第297話 懐古

 聖都オーフェンに巣くうメビウスゴーレムによって、セシリアがしたかった弔いを100%叶えることはできなかった。

 それでも離れた位置から聖都オーフェンを見ながらでも、グレートウォール崩壊によって命を失った者たちへの鎮魂を祈れたことに彼女は満足しているようだった。


 俺たちはダークエルフが住まうアリス島へ向けて、まず西の山脈越えだ。

 俺たちがいるのは中腹辺り。さきほどから、雪がシトシトと降り始めている。湿っていて粒の大きい雪だ。肩にうっすらと積もっただけで、重みを感じてしまうほどだ。


「早く山越えしないと大変になりそうだ」

「山にどんよりとした雲がかかり始めたわ」

『セシリアはマックスの乗った方が良さそうだな』

「そうさせてもらうわ。マックス、おいで!」


 セシリアが呼ぶと、マックスは尻尾をぶんぶんと振りながらやってきた。そして、彼女をすくい上げるようにして自分の上に乗せた。何度も人を乗せてきたので、要領を得てきているようだった。


 マックスの手際の良さに感心しながら、俺は西の山々を見上げた。灰色で濁った厚い雲が山頂付近を覆い隠していた。これはハイエルフの魔都ルーンバッハから山越えをしたときよりも険しい道のりかもしれない。


 風も強さを増してきている。寒さもさきほど登った山とは比べものにならないだろう。

 精霊力を高めて、着ているホットインナーを発熱させる。


「行こう!」

「目指せ、ダークエルフの世界ね」

『フェイトの失われた記憶が取り戻そうぜ』


 失われた記憶——10年間もぽっかりと抜け落ちているなんて、普通じゃない。しかも思い出そうと努力すれば、酷い頭痛が襲われる。


 こうなったら外的要因で取り戻すしかなさそうだった。ライブラの言葉を信じ切れないが、俺はダークエルフの世界にいたかもしれない。


 俺は故郷の王国からは、裏切り者扱いされている。現に天竜化したエリスと謎の聖騎士に殺されかけていた。謎の聖騎士の素性がわからない。だから、俺を恨んでいる原因も不明だ。それでもエリスが俺を殺そうとした事実は重い。とても大きな過ちを、過去の俺は絶対にしている。


 その過ちによって、謎の聖騎士が俺の命を狙っているような気がした。

 俺は雪山を歩きながら、ぽつりと口にしてしまった。


「裏切り者か……」


 俺の独り言を聞いたグリードが静かに諭すように言う。


『彼の地の戦いで、王国の者たちを救った結果がこれとは、報われないな』

「別に褒めてもらいたくて、戦ったわけじゃない。ただ俺は……」

『ロキシーと一緒に王国に帰りたいか。皮肉なものだ。恨まれて帰ることができないとは』

「今のままでは、ダメなのはわかっている。だから、ここにいる」


 雪山を登る足に力が入っていく。何もわからずに、かつての仲間に殺されかけたのだ。だからだろう。今になって、少しずつやるせない苛立ちが心の奥底から湧き出ていた。


『かつての仲間とは戦えないか?』

「当たり前だ。彼の地での戦いはみんなで勝ち取ったものなんだ」


 ハイエルフの街を襲ってきたエリスの姿が脳裏に蘇る。


『お前が嫌でも、相手はもうお前を仲間だと思っていない。もうわかっているはずだ』


 事実は何度思い返しても変わることはない。俺は王国の敵だ。

 頭の中でぐるぐると巡る負の感情を振り切って、グリードに言う。


「まずは記憶を取り戻す。その上で決めるさ」

『俺様にはお前が王国を裏切るようなことをしたとはどうしても思えんがな』

「俺もそう願っている」


 グリードは俺と苦楽をともにしてきた相棒だ。

 おそらく事実がどうであっても、彼は俺の肩を持ってくれるだろう。

 できれば、俺はそんなグリードの気持ちを裏切りたくはなかった。


 俺は先に歩くマックスとセシリアに声をかける。


「雪崩に気をつけて」

「深く積もっているところには行かないわ」

「ワン!」


 一度、経験しているから雪山を登る要領はわかっているようだ。


『重い雪だ。雪同士が噛み合って流れにくい。魔都ルーンバッハから登ってきた雪山とは違うな』

「さらさらしていないから雪崩は起きにくそうだけど、油断は禁物さ」

『この山の向こうにダークエルフの世界があるのか……』


 グリードの言葉には期待しているようで、どこか諦めているようなの声色だった。


「グリードは外の世界に興味があるんだよな」

『まあな。遠い昔、希望に満ち溢れた世界だと聞いたからな。結局は王国のスキル至上主義から、精霊至上主義が変わっただけだったがな』

「スキルや精霊がなくなったら、どんな世界になるんだろう」

『そうだな。う〜ん、他に力があると言ったら、お金だろう。資本至上主義だな。多くのお金を持っている者が偉そうにする世界だ』

「王国でも、大商人や金貸しみたいな金持ちが暗躍しているからな」

『結局、支配階級がすげ変わるだけだ』


 おそらく至上主義が悪いのだろう。それに有効な新たな社会システムを導入するのなら、既得を持っている者からすべてを取り上げて、均等に分け与える必要がありそうだ。

 しかし、そのようなことは可能なのだろうか。既得を持った者は社会的に強い力を持っているからだ。

 エリスが王国のスキル至上主義から脱却を目指していたけど、かなり難航しているようだった。セシリアもエルフと獣人との関係改善に苦慮していた。


『フェイト! 頭から煙が出ているぞ!』

「真面目に考えているのに冗談を言うなっ」

『お前には難し過ぎる。お前は俺様と一緒で戦うことしか能がないからな』


 全くもってその通りだが、それを言ったらおしまいだ!

 

『適材適所だ。ハウゼンで領地運営をしていた時を思い出せ。お前はよくやっていた』

「俺にできないことをいろんな人にお願いしていただけだぞ?」

『それでいいんだ。相手を信じて、相手から信じられる……その関係だけで十分だ』

「認め合うってことか」

『まあ、それは非常に難しい。だから、至上主義に頼ってしまう』


 領地経営が軌道に乗るまでは、それなりに苦労した。ハウゼン復興の話を聞きつけた商人や職人、農民たちが沢山押し寄せてきた。中には平気な顔して嘘をついて、お金をだまし取ろうする者が紛れていた。

 そんな状況で、人を信じるのは至難の業だった。困っていたところに、幼なじみのセトが行商人としてハウゼンにやってきた。彼とは過去に禍根があったけど、すでに和解していた。俺はセトに領地運営の協力を仰いだ。それがきっかけとなって、信じ合える者たちが次々と集まっていた。

 俺としては運が良かったと思っていたが、まさか側で見ていたグリードから褒められるとは思ってもみなかった。


「俺って名領主だったのか」

「たわけがっ! お前は凡人領主だ!」

「えええっ」


 褒められたと思ったら、貶されてしまった。


「奢らずに凡人なりのやり方で、領地運営できていたことを褒めたのだ」

「ですよね……」

「お前は証明した。個人の特出した力など必要ないとな。それこそ、至上主義の否定だ」


 新しい試みをしていたハウゼン。スキル至上主義からの脱却を掲げて、領地運営をしていた。領主の俺がいなくなってから、10年間。一体、どのような変貌を遂げているのだろうか。俺がいなくなっても大丈夫な運営方法を確立しているので、きっと繁栄しているはずだ。


 ハウゼンを懐かしんでいると、先を行くマックスが大きな声で吠えた。

 魔物かっ!?


 マックスは山頂をじっと見つめていた。

 分厚い雲に覆われて、何がいるのかわからない。俺は急いでマックスとセシリアの側へ駆けつけた。

 鞘から黒剣を引き抜き、警戒する。 

 突風によって、厚い雲の壁が薄まった。頂上には、大きな斧を持った人らしき姿が見えた。


 その者は小柄だった。持っている大斧があまりにも不釣り合いに思えてしまうほどに。

 俺は懐かしくなって、彼女の名を口にしていた。


「……マイン」


 しかし、彼女からの返事はなかった。俺は彼女のところへ走り出したが、またしても山の頂上は厚い雲に覆われて、何も見えなくなってしまった。 

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