第299話 大槍使い
長身のダークエルフは和やかな顔で俺をナハトと呼んだ。
彼は俺のことを間違いなく知っている。
「おや、変わった御仁を連れいていますね。加えて魔物とはあなたらしい」
セシリアとマックスを一瞥しながら言った。
そのとき、後ろにいたダークエルフの一人が大槍を投げつけてきた。
軌道は俺の顔を狙っているように思えた。堪らず、セシリアが声を上げる。
「フェイトっ!」
俺は躱すことはしなかった。目の前にいる男の表情が全く変わらなかったからだ。
俺の鼻先で、大槍は止まった。
大槍を手にした彼は肩慣らしと言わんばかりに、振り回してみせる。
そして穂先を俺に向けて言う。
「積もる話もあるでしょう。ですが、まずはこれで語り合いましょう」
俺は心配して近寄ってくるセシリアに対して、手を広げて制する。
ダークエルフは好戦的な種族だという。彼らがいうナハトであることを証明するためにも、この戦いは避けられない。
鞘から黒剣を抜き、大槍使いのダークエルフに剣先を向けた。
それが合図だった。
ダークエルフは自分の倍ほどある長さの大槍を、巧みに操って俺の首を切り飛ばそうとしてきた。なにが語り合おうだ。間違いなく俺を殺しにかかっていた。
その大槍を黒剣で受け流して、懐に飛び込んだ。
俺には彼に危害を加える理由もない。峰打ちで終わらせようとしたとき、右腕が勝手に動いた。もう一人の俺が勝手に表に出てきたのだ。
黒剣の軌道の先は、大槍使いの首元。殺意に満ちあふれた一撃だった。
止めようとしても、右手が言うことを聞かない。
しかし、大槍使いは俺の攻撃をすでに予期していた。腰をひねって体勢をのけぞらせた。紙一重で黒剣を躱して、さっと大槍を収めた。
「まごうなきナハトの剣。このフレディ・テイラー、感服しました」
フレディは顔にある大きな傷を見せながら俺に言う。
「まさか、この傷を付けられたときとまったく同じとは……お人が悪い」
「……語らいは満足したか?」
「十分です。これ以上続ければ、私の首は今度こそ飛んでしまうでしょう」
自分の首に手を当てて、首が飛ぶような仕草をしてみせた。勇ましい顔つきのわりに、お茶目なところがあるようだ。
「長旅でお疲れでしょう。話は我が主の城で伺います」
フレディは背を向けて、グレートウォールへ歩き出した。
残された俺たちは互いに顔を見合わせる。
「出来過ぎているわ」
「ああ、それでも中へ入れるチャンスだ」
頷き合って、フレディの後をついていく。彼が見守っていたダークエルフたちに向かって、手を高らかに掲げる。
途端に、俺の帰還を祝福する声が次々と上がった。誰もが俺をナハトと呼ぶ。
「熱狂的ね」
「俺のあずかり知らぬところでの人気だからな。少々気味が悪い」
『ナハトはお前と違ってカリスマがありそうだ』
「そこは大いに認めるよ」
俺の性格でこのほどの賞賛の的になることはない。しかし、ダークエルフたちは俺をナハトと呼んで喝采している光景は事実だ。
フレディはグレートウォールの前に立って、俺に言う。
「私が道を空けますので、後に続いてください」
「俺たちは自分で開けられるから、大丈夫だ」
「おおっ、精霊と心を通わせられるようになったのですね」
どうやら、過去の俺はグレートウォールを自分で開けられなかったようだ。
早速、俺たちはグレートウォールに触る。人が一人通れるくらいの通路がぽっかりと空いた。
「ワン!」
俺たちの後ろで、切なそうな目をしているマックスがいた。グレートウォールから先は 魔物が入れないのが常だ。
俺たちはマックスの頭を撫でながら言う。
「ここで待っていてくれ」
「ごめんね。ちゃんと会いに来るから」
くぅ〜んと情けない声で返事をするマックス。後ろ髪を引かれる気分になっていますが、入れないのならしかたない。
マックスを置いていこうとする俺たちに、フレディが声をかけてくる。
「連れて行かれないんですか?」
「「えっ!?」」
魔物をグレートウォールの中へ入れて良いのか!?
エルフやハイエルフの世界では考えられないことをフレディは言っている。
驚く俺たちに、フレディは微笑みながら言う。
「いつもどこからか魔物を連れてきては中に入れていたじゃないですか。初めは私たちも驚きましたが、あなたは特別だった。さあ、ナハトの僕を中へどうぞ」
俺たちはフレディに促されて、マックスを呼んだ。
「いいってさ」
「こっちにおいで」
マックスはお留守番から一緒にいられることに大喜びだ。尻尾をぶんぶんと振って、俺に飛びついてきた。
「重いって、自分で歩け!」
マックスがグレートウォールに近づくと、大きさに合わせるように通路が広がった。グレートウォールもマックスが中へ入ることを許可しているようだ。
今までと違う価値観に違和感を覚えながらも、俺たちはマックスと一緒に真っ白な通路を進んでいく。
「グレートウォールに変化はないな」
「受け入れられているみたい」
マックスは初めてのグレートウォールの通路に興味津々で、匂いを嗅いだり、なめたりしていた。思う存分情報を摂取したのだろう。満足した顔で俺たちの後ろを付いて来ていた。
「もうすぐ出口ね」
「山から見たダークエルフの街は真っ黒だったな」
「間近だともっと威圧感があるでしょうね」
後ろを見ると、俺を歓迎してくれたダークエルフたちがぞろぞろと歩いていた。
皆、ひたすらに俺を見つめている。
『熱い視線だな』
「嬉しくないって……」
「それほどナハトは彼らにとって大事な存在なのでしょうね」
俺の一挙手一投足を見逃すまいとしている彼らに、俺は手を振ってみる。
歓喜の声で応えてくれた。俺のやることなすことをすべて好意的に受け止めてくれるようだった。
『ナハトは本当にフェイトだと思えんな』
「ちょっと違和感があるわ」
俺もそう思う。人気者になったことのない俺にとって、恐るべき体験だった。
「君主に会えば、もっとナハトのことがわかるだろう」
『ボロを出さないようにな』
わかっているさ。俺が記憶を失っていることは、知られない方が良いだろう。
好意的に接してはくれているが、俺は彼らのことを全く知らない。下手に弱みを見せれば、態度を豹変させてくるかもしれない。
それにフレディの大槍は俺を試すかのように振るわれていた。相手の出方がまだはっきりしない以上、こちらの手の内も晒すべきではない。
セシリアがグレートウォールの出口を見ながら言う。
「君主ってダークエルフかな? それとも三賢人とか」
『三賢人ではないだろう』
「俺もそう思う」
もし彼らがいたら、これほどの過酷な環境になるだろうか。このダークエルフの都は、とても生態プラントが正しく機能しているとは思えなかった。それにハイエルフの地下施設で、三賢人の行方がわかる痕跡はどこにも残っていなかった。そんな彼らが表舞台にいるとは思えない。
『出るぞ!』
グリードの声と共に、俺とセシリアはグレートウォールの外へ出た。
「緑だ」
「森や川があるわ」
『これは驚いたな。中は外よりも暖かいぞ』
肌寒さはあるが、草木が育つには十分な温度だ。そして空を見上げると、グレートウォールに囲まれた上空だけが、厚い雪雲が薄れて光が差していた。
先にグレートウォールの中へ入って、俺たちを待っていたフレディは言う。
「今は凪の季節です」
「凪?」
セシリアが聞くと、フレディは空を見上げて話し始めた。
「エルフは恵まれた種族だから凪を知らないのですね。ここは三賢人に見捨てられた廃都オベルギア。ここへ来る途中に体験されたでしょう。本来はここも同じように極寒の地です。ですが、一年の内僅かな期間だけ静まるときがある。それを凪を呼んでいます」
ダークエルフたちが、総出で畑に出て農作業をしていた。
「ここではエルフの世界のような作物は育てられない。食事はあなたの口に合えば良いのですが」
「あの……ここには獣人はいないのですか?」
「獣人? ああ、か弱き者たちですか。獣人たちはこの地に耐えきれず、死に絶えました」
「えっ!?」
「エルフならおわかりでしょう。彼らは精霊術が使えない。寒さで満足に暖すら取れないのです」
だから農作業を見て、違和感を覚えたのか。今まで見てきたエルフやハイエルフの世界では、すべての食料生産は獣人が行っていた。
この廃都オベルギアには獣人はいない。
ダークエルフは自らの手で食料を作り出さなければいけない。だから、彼らは一様に体が鍛え上げられているのだろう。
未だ驚いているセシリアにフレディは、思い出したように言う。
「あっそうだ。全くいないわけではありません」
「どういう意味ですか?」
「ほら、あちらをご覧ください」
フレディが指差した先には、グレートウォールの出口から顔を出したマックスがいた。
まだグレートウォールの内側に入っていなかった。
初めての場所だからか少し警戒しているようで、顔だけ出してキョロキョロと周囲を伺っていた。そして、俺たちは見つけると踏ん切りがついたみたいだ。
勢いよく飛び出したとき、マックスの体がまばゆく光り出した。その光は天へと伸びていった。
「これはっ!?」
この光は見たことがある。エルフの世界で、グレートウォールから追放された獣人が転生の儀で魔物となったときだ。俺は彼を捕まえて、グレートウォールの中へ連れ戻した。
彼は魔物から、元の獣人へと戻ったのだ。
「逆転生の儀か」
「あなただけができる奇跡です」
マックスは輝きを一層高めていた。その様子にフレディは祈りを捧げるような仕草をしていた。
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