第296話 喰らう者

 メビウスゴーレムの右足。その下から黒い液体が染み出してきた。

 それは無数の手に変わって、メビウスゴーレムの右足を駆け上がっていく。


 それに気が付いたメビウスゴーレムは、全身からまばゆい光を放った。


『フェイト、俺様を黒盾に変えろっ!』


 黒盾にした俺はセシリアを抱き寄せた。その途端、俺たちの真上にいるメビウスゴーレムを中心とした大爆発が起こった。


 墓門は粉々に砕け、獣人の塚はどんどん削れていく。

 間近にいた俺は黒盾をしっかり握って、吹き荒れる爆風とすべてを溶かすような灼熱を耐え忍んでいた。

 しかし、俺たちの周りの地形が蒸発していき、足場が次第になくなっていく。


「くそっ、この化け物が」


 メビウスゴーレムの攻撃を防ぐのに精一杯どころか、このままでは押し負けてしまう。尋常ならざるステータス値の差をまざまざと見せつけられていた。


「セシリア、俺にしっかりと掴まってくれ」

「ええ」


 俺はセシリアを抱き寄せていた左手を離して、両手で黒盾を支える。


「まだいけそうか」

『このくらい容易いものだ……と言いたいところだが、信じられないの力だ』


 珍しく口を濁らせるグリードに、俺も納得するしかない。

 精霊力をただ外へ発しただけで、この威力だ。


 メビウスゴーレムに張り付いていたアビス。絡みついていた黒い手は緩まり、少しずつ離れていく。放出される圧倒的な精霊力に、耐えかねているようだった。


 それでもアビスはいくつかの黒い手を繋ぎ伸ばして、メビウスゴーレムの顔へ届かそうとする。大地も蒸発するほどの灼熱の中なのに、なんていう執念だ。


 メビウスゴーレムは、その攻撃を許さなかった。

 さらに体から発する精霊力を引き上げたのだ。


 俺の目の錯覚ではなければ、一瞬空間が歪んで壊れたように見えた。


『でたらめなのが来るぞっ』

「俺から手を離すなっ!」

「フェイトっ」


 足下は消え去り、俺とセシリアは吹き飛ばされる。それでも黒盾を構えて、メビウスゴーレムからの攻撃を防いでいく。

 目の前が真っ暗だった。視覚が狂わされたのだろう。さらにずっと耳鳴りがして何も聞こえなかった。


 俺はそんな中で、セシリアが俺の体を掴んでいる感覚だけがあった。


 今、俺たちはどのように飛ばされているのだろうか。下なのか上なのか、左なのか右なのかもわからない。


 ただ、そんな状態でも黒盾でメビウスゴーレムの攻撃を防ぎきっているのはわかった。

 黒盾をどこに向けたらいいのかを導いてくれている。グリードが俺に力を貸してくれていた。


 グリードは声を張り上げて、俺を鼓舞しているはずだ。聴力を失っているが、俺にはそう感じられた。


 どのくらい飛ばされたのだろうか。黒盾が今までにない反応をした。

 もうすぐ地面だとグリードが知らせている。そう受け取った俺は片手を黒盾から離した。黒盾を抑え込むような強烈な圧力はもうなくなっている。メビウスゴーレムからかなり遠く離れたところへ飛ばされたのだろう。


 地面への落下に備えて、俺は空いた手でセシリアを再度抱き寄せる。

 黒盾の指示に従って、地面に着地をする。視界と聴覚を失っていたこともあり、完璧な着地とは言えなかった。

 地面の上を数度派手に転がって、なにか柔らかい物に当たってやっと止まる。

 未だ見えぬ、聞こえぬままだった。しかし少しして、温かい力が俺の中に流れ込んでくるのを感じた。これには覚えがあった。セシリアによる癒しの精霊術だ。


「……フェ……イト……フェイトっ!!」


 だんだんと声が聞こえるようになっていく。それに併せて視界も回復していった。


「セシリア……」

「よかった。フェイトにまた無茶をさせちゃったね。すぐに治すからっ」

「……すまない」


 彼女は俺の足に向かって癒やしの精霊術を使っていた。どうやらメビウスゴーレムの攻撃によって、負傷していたみたいだ。だから地面に着地したときに、思った以上に踏ん張りがきかなかったはずだ。


 俺のすぐ側には、マックスも寄り添っていた。着地に失敗して、転がっているときに当たった柔らかいものは、マックスだったのだろう。俺はマックスの頭を撫でてやる。メビウスゴーレムの桁外れの攻撃から、よく生き残ったものだ。それだけでも十二分に偉い。


 足の治療が終わって、立ち上がると、俺たちは西の山脈の中腹あたりにいた。

 かなりの距離を吹き飛ばされた事実に内心で驚く。そして、見下ろした先にある大きなクレーターができあがっていた。それを見ながら、セシリアとよく生き残れたものだと言い合った。


 クレーターの中心部には、メビウスゴーレムが鎮座していた。

 右手にはしっかりとアビスが握られている。黒い手を無数に出して逃げようとするが、先ほどの攻撃で弱っているのだろう。最初ほどの勢いはなかった。


 メビウスゴーレムはアビスを持った手を自分の口元へ移動させた。


 『アビスが喰うつもりか!?』


 メビウスゴーレムは爬虫類を思わせる切れ長の大きな口をガバッと開けた。グリードの予想通り、アビスを一飲みにしたのだ。

 アビスはそれでもしつこかった。数本の黒い手をメビウスゴーレムの口から這い出ていた。


 その抵抗も空しく、大きな下で絡め取られて、完全に飲み込まれてしまった。


「メビウスゴーレムの体の色が変わっていくわ」


 セシリアと一緒に体の変化を見守る。真っ白な体の胸の辺りから、黒い波紋が浮かび上がって、全身へと伝播していく。

 伝わりきったところで、何事もなかったかのように、メビウスゴーレムは真っ白い姿へと戻っていた。


「アビスを取り込んだのか……」


 これほど離れていると鑑定スキルを使って調べることはできない。それでも、メビウスゴーレムが以前よりも強くなったように思えた。それはグリードも感じていたようだ。


『まるで暴食スキルのようだな』


 俺も同じ見解だ。

 メビウスゴーレムはアビスを喰らって満足したようで、巨大な体をゆっくりと動かして、エルフの街へと帰っていった。


『どうやら、フェイトたちは眼中になかったようだな』

「ずっとアビスだけを狙っていたな」

「だからといって、もう一度メビウスゴーレムの側に行きたいとは思えないわ」


 メビウスゴーレムが、聖都オーフェンの中心であるエルフの街に居座る理由は、アビスという魔物を喰らうためなのかもしれない。だから、他の魔物には一切見向きもしなかったのだろう。


 この習性は予想でしかない。もし違えば、エルフの街に立ち入った途端に、メビウスゴーレムの圧倒的な攻撃によって、消し炭にされてしまうだろう。

 アビスとメビウスゴーレムとの戦いに巻き込まれただけで、俺たちは死にかけたのだ。


 身をもって、メビウスゴーレムと戦う危険性を体験できた。セシリアもそれを感じたからこそ、これほど離れているというのに身震いをしていた。


「結局、獣人たちを弔えなかったな」

「しかたないわ。あのような危険な魔物が潜んでいたんだもの」

『メビウスゴーレムが綺麗に吹き飛ばしてしまったな』


 獣人の塚があっただろう場所は、巨大なクレーターによって消し飛んでしまっている。

 セシリアが獣人たちと交流を重ねることで造り上げられた墓地も、今はそれが存在していた形跡すら残っていなかった。


 彼らの鎮魂を願う場所はなくなり、俺たちは今居る場所から弔いの祈りを捧げることしかできなかった。


 しばらくの間、俺とセシリアは目を閉じて、彼らの魂がこの星のアストラルチェインという物の一部となれるように祈った。

 魔物となった彼らを屠っておいて、よく願えたものだと、もう一人の俺が言っているような気がした。

 その行いによってグリードが力を取り戻したのは、気の利いた皮肉かもしれない。俺たちは、どこまで行っても戦いの中でしか生きられないと突きつけられているようだった。


「ありがとう、フェイト。私のわがままに付き合わせてしまったわね」

「いや、そんなことはないさ。俺もそうしたいと思ったから」

「エルフのグレートウォールが失われて、私の運命は大きく変わってしまったけど、いつかは故郷へ戻りたいわ」


 彼女一人では復興は不可能に近い。それにアビスのような異形の魔物はいるし、メビウスゴーレムという星獣まで闊歩している。

 それでもセシリアを応援したい。俺にできることは……。


「セシリアが帰れるように、もっと強くなって聖都オーフェンに巣くっているものすべてを倒してやるっ!」


 腕を突き上げて力強く宣言すると、彼女に笑われてしまった。


「そんなに強くなったら、フェイトと力を共有している私だって、メビウスゴーレムを倒せるかもね」

『じゃあ、そのときは俺様は新たな位階への力を見せてやろう!』


 みんなで威勢の良いことを言い合って盛り上がる。九死に一生を得た今くらい、希望を持って楽しんでもいいだろう。マックスのその輪に加わってきて、大はしゃぎしていた。

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