第300話 廃都オベルギア

 光の中で、マックスはフェンリルの姿に変化が現れた。もふもふだった体の毛並みは短くなり、消え失せていく。そして手足が人間と同じ物へ。


「獣人になっていくわ」

「かなり時間がかかっていますね。これは大物ですよ」


 フレディの言ったとおり、マックスの獣人化はエルフの街のときとは違っていた。

 天より落ちた稲妻がマックスに当たって周囲に迸る。周りの木々が燃え上がり、地面には黒い焦げ跡を付けた。


 光が収まった時には、獣人化したマックスが宙に浮いていた。


「女の子だったのか」

『俺様もてっきり雄だと思っていたぞ』

「二人とも失礼よ。私は女の子って初めからわかっていたわ」


 野性味溢れる体付きは、フェンリルだった頃の名残だろう。

 髪の色も同じだ。パープルシルバーの柔らかそうな色をしている。セシリアの髪色であるホワイトシルバーとは色の系統は似ているが、光の当たり具合で全く違う色に見えた。


 俺は上着を脱いで、裸のマックスにかけて抱き上げた。


 彼女は虚ろな紫色の目で俺の顔を見ていた。次第に瞼が下がり、眠ってしまった。

 たまに獣耳をピクピクと動かしていた。眠りながら周囲の警戒をしているのかもしれない。あどけなさはまだ残っているけど、過酷な自然で生き抜く術を体で覚えているようだった。


『やんちゃそうな顔をしているな』

「寝ていても元気いっぱいって感じだな」


 大きく口を開けて寝ている姿を見ていると、セシリアが近づいてきた。マックスの顔をもっとよく見ようと覗き込んだ。


「可愛い顔をしているわね。ちゃんと責任を持ってね、フェイト!」

「セシリアもママ役だろ」

「わかっているわ」


 まずは人としての日常生活ができる程度を目指そう!

 言葉が話せるかもわからないし、テーブルの上で食事できるかもあやしいからだ。

 女の子を俺一人で面倒を見るのはハードルが高すぎた。


『初めは自分がフェンリルから獣人になったことを受け入れるところからだな』

「目が覚めたらびっくりするだろうな」

「どこか落ち着ける場所があればいいだけど」


 側にいたフレディがにっこりと笑顔で、提案してくれる。


「我が主の城に客室があります。そちらをご利用ください」

「獣人をダークエルフの街へ入れてもいいんですか?」

「彼女は獣人である前にナハトの眷属です。他のダークエルフよりも特別ですよ。もちろん、あなたもです。セシリアさん」


 その口ぶりだと、俺と一緒にいなかったら、歓迎はしなかったとも取れる。

 彼女もそれを察したようで、口が少々引きつっていた。


「さあ、参りましょう。我が主君がお待ちです」


 フレディはそう言って、歩き出した。他のダークエルフたちとはここでお別れのようだ。今は食料生産に忙しい時期だ。もしかしたら農作業へ戻っていったのかもしれない。


 小さな森を抜けると、一面に農地が広がっていた。ダークエルフたちが鍬を持って土を掘り返していた。


「馬鈴薯だわ」

「私たちの主食ですよ。エルフは小麦と聞きいますが」

「はい。大麦も作られていました」

「それは羨ましいですね。我々には作物を選ぶ余裕すらありません」


 厳しい環境だが、作物は育てられている。彼らにとって食事は楽しむものではなく、生きるためのものだろう。そんな最低限を維持するための農地に見えた。

 さらに先に進むと、大きな湖が見えた。エルフやハイエルフの街で見たものと同じだ。

 近づくと、潮の匂いがした。塩湖だ。


「漁はしていないんですね」

「今は禁漁です。作物が育てられなくなれば、漁の季節ですよ」


 限られた資源を有効活用しているみたいだ。凪の季節は農業の精を出し、極寒の世界では塩湖に張った氷を砕いて、漁をするという。塩湖はハイエルフの魔都ルーンバッハと同じで、島の外の海と繋がっていた。しかし、その道に狭い場所があり、魚が沢山塩湖にやって来られない。そのため、禁漁する期間を設けて、漁獲量が減らないようにしていた。


「この塩湖で捕れる魚は脂が乗っていて美味しいですよ。今は食べられませんが」

「立派な塩田もあるんですね」

「塩水だけは豊富にあります。ですが、凪のときでしか塩を作れませんから、皆忙しくしています」


 極寒の季節になれば、塩湖は凍り付いてしまい使い物にならない。


「忙しい時期に来てしまったな」

「いえいえ、凪だからナハトを出迎えることができました。この時期は皆の心にも余裕があります」


 道は良く整備されている。収穫した作物を効率よく街へ運ぶためだろう。

 平らな石畳がダークエルフの街まで続いていた。行き交うダークエルフたちが俺を見ると、好意的な笑みを向けてくれる。


「大人気ね」

「我らのナハトですから、当たり前ですよ」


 ダークエルフの子供たちに囲まれてしまって、どう対応したらいいのか困っていると、フレディが子供の一人の頭に手を置いて言う。


「うれしいのはわかるが、ナハトはこれからお城へ行かないといけない。邪魔をしてはダメだよ」

「は〜い!」


 子供たちは、はしゃぎながらもフレディの言うことを聞いて、親の元へ駆けていった。

 セシリアは子供たちに向けて和やかに手を振りながら呟いた。


「子供がこんなにも多いなんて……」


 一家族に一人以上の子供がいる。エルフの世界でも、これほど子供は多くなかった。

 ハイエルフの世界に至っては、何百年も子供が生まれていない。それなのに、ダークエルフは繁栄しているようだった。


「子供は我々にとって宝です。ダークエルフはあなたと違って、寿命は200歳ほどの短命ですから。命を繋がないとすぐに絶滅してしまいます」


 エルフの寿命は1000年ほど。ハイエルフの寿命は数千年。寿命が延びるほどに、子孫が残せなくなっているような感じがした。


「フレディさんはおいくつなのですか?」

「私は今年で60歳になります。セシリアさんは?」

「200歳です」


 それを聞いたフレディはセシリアの容姿を見ながら言う。


「我々からしたら、恐るべき寿命の長さです。それも見た目はとてもお若い」

「エルフから見たら私はまだ若輩者です」

「ご謙遜を」


 この中では俺が一番の若輩者だ。そして一番の最年長はグリードだろう。

 今は静かにしているが、内心でドヤっているに違いない。


 ダークエルフは寿命が人間に近いせいか。彼らの雰囲気は、故郷である王国の人々を思わせた。


 街への入り口には兵士がおらず、誰でも自由に行き来できるようになっていた。

 エルフやハイエルフの街とは違い、獣人がいないからだろう。単一種族しかいないため、支配する種族と支配される種族という関係が存在しない。一見すると平和そうに感じられた。


 街は山の上から見たとおり、真っ黒な建物が並んでいた。この建物は三賢人がいたときに造られた研究施設だという。彼らが去った後にダークエルフたちが住居として利用していた。


 セシリアは見たこともない外観に興味津々だ。黒い壁に触りながら、フレディに聞く。


「冷たくも温かくもないですね」

「この壁は超断熱の素材です。長年の雨風にも耐えるほどの耐久度も持っています」

「中は暮らしやすいですか?」

「おかげで、凪が終わった後も寒さを凌ぐことができています」


 今も研究施設だった住居は昔の機能を失っておらず、至るところで何かの機器が稼働している音が聞こえてきた。かなりうるさいが建物の中へ入ると全くその音が聞こえなくなるという。


 フレディの案内でだんだんと城に近づいてきた。遠くからだと真っ黒で細かい外観がわからなかった。しかし、一歩一歩近づいていくごとに、その外観が露わになる。

 今まで俺たちが見てきた街並み。それらに使われた建材を継ぎ接ぎのように、組み合わせて造られたような城だった。

 フレディはセシリアの表情を見た後、目線を城へ移した。


「見た目はお世辞にも綺麗とは言えませんが、我々の手で造り上げた城です。中は満足していただけると思います」

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