第295話 深淵の使者
セシリアに案内された獣人たちの塚は聞いていた通り、日当たりの悪い窪地にあった。
雨の多い日は水が周りから流れ込んでいたのだろう。土砂崩れが過去に起きた形跡がたくさん見られた。
塚は窪地に流れ込んだ土砂を利用したものだった。グレートウォール内はエルフが管理している。下手に他の場所から土を持ってくるよりも、この窪地は彼らにとって最適な場所だったのかもしれない。
塚へ降りるための階段が設置されていた。岩をうまく継ぎ合わせて作られている。そのため、グレートウォール崩壊後の荒れようにも、その形を保っていた。
石階段を降りながら、セシリアは言う。
「今は枯れてしまっているけど、緑豊かな場所だったのよ。初めは沼地でね。獣人たちが力を合わせて埋め立てて、植樹をして仲間たちを埋葬できるように造り替えたの」
「詳しんだな」
「まあね。この塚の保護をしていたんだ」
「そうだったのか」
獣人たちが自分たちのために墓地を作りたいといっても、エルフが許すとは思えなかった。なぜなら、エルフには墓地を作る文化がないからだ。
セシリアが獣人たちに寄り添ったことで彼らの文化を理解して、塚を造設するための後押しをした。この獣人の塚は、セシリアの助力がなかったら、他のエルフたちから承認されることはなかった。
「塚が作られる前は、獣人たちの葬儀はどうなっていたんだ」
「グレートウォールの外へ投げ捨てられていたわ。その後は周囲にいる魔物に……」
幼い頃から見ていた惨状にセシリアは心を痛めていたという。そして生まれながらの地位を利用して、獣人たちの塚を造れるようにエルフの世界に働きかけた。
だが、その強行的な姿勢が周囲のエルフたちに良い印象を与えなかった。それは大きな不協和音となってセシリアの立場を危うくした。
他のエルフたちは、セシリアに獣人の扱いを改めるように強要した。それができなければ、自分たちの指導者として認めないとまで言い放った。
セシリアは最後まで拒み続けて、代わりに兄のゲオルクがエルフの指導者として選ばれることになった。
この獣人の塚は彼女にとって、大きな意味を持ったものだった。
「見て、フェイト。この柱を」
「壊れた……いや、造りかけか」
「ええ、獣人たちは緑と塚だけで十分だと言ったのだけど、これでは墓地として寂しいように思えたら、墓門を作ろうとしていたの」
墓門は獣人たちの死生観を表しているのだという。
俺たちがいるところはまだ墓門の外側——現世(うつしよ)。そして墓門の内側は常世(とこよ)だ。
「獣人たちは遺体はこの墓門を通ることで、肉体から魂が離れて清浄なる……アストラルチェインの一部になるそうよ」
「アルトラルチェイン?」
「私もはっきりとはわからないんだけど、この星を支える源らしいわ」
獣人たちの死生観……さらには文化は、あまりにもエルフやハイエルフと違いすぎる。
エルフやハイエルフは三賢人によって、人間と精霊を組み合わせることで創り出された。
しかし、俺の知る限り獣人を三賢人が創り出した痕跡はなかった。彼らは一体どこからやってきたのだろう。
俺たちは墓門をくぐって、常世に入った。すっと体感温度が下がったような気がした。
強い風がタイミングよく吹き抜けてきたからだろう。
塚は間近で見た山のように大きかった。そこまでの道は歩きやすいように、所々に平らな岩が引き詰められている。俺たちが歩く道の左右には、枯れた大木がずらりと並んぶ。
グレートウォール崩壊前は、塚を飾るように植えられて見事な景観だったと感じさせる。
俺たちは地面に落ちた枯葉を踏みしめながら、塚の入り口に向かった。
風向きが変わった。塚から俺たちへ向けて風が吹き始めたのだ。
うっ……!? その途端、鼻をつくような異臭に包まれた。
何かが腐って、発酵しているような臭いだった。
その臭いを嗅いだマックスが狂ったように吠え出した。塚の中に何かがいる。
「セシリア! 警戒をっ」
「精霊力は感じないわ……」
魔物とは違う何かだろうか。気配も殺気も感じ取れない。しかし、本能が警鐘を鳴らしている。
俺たちは武器を手に取る。マックスは体に結いていた獣人たちの服の束を咬み切って、下に落とした。
塚の入り口から、黒手が現れた。
それはドロドロしており、壁面に触ると黒い手形がベッタリと付いた。
その数は次第に多くなり、入り口がいっぱいになってしまうほどだった。
「なんなの……」
『ヤバい感じだぞ』
俺はすぐに黒い手を【鑑定】する。
・アビス Lv α
精霊力:0
呪 い:1.3E(+8)
精霊力がゼロ!? しかも呪いの数値が桁外れに高い。
レベルがアルファってどういうことだ?
わからないことばかりのステータスだった。
この中で一つだけ言えることは、倒しても俺にメリットは一切ないどころか、大量の呪いによって、体が腐って死んでしまうだろう。
「アビスだ。呪いの塊のような魔物だ。理由はわからないけど精霊力がない」
『暴食スキルで喰らうだけ、損だな』
アビスが数え切れないほどの手を動かして、獣人たちの塚から這い出してくる。
真っ黒でドロドロな手だけで構成された姿。その手と手が繋いで異形の姿を成している。
目や鼻、耳などの器官は見当たらないのに、しっかりと俺たちを認識していた。
「来るっ!」
無数の手が一斉に俺たちに向かって、伸びてきた。マックスがその手に噛みつこうとする。
「やめろっ、下がるんだっ!」
俺の大声にびっくりしたマックスは噛むのをやめて、後ろへ大きく飛び退いた。
あのどろっとした黒い手に触れるのは、危険な感じがする。呪いが滲み出ているように見えたからだ。
俺とセシリアも黒い手を躱しながら、アビスから距離を取った。
「あっ、獣人たちの服が……」
マックスが動きやすくするために、地面に落としていた獣人たちの服。それをアビスは黒い手を次々と放って、取り込んでしまった。
そして、黒い手を本体に引き戻すと、波打ったように蠢き出した。
「なんで、あんなものを!?」
服とはいえ、もうボロボロの布切れに等しい。それを嬉々として取り込んだように見えた。
アビスは獣人たちの服をよく味わった後に、生き物とは思えないような奇声を上げた。
「うっ……」
「なんて声なのっ」
鼓膜が激しく振動する。堪らず俺たちは耳を塞いで、その声が終わるのを待った。
耳の良いマックスは地面をのたうち回っていた。
口はないはずだ。どこから声を出しているんだ?
『おいおい、手のひらから、口が現れているぞ』
無数の手の一つ一つに真っ赤な切れ長の口が出現していた。それらが歯を剥き出しにして、長い舌を出しながら、歓喜していた。
『あの布切れが相当美味かったらしいな』
「魔物になった獣人たちが着ていた服をうまそうに……悪趣味だな」
咀嚼が終わったアビスに変化が起こった。異変を察したセシリアが、俺の背中に後ろへ隠れるように動いた。
「フェイト……アビスが成長しているわ」
「ああ、手が増えていくな」
念の為、鑑定スキルでアビスを調べる。
・アビス Lv α
精霊力:0
呪 い:1.9E(+8)
呪いの数値が増えていた。獣人たちの服に染み込んだ呪いを摂取したとでもいうのか?
そして、アビスは俺たちの方へ無数の手を伸ばしてきた。
「まあ、そうなるよな。グリード、行けるか?」
『おうよ。任せておけ』
俺は黒剣を構えて、黒い手を迎え撃つ。さすがはグリードだ。
異形の相手でも臆することなく、切断していく。
『フェイト、やはりこれにお前たちが触れるのは危険だ。斬るたびに、ビリビリと伝わってくる』
セシリアは俺を援護するために、風の精霊術を行使する。俺のステータスを共有できたことで、今までにないほどの鋭い風の刃がアビスを切り刻んだ。
「えっ」
しかしダメージを与えられているようには見えなかった。
黒い手は切り飛ばされても、すぐに集まって本体と合流してしまう。
俺の黒剣による攻撃も、彼女と同じだった。斬り落とせるが、アビスに対する有効打になっていない。
俺たちの反撃にアビスが攻撃方法を変えてきた。無数の手をバネのようにしならせて、高く飛び上がっのだ。次の瞬間、地面にいる俺たちに向けて、蜘蛛の巣のように手を組んで捉えようとしてきた。
くっ、これは躱せない!
「グリードっ!!」
『任せろっ』
黒剣から黒弓に形状を変えて、第一位階の奥義であるブラッディターミンガンを放とうと、蜘蛛の巣になったアビスに向けて構えた。
しかし、それは不発に終わった。なぜなら、セシリアが後ろから俺を抱きついて押し倒したからだ。
「フェイト、危ないっ!」
俺たちの頭上ギリギリに、巨大な白いものが通り過ぎていた。
それはメビウスゴーレムの右足だった。
アビスはメビウスゴーレムの攻撃によって、踏みつけられる。あまりの威力に地面が大きく隆起するほどだった。
「……エルフの街の外から出れたのかよ」
地面に倒れ込んだ俺とセシリアは、メビウスゴーレムを見上げる。
真っ赤な瞳が俺たちを睨んでいるようだった。
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