第291話 主従関係

 足早にハイエルフの街を出た俺たちの目の前に、獣人たちが働いている農地が見えてきた。まだ日が明け始めた時間だというのに、獣人たちはせっせと汗を流しながら農作業をしている。


『畑が荒れているな』

「エリスの攻撃だろうな」


 農地の所々で、大きなクレーターが出来ており、せっかく育てた作物が焼け枯れていた。

 被害はハイエルフの街だけではなかった。食糧の供給源も攻撃対象だったようだ。


「食料が減れば、ハイエルフたちの戦争への意欲をそげるかもしれないけど」

『そのしわ寄せは、弱い者へといったところか』

「あんな幼い子供まで」


 5、6歳に見える子供が、自分の体よりも大きな石を運ばされている。

 なりふり構っていられないようだ。獣人たちをかき集めて、破壊された農地を元の状態に直していた。

 石を運んでいた子供が、足を滑らせて転んでしまった。だが、それを見ても、周りの獣人たちは助けようとしなかった。


 見かねたセシリアが子供に近づこうとするが、グリードによって止められた。


『セシリア、待て』

「でもっ!」

『あの子供は泣いていない。それにハイエルフの兵士が見張り台からこちらを見ている』


 俺たちはここを去る者だ。あの子供に手を差し伸べたところで、それまでの関係だ。

 もし、セシリアがハイエルフの兵士が見ている前で、子供の仕事を中断させたとする。そのことで子供が仕事を放棄したと兵士に受け取られたとしたら、あとでどのような処罰を受けてしまうだろうか。


『あの子のためを思うなら、何もしないことだ。今は何もしてやることが出来ないのだからな』

「私は……エルフの街にいたときから、なにも変わっていない」

「セシリアだけの問題じゃない。俺も一緒に考えるよ」


 俺は彼女の肩に手を置いて、先に進むことを促した。セシリアは俺の手に自分の手を重ねて、深く頷いた。

 俺だってロキシーから獣人たちの解放を願われている。未だどうやっていいのか、見当すら付いていない状態だった。


『これ以上ここに留まれば、兵士たちの目を引く』

「ええ、先に進みましょ」


 ハイエルフの世界での獣人の扱いは、エルフの世界が可愛く見えるほど厳しいものだ。

 獣人牧場と銘打って、自分たちに都合の良い配合を繰り返している。このようなことをされていたら、獣人たちにまともな意思が残っているかも怪しいくらいだ。

 そして、俺たちはここの獣人たちとまだ会話したことすらなかった。


 この問題は、ダークエルフの世界でも同じようなものだろう。


「ダークエルフの世界にセシリアと同じ考えの人がいたらいいのにな」

「そうね。是非会ってみたいわ」


 もしそのような者がいたら、俺たちの見識が広がるかもしれない。いるかもわからない者へ望みをかけるなんて、おかしな話だけど、それほど今の俺たちにとって獣人解放はそれほど難しい問題だった。


 良くないと思っていることを、見て見ぬふりをして進むというのは、やはり重苦しい気持ちになるものだ。しかし、そうだからといって、足早に歩く気にもなれなかった。


 この現状をちゃんと自分の目に焼き付けておくことが、俺たちが今できることだった。


 獣人たちが汗水垂らして働く農地を抜けて、鬱蒼として森へ入った。

 ここはロイと獣狩りをした森でもある。

 ネクロマンサーとしてロイが用意したゾンビたちによって、獣のほとんどは駆除されたようだ。森に入っても、全くと言っていいほど獣の気配を感じないからだ。


「フェイトの話には聞いていたけど、これほど獣が激減しているなんて思わなかったわ」

「ゾンビたちは獣よりも速くて強いし、群れを成して襲ってくるからね」

「獣人に無理矢理精霊を植え付けて、作られるのよね」

「ああ、悍ましい話だよ。おそらく、今回の奇襲によって亡くなったハイエルフたちも、ロイの手によってゾンビに作り替えられると思う」


 獣人のゾンビでかなりの戦力だった。ロイの口ぶりではハイエルフのゾンビはそれ以上の力を持っていそうだ。ネクロマンサーさえいれば、戦争に投入する兵士に困らないように思えた。


 森の隙間から見上げれば、真っ白な壁がもうすぐだとわかる。


「フェイト、森を抜けるわ」

『いよいよ、お出ましか』


 セシリアに続いて、森を出たら目の前を遮る壁が現れた。

 グレートウォールだ。


 いつ見ても、どこで見ても、同じ形、同じ色で佇んでいる。天まで届きそうなほど、高い壁は今日も静かにハイエルフの世界を守っている。


 正当な御神体と繋がった今、早くロキシーを解放してほしいと願うばかりだ。

 前回、グレートウォールに触れたとき、精神世界のような場所でロキシーに会うことができた。なら、今回も同じようなことが起こるかもしれない。


 俺の中で淡い期待があった。


「出口を開くよ」

「ええ」

『いよいよ、外の世界か!』


 セシリアは久しぶりの外の世界に身構えていた。

 打って変わって、グリードは待ってましたとばかりに心を躍らせていた。魔物が闊歩する外の世界では自分が活躍できる機会があるからだろう。


 俺は二人とは違って、外の世界よりも、グレートウォール内の世界が気になっていた。


 そっと真っ白な壁に触れる。

 途端に、1人ほど通れる通路ができた。


 ロキシーとは会えなかった……。

 俺の落胆がセシリアに伝わったのだろう。彼女は心配しながら、俺に声をかけた。


「……フェイト。ロキシーさんは、正式な御神体と入れ替え中だから、きっとね」

「そうだな。グレートウォールとの繋がりが薄れているからかも。これは良い兆候だな」


 グレートウォールから出る前に、ロキシーとちゃんと言葉を交わしたかった。

 彼女が解放されつつあると信じて、旅立とう。


 白く長い通路を抜けて、俺たちは久しぶりに外の世界に足を踏み入れた。

 ん? なんか以前見たときよりも、大地が荒廃しているような。

 それはセシリアやグリードも同じ印象を持ったようだ。


「緑が少なくなっているわ。枯れている木々もあるし」

『この島を維持しているプラントが弱まっているのが原因だろう。それに管理用人工知能P01も壊されてしまったしな』

「この調子なら、飲み水の確保も難しそうだな」


 バックパックにしっかりと用意してきてはいる。だが油断は禁物だ。

 飲み過ぎないようにするべきだろう。


 俺は地平線の向こうまで大地を見渡した。


「グレートウォール付近の方がまだ緑が多いな」

『維持にも優先順位があるのだろう。生態プラントとして生命が居る場所が最優先というわけだ』

「私たち居るところまで荒廃が進んだら、大変なことになるわね」


 いつまでも大地を眺めているわけにはいかない。俺たちは、西を目指して進み始めた。


「最短距離を行くなら、エルフの街があったルイーズ島を横断することになるけど」


 俺はセシリアのことが心配だった。エルフがたくさん亡くなった場所を通ることで、彼女の心労になってしまうのではないかと恐れたからだ。


「私は大丈夫よ。心配してくれてありがとう。ちゃんと向き合わないと。聖都オーフェンで、亡くなった者たちを弔うのが本来の私の役目だし」

「わかった。聖都に寄って、ダークエルフがいるアリス島へ行こう!」


 俺たちはここへ来たときに通った西の山脈に登り始めた。次第に吐く息が白くなっていくのを感じた。下に見えるハイエルフの世界——魔都ルーンバッハは、どんどんと遠ざかっていく。


 そして、俺たちを見送るかのように、グレートウォールは淡い光を放っていた。

 すこしだけ、見とれているとセシリアの驚いたような声がした。


「見て見て、あのときのフェンリルがいるわよ」

「えっ!?」


 俺たちが上っている山の先に、お座りをしてフェンリルが尻尾を振っているじゃないか!

 ふわふわとした銀色の毛並みが、やわらかそうに風に吹かれている。

 俺たちが声を出すと、きりっとした耳を小刻みに動かしていた。


 あれは俺と主従関係を結んだフェンリル——マックスだろうか。

 もう随分と会っていなかったので、本物かどうか俺は怪しんでいた。


「セシリア、違うフェンリルの可能性が捨てきれない。一応警戒しよう」

「大丈夫よ。あんなに尻尾を振ってくるフェンリルなんて、そうはいないわ」


 俺はこの世界に流れ着いて、すぐにフェンリルに襲われて命を失いかけたのだ。

 すぐに信じろといわれても、少々無理があった。


『安心しろ、あれはマックスだ。俺様が名付けたのだからよくわかる』

「二人がそういうのなら…」


 俺はゆっくりとマックスらしきフェンリルへ近づいた。


「えっと、お手」

「ワン!」

「伏せ」

「ワオ〜ン!」


 すごく言うことを聞くな。うん、間違いなくマックスだ。

 久しぶりの再会に、マックスは喜んでいるようだった。

 食事をしてこいと命令して、どこかに行ってしまったマックス。もう二度と返ってくることはないと思っていたけど、まさか俺たちがグレートウォールから出てくるのを待っていたとはな。


「お前、いままでどこにいたんだよ」


 頭を撫でてやると、尻尾をぶんぶん振って大喜びだ。


『これで旅の仲間が増えたわけだ。騒がしくなりそうだな』


 マックスはセシリアを背中に乗せて、俺と一緒に歩き出す。

 嬉しそうな彼女を見ながら、内心ほっとする。強がっている彼女の気が少しでも紛れるのなら、マックスは心強い助っ人になってくれるはずだ。

 旅をするなら、仲間は多い方が良いに決まっている。

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