第293話 雪山越え
島と島が衝突した際にできあがった山脈。
前回、魔都ルーンバッハを目指して、ここを通ったときには雪は積もっていなかった。
おそらく、あれから標高がさらに高くなったからだろう。
まさかアリス島のために用意したホットインナーがここで役に立つとは思わなかった。
バックパックからテントを取り出して、組み立てる。
その中で俺とセシリアは交互にホットインナーを着用した。
一足先に着替えていた俺は、その効果に驚いていた。
精霊力をそのインナーに流し込めば、発熱して暖かくなる。流し込む量を調整すれば、発生させる熱量を細かくコントロールできるのだ。
この機能は俺にとって、都合が良かった。温かくなることはさることながら、精霊力のコントロールの鍛錬になるのだ。俺は生まれながらに、精霊を持っていない。
セシリアのような熟練度になるためには、並大抵の鍛錬では追いつけないだろう。
一日中、それができるホットインナーは今の俺にとって、これ以上ないものだった。
俺はマックスをもふもふしながら、セシリアが着替えを終えるのをしばし待つ。
「お前の毛量はすごいな。これなら極寒らしいアリス島でも大丈夫だな」
「ワン!」
よしよし、良い子だ!
元気な返事に癒やされていると、セシリアがテントから出てきた。
「おまたせ!」
「どう?」
「暖かいわ。フェイトのおかげで精霊力が使い放題だし。それに精霊力を遮断したら、ただのインナーになるから、扱いやすいわ」
「ラムダに感謝だね」
「そうね!」
彼の気遣いがなかったら、今頃俺たちは寒さに震えながら山を登っていただろう。
俺たちはラムダに感謝しながら、今の気温に合わせてホットインナーの発熱を調整した。
テントにもう雪が積もり始めていた。雪を払ってテントを素早く畳んで、バックパックにしまう。
「天気が荒れてきたわ」
「風も強くなってきた。吹雪が来る前に山を越えたいね」
バックパックを背負って、頂上に目を向ける。厚い雲に覆われていた。
急いだ方が良さそうだ。
「セシリア、マックスに乗って! この山は一気に越えた方が良いと思う」
「賛成だわ」
セシリアが乗ったマックスを一撫して、声をかける。
「いくぞ、付いてこい!」
俺は足に力を入れて、飛び上がる。ステータスが戻りつつあるので、体に翼が生えたように軽い。後ろを見ると、マックスはおくれを取るまいと必死に追いかけていた。
四足歩行の魔物だ。動きにとても安定感があって、乗っているセシリアが振り落とされることはなかった。マックスが彼女に気を遣っているのかもしれない。
「いいぞ!」
「ワン!」
俺も足場がしっかりしているところを選んで、着地をしてまた飛び上がる。
上に行くほど雪は厚く積もっており、着地に気をつけなければいけない。もし、雪だけのところを踏み抜いてしまったら、斜面を転がり落ちてしまうからだ。
その判断はマックスの方が優れているようだった。野生の勘ってやつだ。
「やるなっ」
「ワォーン」
褒められて上機嫌だ。俺とマックスで雪深い山を登っていたため、思ったよりもしげきしてしまったらしい。
上から轟音が聞こえてきた。
「雪崩よっ!」
セシリアがいち早く雪山の異変に気がついて、声を上げた。
俺は雪崩を見たのは初めてだった。すごいな。視界いっぱいにまっしろの壁が迫ってくるようだ。
後ろを振り返り、マックスに声をかける。
「大きくジャンプをしろ!」
俺とマックスは間一髪で、空中に待避する。俺たちの足の下では、大量の雪が水のように流れていた。
「フェイト、見て。テントを建てていた場所も飲み込まれているわ」
「広範囲で崩れたな……」
『着替えが遅れていたら、飲み込まれていたかもしれんぞ』
いままで寝ていたグリードも、自然の驚異に目を覚ましたようだ。
『雪崩が起きたところで、岩肌が出ているな。あそこを足場にして、頂上を目指すぞ!』
「やっとお目覚めかっ!」
『お前といたら、おちおち寝ても入られない』
グリードは俺に付き合ってずっと休めていなかった。だから、そっとしておいたのに……こんなにもすぐに起こしてしまうとは思ってもみなかった。
『まあいい。すこし休めた』
「さくっと頂上へいってやるさ」
降り続ける雪の中、雪崩で岩場がしっかり見えるうちに俺とマックスは素早く山を駆け上った。
大きくジャンプをして、厚い雲へ突っ込む。冷たい風が吹き抜ける。雲の中で小さな氷が降り注いでいた。
頬に当たる雹がチクチクして、思わず眉をひそめてしまう。
『もうすぐ、雲を抜けるぞ!』
「あああぁぁ……良い景色だ」
さきほどの雲の世界が嘘のように、明るい光が頂上へ差し込んでいた。
セシリアもマックスに乗って、俺のところへやってきた。
「いい眺めね」
「雲の上に立っているみたいだ」
「あまり動き回ると、下に落ちちゃうわよ」
「おっとと!」
「言ってるそばから……」
長い間、魔都ルーンバッハの地下施設にいたのだ。こんな開放的な場所にいたら、空や景色を堪能したくなってしまう。
俺は西を見ながら言う。
「この雲海の下にエルフの聖都オーフェンがあるんだよな」
「あの辺りだと思うわ。見えても、ボロボロだけどね」
セシリアが指し示した方角に意識を集中すると、多数の魔物の気配がした。
おそらく、元は獣人たちだった魔物だ。
そして気配が以前よりも強くなっている。俺たちがいない間に、魔物の間で淘汰が起きたのだろうか。
聖都オーフェンにいた獣人たちは、エルフに対して恨みを募らせていた。その状態で魔物になったのだ。たとえ、彼らを擁護していたセシリアであっても、魔物になった状態では他のエルフと区別できないだろう。
それでも彼女は、聖都オーフェンにいる魔物とは戦えないだろう。救おうとした者たちの変わり果てた姿を見るだけでもセシリアにとっては、耐えがたいものだからだ。
魔物は俺とマックスでどうにかするしかない。
しばらく、セシリアは日の光が差し込む雲海を眺めていた。
彼女の心の整理がつくまで、いくらでも待つつもりだ。
マックスも彼女に気を遣っているようで、俺の側に来てお座りしていた。
流れる雲海を見ていたセシリアは、大きく息を吸った。そして少しの間息を止めた後、
「行きましょっ!」
「ああ、行こう!」
「ワンっ!」
マックスがセシリアに駆け寄って、体を下げた。上に乗るように催促しているのだ。
「ありがとう!」
セシリアを乗せると、マックスは得意げに遠吠えした。その声が山々に木霊して、所々で雪崩を引き起こす。
『豪快な遠吠えだ』
「これで雪崩の心配はなくなったな」
雪山を下るのは、上るよりも難しかった。下りのスピードが加わってしまうため滑りやすい。そんな状態を繰り返していると、だんだんコツが掴めてきた。滑るのなら、それを利用して滑り降りた方が早い。
『ダークエルフの世界に行く前に、氷の世界が経験できて良かったな』
「足場が滑る場所での動き方がわかってきたよ」
『俺様から見ればまだまだ』
やっと自由に動けるようになったくらいだ。これを実践レベルまで持っていくには、もっと経験が必要だ。雪山歩きも、良い修行になるものだ。
下っていくと、次第に吹雪が収まってきた。辺りに積もった雪の量も減っている。
標高が下がったからだろう。視界も良くなり、西側が見えてきた。
「セシリア、聖都オーフェンが見えるぞ!」
「ええ……」
『何度見ても、酷い有様だな』
グレートウォールは消え失せており、獣人たちが住んでいた区域は粉々に破壊されている。彼らが魔物になったとき、状況がそのまま残されているようだった。その魔物たちがエルフの街に押し寄せた爪痕もある。
獣人たちが丹精込めて育てた野菜畑や麦畑。それを魔物になった彼らが踏み荒らしているのは、やるせなく空しい気持ちになってしまう。
『フェイト、でかいのがいるぞ』
「あんな魔物は聖都を出るときにはいなかった」
セシリアは無言でじっと巨大な魔物を見ていた。
純白の色をしたゴーレムだ。遠くからなので細かい姿はわからない。
ゴーレムが動くたびに、近くの建物が崩れてしまうほどの振動が起きている。
それだけで周りの魔物たちが群れをなして逃げ出していた。
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