第301話 謁見の間

 城の周りには堀水が張ってあり、淡水魚が泳いでいた。大きさも然る事ながら綺麗な紋様が入っている。セシリアがその魚を見ながらフレディに聞く。


「お城に相応しい見事な魚ですね」

「あれは観賞用であり、非常食でもあるんです。我が城の主のお考えなのです」


 君主は食に対して並々ならぬ執着心を持っているようだった。寒さによって食料生産もままならないからだろう。


 城門の前には堀水を通るための大きな跳ね橋がかかっていた。

 さらに城門には矢狭間や落とし格子も見えた。エルフやハイエルフの街ではこのような物々しいものはなかった。セシリアの目には、ダークエルフは話に聞いていたとおりの好戦的な種族だと映ったようだった。


 俺もこの城に住まう君主が、とても平和的な人物だとは思えなかった。


 吊り橋は下ろされており、兵士のダークエルフが二人が門番として常駐していた。

 フレディが彼らに向けて手を振ると、兵士たちは手に持っていた槍を掲げて向かい入れてくれる。


「さあ、お入りください」


 俺たちはフレディに促されて、吊り橋は渡っていく。厚い木の板で作られており、3人が上に乗っても、軋む音一つしなかった。


「兵士の人たち、あなたの顔を見ながら、すごく緊張していたわ」

「みたいだな」


 俺が過去にナハトとして、彼らに何かやったのだろうか。明らかにトラウマレベルのことを彼らに植え付けているような反応だった。

 セシリアの話を聞いていたフレディは笑いながら言う。


「彼らはナハトから戦闘の指導を受けていましたら、今もそのときのことを思い出してしまうのでしょう」

「あははは……やり過ぎてしまったかな」


 全く記憶にないのだが、とりあえず話を合わせておこう。


「そのようなことはありません。あれ以上、手を抜いてしまえば、彼らのためにはなりません。それにあなたと手合わせしたい者が沢山います。直々に指導してもらえた彼らは幸せ者です」


 すごい早口で熱弁されてしまった。フレディは戦いが大好きなのだろう。その部分だけはよく伝わってきた。この調子だと俺が暇をしていると、また手合わせを申し出てくるかもしれない。


 ダークエルフの手合わせは、命を賭けている感じがして好きにはなれない。丁重にお断りしたいところだ。


 やれやれと思っていると、フレディがセシリアのレイピアを見ながら聞いてくる。


「よく手入れされたレイピアですね。ナハトと一緒にいるのなら、お強いのでしょ?」

「いえいえ、私はまだまだです」

「ご謙遜を。よろしければ、私の部下と戦闘訓練をしてみませんか?」

「えっ」


 いきなりの話にセシリアは俺の顔を見た。どうしたらいいのかを決めかねているようだった。俺は彼女の好きなように選べば良いという気持ちを込めて、頷いた。

 しばらく考えた末、セシリアは戦闘訓練に参加することに決めた。


「ぜひ、お願いします」

「やはりナハトのお仲間だ。わかりました。どのような相手をご所望ですか?」

「多彩な飛び道具を使う相手がいいです」

「ほう。それは面白そうですね」


 飛び道具の使い手と聞いて、俺はすぐにゲオルクの顔が思い浮かんだ。セシリアはせっかくの戦闘訓練を利用して、ゲオルクとの戦いに備えようとしていた。

 ダークエルフは戦い好きだ。この機会を有効に使った方が良いだろう。


「ナハトも一緒にどうですか?」

「フレディ以外で頼む。あと命がけはなしだ」

「あははっ、先に手を打たれてしまいました。ならば、ナハトのお気に召す相手を用意いたしましょう」


 俺もセシリアのことを言ってられない。腕を上げていくなら、実戦を兼ねた対人戦に限る。得られる経験は、日頃行っている素振りなど比にならない。

 さきほどフレディと戦った時のような命のやりとりがなければ、腕をさらに上げるためにも参加するべきだ。

 それにフレディの誘いを無碍にはできない。


 城門を通って進むと、大きな中庭……いや畑があった。


「小麦が栽培されているわ」

「ここなら外よりも寒さをしのげますから」


 成長が早く、寒さにより強い小麦の品種改良を進めているという。今のところ目立った成果は出ていなさそうだった。これも君主の命によって進められていた。


「もう少ししたら、穂が黄金色になるでしょう。そのときにはパンをご馳走します」

「いいですか? ここでは小麦は貴重なのですよね」

「私たちは馬鈴薯だけを食べ慣れていますが、お二人はそうではないでしょ。歓迎する食事がパンとはさみしい話ですが」

「そんなことはないです。ありがたくいただかせてもらいます」


 パンを出してもらったときには、ダークエルフからの最大級のもてなしだと覚えておこう。

 フレディは俺の顔を見ながら言う。


「あなたはここで取れた小麦で焼いたパンが好まれていました。私たちとしても、ご馳走できることが嬉しいのです」

「……俺も楽しみにしている」


 俺の言葉を聞いた彼はすでに嬉しそうだった。パンを食べるときには、思い出深そうにするべきだろう。食べた記憶がないから、想像力を全開にして演技しよう。


 小麦畑の中庭を歩いて行くと、手入れをしているダークエルフの老人がいた。

 彼は笑顔で俺に向かって手を振っていた。それに応えると、彼は少し驚いた顔をしていた。だが、すぐに作業に戻ってしまったので、その表情をした理由はわからなかった。


 城の中は、木材をふんだんに使った装飾に目を奪われた。磨き抜かれた木材は経年によって深みのある色へと変わっている。大きな壁一面に、小さな薄い板を幾何学的な紋様に組み上げた木工細工が施されていた。

 色合いは木の色だけ。一見は質素に見えるが、類い希な木工技術によって落ち着きがありながら、君主が住まう城としての威厳をしっかりと知らしめていた。

 セシリアも俺の横で感心しながら、城の玄関ホールを見渡していた。


「素晴らしい木工技術ですね」

「ここは城の顔ですから、職人たちが全身全霊を持って仕事に当たりました。廃都オベルギアでは木材は稀少品です。これほど、ふんだんに使用しているのはこの城だけです」

「寒さで木の成長が遅いからですか?」

「そうです。そのかわりゆっくり育つことで、硬くしっかりとした優良材になります」


 玄関ホールの正面には大階段があった。これも木材で作ってあり、階段細部まで装飾が施されていた。

 フレディに連れられて、その大階段を上り2階へ移動する。まっすぐ通路を進んでいく。途中、いくつもの部屋が見えた。これは君主へ謁見をする者のための控え室だという。

 普段はここで順番待ちをして、だんだんと君主がいる謁見の間に向かって、部屋を移動しながら近づいていくのだ。俺たちは、その必要もなく一直線に謁見の間へと歩いて行く。


 途中、部屋で謁見待ちをしていた身分の高そうな人たちが俺たちを見ていた。彼らは、俺を向かい入れてくれたダークエルフたちとは、表情が違っていた。

 俺と目を合わすと恐れ慄き、部屋の奥へと逃げ出す者までいた。その様子に思わず、声を漏らしてしまう。


「化け物扱いだな」

「まさにその通りです。腑抜けどもには良い薬です。ナハトが戻ってくれば、もう彼らには立つ瀬がない。あなたが生きて戻られたとなれば、ああなります」


 フレディは生きて戻ったと言った。死んでしまうようなことを過去の俺はしていたようだった。

 俺を見て、次々と怯える身分の高そうなダークエルフを尻目に、フレディは上機嫌だった。足取りもとても軽そうだ。


 これ以上ないほどの木工細工が施された大きな扉の前で彼は止まった。


「この先が謁見の間です。ナハトがお持ちの彼女は私がお預かりします」

「……頼む」

「ここからはお二人でお進みください」


 フレディは俺からマックスと受け取ると、大事そうに抱えて来た通路を引き返していった。扉の前には近衛兵と思われる二人が姿勢を正して立っていた。

 彼らは俺たちをじっと見つめ続けていた。敵意など一切感じられない。


 俺がこの扉を開けてはいるのを今か今かと待っているようだった。帯剣した俺たちが謁見の間に入ることをなんとも思っていないようだ。

 思い返してみれば、廃都オベルギアにやってきてすぐにフレディに歓迎され、城に一直線だ。そして待合室を使わず、会う約束もしていないのに、君主と面会しようとしている。


 俺の知らないナハトは、君主にとても信頼されているのがよくわかる。

 

「開けるよ」

「ええ、いつでも」


 セシリアは大きく深呼吸をした。俺はそれが終わったと同時に、謁見の間の扉を押し開けた。

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