第302話 君主

 重い扉を押し開けると、広々とした謁見の間の奥に玉座に座る君主がいた。淡い青い肌に、アメジストのような紫色の髪。一目見ただけで、彼女が高貴な者だとわかってしまう。

 特に目が印象的だった。黄金色の瞳の周りが真っ黒なのだ。

 俺は白目の部分が黒い者を初めて見た。君主の両脇に控えている従者の二人も、瞳の周りは白い。

 おそらく君主だけが持つ特別な目なのだろう。見つめられるだけで彼女の強い眼力によって、目が離せなくなってしまう。


「こちらへ」


 従者の一人が立ち止まっていた俺たちに向けて声をかけた。

 その声で我に返る。どうやら俺たちは君主の視線によって動けなくなっていたようだ。

 歓迎されているはずだ。堂々と君主のところへ歩いて行こう。


 玉座は俺たちがいる場所と区切るように数段上に設けられていた。構造は王都セイファートにある城と似ていた。やはり偉い者は高い位置にあるのが常のようだ。


 必然的に俺とセシリアは君主を見上げる形となった。

 相手に危害はないことを見せるために、俺たちは君主の前で跪いた。

 その様子に従者たちはどこか安心した顔をしていた。

 君主は柔らかそうな純白のドレスを翻して、セシリアをじっと見つめた。急に俺から視線が移動したため、少々彼女は戸惑っているようだった。

 だが、すぐに目線を俺に戻して君主は口を開く。


「よく戻った。ナハト」


 短い言葉だった。でも、とても彼女の優しさが伝わってくる声色だった。

 俺が頭を下げると、今度はセシリアに向けて声をかける。


「そなたの名は?」

「セシリア・フロイツです」

「フロイツ? 聖都オーフェンの統治者と同じ名だ。その血脈のあなたがなぜナハトと行動を共にしているのだ?」


 セシリアは言い淀んだが、君主に聖都オーフェンについての成り行きを説明した。


「そうか……。やはり聖都オーフェンも崩壊してしまったのか。残念なことだ」


 彼女はやはりと言った。予期していたのだろうか。しばし君主は物思いにふけっていた。

 そして一人で頷くと、セシリアに向けて言う。


「我らは近い種族だ。故郷や同胞を失った悲しみ……心中お察しする。そなたに廃都オベルギアに留まることを許そう。我がユーフェミア・アーヴィングの名において」

「恐れ多いお言葉……謹んでお受けいたします」


 他種族であるセシリアがダークエルフの世界で苦労しないか心配した。こうしてユーフェミアから滞在許可をいただければ、彼女の身の安全は保証されたようなものだろう。


 すでにフレディから友好的な態度で接してもらっているから、より一層の安心感がある。ハイエルフの世界では、初めの頃の彼女は差別で苦労していた。それもあり、ユーフェミアの気遣いはとても嬉しかった。


 ホッとしていたら、ユーフェミアにその顔を見られてしまった。わずかに微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。


「ナハトよ。そなたがこの地を離れて状況は大きく変わってしまった。5つの島が一つになり、聖地ガリアと繋がった。今こそ、我らの悲願。豊穣なる大地……聖地ガリア奪還のために再度侵攻するときだ」


 俺たちはユーフェミアの言葉に何も言えなかった。

 恐れていた事実を君主の口から告げられてしまったからだ。

 やはり俺は王国と敵対していたのだ。しかも、ダークエルフたちと一緒になって、ガリアに攻め込んだ過去があるようだった。


「そなたは人間を憎み、我らは聖地を独り占めにする人間を許さなかった」


 俺が………人間を!? そんな馬鹿なことがあるかっ!


「三賢人と同じ聖獣人の血を引いて生まれてきた奇跡の子よ。半分が人間でありながら、人間たちに決して受け入れられない悲しき子よ。今一度、我々に力をお貸しいただけるか?」


 ユーフェミアは玉座から立ち上がって、俺へと手を差し伸べてくる。セシリアがどうしたらいいのか目を泳がせていた。俺だって同じだ。


「共に人間たちを駆逐しようぞ。セシリアも驚くことはない。我らの大地は寿命を迎えようとしている。だから生まれ故郷へ戻るだけだ。その権利は我々にある」


 俺がずっと口をつぐんでいることに、ユーフェミアは眉をひそめた。困っていると言うよりも、心配してくれているようだった。


「あの人間……アーロン・バルバトスのせいだな」

「えっ」


 思いもしなかった名前に俺が思わず声を漏らしてしまうと、彼女は得心がいったような顔をした。


「あの者はそなたの義父であったな。幾度となくガリアへ侵攻したが、アーロン・バルバトスによって、そなたは阻まれておった。我から見ると、あの者を前では力が思うように使えないようだった」


 俺は過去にアーロンと戦っていた!?

 王国と敵対するのなら、聖騎士であるアーロンは必ず前線に出てくるはずだ。ならば剣を交えていてもおかしくなかった。


 なぜだろう。急に右手が震えてきた。記憶はないのに体は激しく反応した。


「半年前の最後の侵攻の折に、そなたとアーロンは激しい戦いを繰り広げた。それはガリアの沿岸部を消し飛ばすほどの爪痕を残した。今でも我らの語り草になっておるほどだ」


 ユーフェミアは玉座から離れた俺のところへ階段を下りてくる。


「ナハトは言った。アーロンとの繋がりによって、自分が強くなれば彼も強くなってしまう。王国の中で誰よりも彼を殺さなければいけないと。そして、そなたは生きて帰ってきた」


 彼女は俺の顔をしっかりと見ようと、間近に迫ってきた。


「とうとう殺せたのだな。アーロン・バルバトスを」


 俺は謎の聖騎士が俺を恨む理由がわかった気がした。俺をフェイト・バルバドスではなく、フェイト・グラファイトと呼んだ理由も……。

 彼女が俺に投げつけてきた聖剣……あれはアーロンの物だった。

 やはり俺は裏切り者だ。そして、俺はアーロン・バルバドスを殺している。


 王国からの刺客として、わざわざエリスが先陣を切ったのも、敵側に俺がいたからだ。何度もガリアに侵攻したのなら、彼女とも幾度となく戦っているはずだ。もう話し合いができる状況はとっくに過ぎ去っていた。


 気がつけば、首筋に沢山の汗をかいていた。


「すまぬ。嫌なことを思い出させてしまったようだな。なにせ、あの戦いで半年も消息不明になってしまうほどだ。人間でありながら、ナハトをここまで追い詰めるとはまさに武神のような男よ」


 ユーフェミアは強い者にはたとえ人間であっても敬意を表す人みたいだ。

 俺は彼女の顔を見るどころではなかった。頭の中でずっとアーロンの顔が浮かんでいたからだ。……そして、優しそうな顔をする彼を殺してしまったという罪悪感に苛まれていた。


「すまぬ。少々喋りすぎてしまった。ナハトよ。旅の疲れをしっかりと癒やされよ。来るべき、聖地奪還に備えて」


 俺たちはユーフェミアにお辞儀をして、謁見の間を後にした。俺たちが出て行くまで、彼女は終始笑顔だった。それだけ俺の帰りを待っていてくれたのだろう。



 謁見の間から出ると、フレディは通路のど真ん中に立っていた。

 どうやら俺たちの話が終わるまでずっと待機してくれたみたいだった。


「我が主もこれで安心されます。ナハトがいなくなってから、食事をあまりされなくなってしまいましたから」


 フレディは謁見の間を守る近衛兵に、今日は誰も通すなと伝えた。弱ったユーフェミアを思ってのことだろう。俺たちと話しているときは、そのような素振りは一切感じなかった。君主という立場にいる者は、並の精神力では務まらないのかもしれない。


 俺も気をしっかりと保たないと。アーロンはナハトの宿敵だった。彼を殺したことで気に病んでいる姿を見せたら、ダークエルフたちに違和感を与えてしまう。

 そんな俺の肩にセシリアが手を乗せてきた。俺はその温かな手に自分の手を重ねて、大丈夫だという意味を込めて頷いた。


「フレディさん、マックスを休ませている部屋まで案内していただけますか?」

「もちろんです。そのためにここに来ました」


 謁見の間を背にして、通路を歩いて行く。ユーフェミアにお目通りするために、順番待ちしていた者たちは誰一人としていなくなっていた。

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