何かがあったことだけは事実だな。まだお前がアーロンを殺したというはっきりとした証拠はない。それにまだ記憶を取り戻していないだろ』
ユーフェミアが言うには、半年前のガリア侵攻で俺とアーロンが戦ってガリアの沿岸部を吹き飛ばした。そして、俺は消息不明となり、アーロンはそのときに死んだらしい。それがユーフェミアの見解だった。おそらく、どちらか一方しか生き残れないような激しい戦いだったのだろう。
消息不明となった俺は、その後ルイーズ島に流れ着いた。そこからの記憶ははっきりとしている。セシリアと出会い、聖都オーフェンへ向かった。
あのときは初めての新世界だと思っていたけど、10年ほど前にすでに王国の外の世界にいたわけだ。
俺はテーブルから席を立ち、バックパックが置いてある棚へ向かった。
その中から取り出したのは布に大事そうに包まれた聖剣だ。
鞘から聖剣を引き抜いて、剣身を見た。ラムダによって、よく磨かれており鏡のようだった。長さは短いが、やはりアーロンの物とよく似ている。彼の聖剣はいつも手入れが行き届いていた。よく見ると、ガードにいくつもの傷を補修した跡があった。この跡は持ち主が歴戦の中に身を投じた証拠でもあった。
あの若い聖騎士が持つ剣としては、似つかわしくない。
やはり……本当の持ち主は……。
聖剣を鞘に収めて、大きく深呼吸する。
もし俺がアーロンを殺しているのなら、知る方法はある。
「暴食スキルへダイブする」
『やめておけ、危険すぎる。出来損ないの神を喰らっている状態だ。昔とは状況が違う』
「承知の上さ。俺が殺しているのなら、暴食スキルによってアーロンの魂を喰らっているはずだ」
『わかっていても行くというのならもう止めん。俺様もサポートしてやる』
「さすがは相棒!」
『調子の良いやつだ』
出だしくらい調子よく行きたい。暴食スキルの世界に入ったら、すぐにそうはいかなくなるからだ。
俺は黒剣をベッドの横に立てかけた。そして枕元には聖剣を置いた
横たわったベッドは思ったよりも柔らかな作りをしていた。沈み込む感覚に身を任せながら目を瞑る。眠るように意識を閉じて、精神世界へと繋げていく。
『フェイト、成功だ』
グリードの声で目を開けると、俺はどこまでも真っ白な精神世界にいた。
俺がいる足元より下が、暴食スキルの世界だ。アーロンがいるとしたら、この下だろう。
「やはり邪魔をするか」
俺は真っ白な床からにじみ出てくる黒いシミを見ながら言った。
それは浮き上がって、人の形になっていく。俺とうり二つの姿で、まるで鏡に映った自分のようだった。
見た目は同じだが、俺たちは相反する存在だ。互いが互いを認めあうことは決してない。一緒に生まれてきながら、一緒にいた時間もありながら、俺たちはあまりにも違いすぎた。
俺は黒剣をもう一人の俺に向けた。やつも真っ黒な大剣を俺の顔へと向けて言う。
「お前から会いに来るとは思ってもみなかった」
「用があるのは、暴食だ。お前じゃない」
「どちらでも同じだ。ここに来た時点でな」
黒大剣を振り上げて、俺を袈裟切りにしてくる。それを黒剣で受け止めながら、押さえつける。
「前のようにはいかない」
「少し力を取り戻したくらいで偉そうに」
「偉そうなのはお前だろ」
黒剣と黒大剣の押し合いが続いた。互いの力は拮抗しているかのように思えた。
「このまま押し通るっ」
「戯けがっ」
もう一人の俺に変化が起こった。背に黒い翼が生えてきたのだ。
2枚……4枚。数が増える度に、黒大剣から伝わってくる力が大きくなっていく。
「ほら、どうした。さきほどの勢いはどこへいった」
「……お前」
「自分だけが力を取り戻していると思ったのか? 俺とお前は表裏一体。お前が光なら俺は影。その逆もしかり」
「一つの体に二つの魂だから仕方ない」
「俺たちは生まれながらに矛盾した存在だ。どの生命でも魂は一つしかない。聖獣人ですら一つしかない」
「その矛盾を正そうとでもいうのかっ」
もう一人の俺はにやりと顔を歪ませた。黒大剣を振り上げて、俺を弾き飛ばす。
そして、四枚の黒い翼を羽ばたかせて、舞い上がった。
「フェイト・グラファイト。お前はいらない」
黒大剣から黒稲妻が迸る。
『フェイト! 気をつけろっ』
グリードが俺の反応より先に黒剣から黒盾に変えてくれる。
その途端、巨大な黒い稲妻が幾重にも降り注いできた。真っ白だった世界が、黒く塗り潰されたからのようだった。
黒盾の防御を掻い潜って、僅かな黒い稲妻が俺の体に触れた。それだけで、吐き気を催すほどの痛みが全身を駆け巡る。これは魂への直接攻撃だ。おそらく、これは俺という魂を消滅させるためだけに編み出された技に思えた。
黒盾にしているのが少しでも遅れていたら、俺は今頃消滅していただろう。
「勘の良い武器だ。だが武器頼りで防ぎきれるか?」
黒大剣から発せられる黒い稲妻の形状が変化した。蜘蛛の巣のように広がって、俺を取られて貫こうとする。
それを黒盾で押し切って逃げる。しかし、黒い稲妻は方向を変えて、俺を追ってきた。
「こっちもやるしかない」
『狙いは俺様に任せろ』
距離をできるだけとって、黒盾から黒弓へと変える。
精神世界ならステータスを捧げなくても、奥義を使うことができる。重要なのは精神力だ。この場所で奥義を多用しすぎれば、精神がすり減ってしまい魂にまで影響してしまう。それだけは頭に入れておきながら、第一位階の奥義——ブラッディターミガンを放つ!
「いけっ!」
禍々しく成長した黒弓から生まれた黒い稲妻。もう一人の俺からの攻撃とよく似ていた。互いの稲妻がぶつかり合い、幾重にも相殺されていく。グリードのコントロールは完璧で、俺を狙う攻撃をしっかりと撃ち落としていた。
それだけでは終わらず、ぶつかり合いから飛び出した一筋の黒い稲妻が、もう一人の俺の頭上から落雷した。
『くっ、やるな』
やつは黒い翼で上に向けてガードしていた。あの翼は見た目以上に丈夫らしい。俺が彼の地での戦いで生やしていた翼よりも強度が高そうだ。
ブラッディターミガンの一部とはいえ、第一位階の奥義を受けて、羽の一枚も乱れていないのだ。
「まだ、始まったばかりだ。お楽しみはこれからだろ?」
黒大剣を俺へ振るっただけで、かまいたちを含んだ突風が吹き抜けていった。
頬にできた傷はすぐに治る。ここは精神世界だ。この程度の傷なら大したことはない。
それはもう一人の俺も同じこと。黙らすには、大ダメージを与えるしかない。そして、ここを通してもらう。
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