第289話 裏切り者
ライブラは光り輝くグレートウォールを頬を緩めて、満足そうに眺めていた。
さらに光を増し始め出した姿を見た彼は、大きく手を広げて喜びを体で表す。そのまま、俺に向かって言う。
「どうだい? 圧巻だろ!」
「何が起ころうとしている?」
「グレートウォールは力……その一端を君は見ている」
そう言って、ライブラは視線を俺の後ろへずらした。
下に落ちた聖騎士が飛び上がって、再度俺たちを狙ってきた。
神殿の屋根に着地して聖剣を構えながら、驚くべきスピードで駆けている。
彼女はライブラを一瞥すると苦虫を噛み潰したような顔をした。そして、俺に聖剣を向けて言う。
「この裏切り者がっ」
聖騎士はその後も言葉を発しようとしていたが、一瞬にして姿が消えてしまった。
ライブラの時と同じだ。グレートウォールの力で、どこか違う場所へ飛ばされてしまったのだろう。
だが飛ばされる前に投げつけられた聖剣が俺の頬をかすめて、神殿の屋根に深々と刺さった。
俺は彼女が吐き捨てるようにいった言葉によって、躱すことさえ忘れてしまうほどの衝撃を受けていた。
裏切り者って……なにがどうなっているんだ。
突き刺さった聖剣を引き抜いてみると、それは長さは短いがアーロンが愛用していた物とよく似ていた。
「さて、もう1体の邪魔者も、もうすぐ排除されるだろう。見てみたまえ、無駄な足掻きをしようとしているよ」
「エリス………お前も俺を同じように思っているのか」
彼女は俺がライブラと一緒にいることが、さらに気に入らなかったようだ。
周りと取り囲んでいた精霊獣をことごとくなぎ払った後、こちらへ向けて大きな口を開けた。
そして8枚の翼を広げて、膨大な魔力を高めて咆哮を放った!
『フェイト! あれはまずいぞっ』
「わかってる」
ここは位階奥義で防ぐしかない。黒剣から黒弓に変えて、ブラッディターミガンで応戦しようとするが、ライブラが俺の前に立って制してきた。
「無駄に力を使う必要はないよ。すでにグレートウォールはエリスを危険因子だと認識している」
「攻撃が……消えていく」
エリスが放った渾身の咆哮が先に進むごとに、拡散されていった。
俺たちにはそれが光の粒子が煌めいて見える。美しい光景だった。
「あはははっ、僕たちを殺そうとして、これではまるで祝ってくれているようだ。滑稽な人形にはお似合いかな。……ねぇ、エリス!」
その声が彼女へ届いたのだろうか。荒れ狂って襲いかかってくるが、グレートウォールの力によって、消え去ってしまった。
「さようなら、エリス」
ハイエルフの街は、エリスが暴れたことによって、ところどころで炎が上がっていた。
ゲオルクの襲来から、やっと立ち直ろうとしていた最中だった。これでは、獣人たちへの圧政はさらに厳しいものになってしまう。
俺は残された聖剣を手にしたまま、佇む俺にライブラは近づいてきて言う。
「君のは彼らに何をしたんだい?」
「わからない」
「心当たりがないのに、裏切り者とは酷い話じゃないか」
いや、違う。本当に俺はそうなのかもしれない。
なにせ、俺には記憶がぽっかりと抜け去っているのだ。
「……10年経っているのは本当なのか?」
「そうだよ。何度聞かれても返事は同じさ。僕が知らない君の10年間。そこに答えがあるんだろうね」
あの聖騎士には見覚えがなかった。エリスと行動を共にするくらいの立場の者なら、俺が知っていてもおかしくはないはずだ。
そして、彼女は俺をよく知っているようだった。
あの戦いの中で気になったことがある。俺の名をフェイト・バルバトスではなく、フェイト・グラファイトと呼んだことだ。これが一体何を意味しているのかは、まだわからない。でも彼女はあえて2度も呼んでいた。
ちゃんとあの聖騎士には、そう呼ぶ理由があるのだろう。
「気になっているようだね。だが、僕にも、ここにも君に答えを教えてくれる者はいない」
「……わかっている」
「だけど、きっかけを与えられるかもしれない」
ライブラは西の方角を指差した。
「ここより、ずっと先にダークエルフの島がある。10年程前から活発な動きを感じていた。だけど、つい最近になって、ぱったりと息を潜めてしまった。なぜだろう、君が現れる少し前のことだよ」
「俺がそこで10年間暮らしていたと言いたいのか?」
「これは僕の勘だよ。だけど、この世界に生きられる場所はそう多く残されていないんだ」
エリスたちの反応を見れば、俺は彼女たちと敵対していたのは明らかだ。
そうなってしまう場所にいた可能性は高い。
5つの島の内で考えられるのは、好戦的なダークエルフが住まうアリス島。
クロエ島はシーサーペントの根城になっている。エマ島はエルフのルイーズ島と同じ運命を辿ったという。
ハイエルフのイネス島にいる今、やはり残された居住できる島はアリス島しかない。
『行ってみる価値はあるかもしれんな』
しかし、今はロキシーだ。
「ライブラ、俺のことはもういい。ロキシーのところへ案内してくれ」
「そうかい……なら、こちらへ」
ライブラは神殿の屋根から、飛び降りた。俺は黒弓を黒剣に戻して、鞘にしまって彼の後を追う。
礼拝堂への道を歩きながら、ロキシーの状態を聞く。
「入れ替えはうまくいったのか?」
「まだ入れ替え中なんだ。徐々に御神体としての役目を連れてきた者へ委譲している」
話しぶりでは、簡単に入れ替えができないようだった。
礼拝堂の中に入ると、たくさんのハイエルフたちが避難をしていたようだ。
その中でセシリアが俺たちを見つけて、走り寄ってきた。
「フェイト!」
彼女は俺の体をペタペタと触って確認して、ほっと胸をなで下ろした。
「よかった。あんな巨大な竜はおとぎ話の世界の産物よ」
「グレートウォールのおかげかな」
セシリアにはこの後、エリスや聖騎士のことを話さないといけない。
その前に、俺はロキシーをちゃんとこの目で見ておきたかった。
「今、入れ替え中で順調よ。顔色が悪かったんだけど。見て、すごく穏やかに眠っているわ」
ロキシーの負担は無くなっているのは、俺の目にも明らかだった。
その隣に並べて設置された容器には、緑髪の彼女が入れられていた。御神体として創れた存在であるためか、グレートウォールに繋がっているのに平気に感じられた。
「ライブラ、ロキシーはどれくらいで解放されるんだ」
彼は首をひねって少しだけ考えた後、少し困った顔をした。
「こればかりは、ロキシー次第としか。彼女は正式な御神体ではないからね」
「グレートウォールは本来の力を取り戻しつつあるんだろ」
「そうさ。今はまだロキシーがメインの状態で、足りないところを代替えが補っている。二人でグレートウォールを維持していると言ってもいいかもね」
「まだ時間が必要か……」
打開策がなかった頃に比べたら、大きな前進だ。後はロキシーがグレートウォールから解放されるのを待つだけか……。
心が逸ってしまいそうになるが、彼女の目覚めを静かに待つしかない。
そんな俺にライブラが提案してくる。
「ロキシーが目覚めるのは、今日や明日ではないだろう。かなり深く繋がっているようだからね。その間にダークエルフがいるアリス島へ行ってみるのはどうかな?」
「戦争が始まろうとしているのに、それはできない」
エリスたちは神殿の地下を狙っていた。理由はハイエルフの世界を支える施設がそこにあるからだった。なんとか防げたけど、次はグレートウォールを維持しているロキシーが狙われるかもしれない。
そんな状況でここを離れるなんて考えられなかった。
「安心してほしい。ここのグレートウォールは本来の力を取り戻している。さきほど敵を排除したときに君も目撃したはずだ。守りは鉄壁。そして、ハイエルフたちは2度に渡る奇襲によって、大きく疲弊している。さらに内部で粛清までしたんだ」
「しばらく戦争はないといいたいのか?」
「やりたいけど、できないのさ。大きな争いが始まれば、アリス島へはいけなくなるだろう。君の失われた10年を取り戻すためには、今しかないと思うけどね」
本音を言えば、このままずっとロキシーの側にいたい。
でも、あの聖騎士の憎しみに満ちた顔が脳裏から離れないのだ。
ロキシーと一緒に帰れると思っていた王国がどんどん遠のいていくように思えた。
俺は彼女が入った容器に手を重ねた。少しだけ冷たくて、ロキシーからわずかに発せられる光は温かみがあった。
ロキシーはこんなにも頑張っているのに、目覚めたら王国との戦争だったら、どんなに悲しむだろう。しかも、俺は裏切り者らしい。
何もわからないまま、彼女を巻き込むわけにいかない。
「ごめん、ロキシー。もう少しだけ俺に時間を……」
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