第281話 三賢人(10)
食べた! 食べた!
食料と水は帰りのことを考えて、念の為半分ほど残してある。
それでも、腹一杯になれるほど食べられたのは、高度な技術で圧縮された保存食のおかげだ。それらは小さく乾燥しており、ちょっと水を掛けるだけで、元の大きさへと膨らむ。
素材そのものと同じというわけにはいかない。しかし、出来上がった料理からは、食欲をそそるなんとも良い香りがした。
俺の知る限り、保存食として加工されたら、やはり味や香りは大きく失われてしまう。
そこらへんがちゃんと計算されているのだろう。
口の中に入れると、良い香りも相まって、しっかりとした濃厚な味付けがされていた。
これだけの熱の入れようだ。保存食はハイエルフの食文化の一つとして、大事にされているのかもしれない。
セシリアは俺の横で、まだ水をかけて元に戻した保存食を食べていた。
あれは細長い小麦の麺に、煮詰めたトマトソースをかけたものだ。
ライブラは保存食をちゃんと理解しているみたいで、食べやすいように使い捨てのナイフやフォークなどを入れてくれていた。あいつって、ちゃんと飯に興味があるんだ……意外だ。
俺の中で、ライブラがまともに食事をしているのを見たことはなかった。知っているのは、最初に出会った時にワインを嗜んでいたくらいだ。
新たな情報に、俺はライブラが満面の笑みで手づくり弁当を持ってくる姿を想像してしまい、うっとなった。
「どうしたの、フェイト?」
「いや、その……ライブラにも人間のような部分があるんだなって思ってさ」
「私からは、紳士的な人だと思うわ。表向きだけどね。裏の顔は知らないし」
「うん、知らないほうがいいよ」
「フェイトの話を聞く限り、深くは関わらないほうがいい人ってのはわかるわよ。でも、ロキシーさんや兄さんのこともあるし、避けては通れなさそう」
「あいつはそれをわかっているんだ」
ハイエルフの世界に来てから、ずっとライブラを中心にことが進んでいるような気がする。俺はグレートウォールを見に行ったり、獣狩りに同行したり、ゲオルクの襲撃を阻止したり、元老院議長の夕食会に参加したりした。それらにはライブラが何らかの形で関わっていた。
今も、ロキシーをグレートウォールから解放するために、三賢人が創ったとされる地下施設にいる。それもライブラの手引きによってだ。
『今は踊らされてやればいいさ』
「それもいいかもな」
他に手立てがないのだ。今は相手の手札を選ばされている。
しかし状況次第では、逆の立場にだってなりえる。
つまり今は我慢の時だと、グリードは言いたいのだろう。
「なら、盛大に踊らないとね」
セシリアが食事をぺろりと完食して、高らかに宣言した。
おおっ! 俺とグリードはそんな彼女に拍手喝采だ。
「セシリア、その意気だけど……とりあえず、口を拭こうか」
彼女の口元には、先ほど食べた保存食のソースがべっとり付いていたからだ。
俺はポケットからハンカチを取り出して、彼女に渡す。
セシリアは口元を手で隠しながら受け取った。
「ありがと」
後ろを向いて、綺麗さっぱり! セシリアは俺にハンカチを返さずに自分のポケットにしまいながら言う。
「これは洗って返すね。それにしても、フェイトがハンカチを持ち歩いているのは意外」
「俺だってハンカチくらい持っているよ」
『いや、これはアーロン仕込みだな』
当たりである!
アーロンには領主としてのいろはを叩き込まれていた。これも身だしなみの一環だ。
「アーロンさんって人は、本当にフェイトによくしてくれているのね」
「まあね。あの人はとても面倒見の良い人だから」
「ますます会ってみたくなったわ。きっと素敵な人なのでしょうね」
「ああ、その時はちゃんと紹介するよ」
セシリアに会えば、絶対にアーロンは笑みをこぼしながら、迎え入れてくれるだろう。
そして、彼女にいく宛がないというのなら、自分たちと共に暮らすことを勧めてくるはずだ。
「フェイトがアーロンさんの話をする時の顔を見れば、よくわかるわ。今から楽しみっ」
俺も楽しみだ。アーロンがセシリアを気に入ることは俺が保証する。
「私はもう準備できたわ。いつでもいけるわ」
「よしっ、出発だ」
ずっとハッチを開けたままで、放置していた。それでも、下から何らかの反応は全くない。
やはり、魔物は徘徊していない確率はさらに高まったといえる。
『安全を確認!』
グリードからもお墨付きをもらった。
急に幸先がいいぞ。階層ダイブからのテンション急上昇である。
早速、俺からハシゴを伝って降りていく。
「明るいって、いいわね」
「あとジメジメしていないし」
「もし、下の施設が正常に稼働中なら何を研究していたのか、わかるかもね」
「上の魔物の暴れっぷりから考えると、良いものではなさそうだ」
「言えてるわ」
期待はしていない。それでも三賢人がこの地下施設でなにをしようとしていたのかは気になる。ここは生態プラントを維持している施設でもある。
それに類するものが研究されているのだろうか。
「三賢人の研究。兄さんに近づけるかも……」
セシリアがポツリとこぼした言葉。エルフの世界……ルイーズ島にもこの地下施設はあったはずだ。なら、統治者だったゲオルクが存在を知らないとは思えなかった。
彼女にとって、三賢人について理解することは兄への近道なのだ。
「ああ……」
それが彼女にとって幸せなことだろうか。一つ一つの言葉からは強張った声しか聞こえない。
俺は気の利いた返事ができなかった。
『到着だ!』
よっと、俺はハシゴから飛び降りて、着地をする。
床には塵一つ落ちていない。ハッチの部屋と同じで、完璧な空調が稼働しているようだ。
「ここも涼しくて、空気が美味しわ」
俺の横に立った彼女は背伸びをしながら言った。
『やっと本来の姿を拝めたな。待ちくたびれたぜ』
「ここにある機器が動いていたら、情報を取得できるか?」
『俺様にかかれば、なんということはない』
「期待しているぜ、相棒!」
グリードは満更でもない声で返事をする。
『しかたねぇな』
ハシゴを降りた先にあったのは上と同じような部屋だった。
ハッチ専用の空間らしい。
部屋から出るためにも、認証機器にマスターキーを通す必要があった。
「開けるぞ」
「ええ」
念の為、武器を構えてドアのロックを解除した。
ドアは静かにスライドして、冷たくて無音の世界が現れた。
わずかに青みがかった床と壁。上の階層とは使用されている材質が違うことは一目でわかる。
しかも、この素材の上では足音が立たない。壁を叩いてみても、同じだった。
『丈夫であり、吸音性もあるのか……みたことのないものだ』
「三賢人は静かに研究をしたかったのかな?」
『それだけで、通路まで覆うのか? 研究室だけでいいだろ』
「私たちの声も吸収しているみたい。少しでも離れるとフェイトたちの声がとても小さくなる」
おいおい、こんな状態で、どうやってコミニュケーションを取っていたんだ。
気になるな……。
俺たちは離れることなく先に進む。通路はずっと研究室へのドアはなかった。
避難ルートなのだから、入れる場所がたくさんあるのかと思ったらそうではなかったようだ。
『本来このルートは、本当の緊急時に使うものだったのだろう。もしかしたら、研究室側からのみ開けれるのかもしれん』
確かにそのほうが理にかなっている。避難ルートから研究室への侵入自体、普通ではありえないと思われる。そのほとんどが、悪意ある侵入のケースが多いだろう。
「壁に穴を開けて、中に入りたいところだけど」
『もし魔物が閉じ込められている場所だったら……大変なことになるわ』
「そうなんだよ」
どうやって研究室へ忍び込もうかと思っていると、ここぞとばかりに偉そうな奴がいた。
『とうとう俺様の出番だなっ!!』
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