第279話 三賢人(8)
下を飛び回る魔物たちは、まだ俺たちに気がついていない。
空中戦は今の状態ではとても無理だ。
「このまま突っ切ろう」
「わかったわ。しっかりと捕まっていて」
セシリアは精霊術での落下速度低減をやめた。
途端にスピードはみるみるうちに上がっていった。
『衝突したら一貫の終わりだぞ』
「任せて!」
彼女は俺を抱き抱えたまま、魔物の群れへ突っ込んだ。
大きな魚のような魔物が悠然と泳いでいる中を精霊術を使って風を操り、見事に回避していく。
「やばい、気づかれた!」
「問題ないわ」
落下する俺たちに向けて、無数の鋭い歯が並んだ大きな口を開けて待ち構えている。
しかし、飲み込まれる寸前で、セシリアはひらりと躱した。ギリギリで避けたのは理由があった。次の魔物が俺たちを食べようとしていたからだ。
そいつから隠れるために、先ほど躱した魔物に張り付くように落下する。
『うまいものだ』
「風の扱いなら誰にも負けないわ」
グリードが褒めるのも納得だ。魔物を引きつけて躱すことで、追撃されない。風をまるで手足のように扱っている。
それでも魔物の群れが厚い層となっており、ひたすらに注意を払う必要があった。
セシリアはその状況でも魔物たちの動きを把握し、予想して回避を繰り返す。
次第に額からは、一筋の汗が流れ落ちていた。
俺も周りの魔物の動きを見て、少しでも彼女の力になろうとした。しかし、思いとどまる。それは、今のセシリアにとって、神がかった集中力に水を差しかねなかったからだ。
グリードも同じことを考えていたのだろう。最初の落下時には、魔物の警戒役を買って出ていたのに、静かにただ見守っていた。
俺はホログラムを出して、落下位置を確認する。
ここはすでに7階層なのかっ!?
3階層から7階層まで抜け落ちて、空っぽということか。
なら、あの灯りがある場所はおそらく8階層だろう。
セシリアはうまく魔物を掻い潜ってくれている。このまま順調にいけば、やっと足がつく場所へ到着できる。
俺とセシリアは互いに頷き合った。もう少しだ。
そう思った矢先、俺たちに向かって強い風が吹いた。
『セシリア! 上だ!』
グリードは俺たちに危険を知らせる。ずっと上の層で旋回していた空マンタが、下の騒動を聞きつけて、舞い降りてきたのだ。
空マンタは長い尾を振り回して、俺たちを取り巻く邪魔な魔物を蹴散らしていく。その度に風が荒狂った。
「くっ、なんて風なの!」
セシリアが驚くのもよくわかる。空マンタが作り出した風が、俺の頬を掠めただけで肌が切り裂かれたからだ。
あの風には強い殺意が込められている。
バラバラになった魔物たちが、俺たちの周りに散らばりながら、一緒に落ちていく。
「魔物より、俺たちの方が美味しそうかよ」
空マンタは見つけた俺たちに一心不乱に飛び込んでくる。
いままで俺たちを狙っていた魔物たちからしたら、たまったもんじゃない。
攻撃をされようがお構いなしに、一斉に俺たちのところへ飛び込んでくる。
撒き餌に群がる魚そのものだった。
上からは白マンタ。四方八方からは、魚もどきの魔物が群れを成して襲ってきた。
この集中攻撃を躱しきれるのか!?
俺の心配をセシリアの力強い声が掻き消す。
「信じて、フェイト!」
俺は彼女の腕をぐっと強く握った。それが俺の彼女への返事だった。
「いくわよ」
精霊力を高める腕輪が光り輝く。その光に包まれた時には、俺たちは魔物の群れから遠ざかっていた。空マンタも俺たちを見失って、体をくねらせて必死に探している。
「なんて速さだ」
「本気を出せば、フェイトを抱えても飛べるわ」
彼女こそ、無茶をしている。額には先ほど以上の汗が流れ落ちていた。
セシリアの鼓動を感じられる今ならわかる。
自分の精霊力を超えた力を使っている。それは一時的とはいえど、肉体に大きな負担だ。乱れている心音で悲鳴をあげているようだった。
俺に無茶をするなと言っておいて、当の本人がそうなんだから、困った人だ。
セシリアがはめていた腕輪が耐えきれずに砕け散る。それと同時にセシリアの意識が薄れていった。
「もう少しだけ、もう少しで……あそこに着くから」
光が灯る8階層。彼女はそこだけを見ていた。
「ありがとう、セシリア。もう大丈夫だ。ここからは俺がなんとかする」
「……フェイト」
落ちながら、入れ替わるように俺はセシリアを抱き寄せた。
この高さなら、着地ができるはずだ。
「休んでいてくれ、8階層のハッチへは目算がついている」
「わかったわ……」
彼女は力無く、俺の頬を触ろうとしたけど、届くことなく静かに目を瞑った。
『フェイト、そろそろ底が見えてきたぞ』
「思っていた通り、瓦礫の山だな」
3階層から7階層までの隔壁や研究施設が瓦礫となって、まとめて8階層へ降り積もっているのだ。
上からは、また魔物たちが執拗に迫ってきた。
「着地をするぞ!」
『足元に気をつけろよ』
なるべくセシリアには衝撃が来ないように、気を遣って瓦礫の山へと着地した。
衝撃によって、瓦礫の中へと入り込んでしまった。
「中へ空洞になっているのか……」
『魔物からは丁度いい隠れ蓑だな』
瓦礫の中でも比較的柔らかい場所に落ちたことによって、俺は擦り傷くらいで済んだ。抱き抱えているセシリアは無傷。
思わず、安堵の息がでてしまう。
しかし、無理としたため、彼女の腕には痣ができていた。精霊力を高める腕輪が弾け飛んだときにできた傷だろう。
『通路のようになって奥に続いているな』
「ああ、うまくいけばハッチがあるところまで進めるかもしれない」
セシリアを背負い直す。心音は正常となって、ゆっくりとした呼吸が聞こえた。
彼女にはもう故郷と呼べる場所はない。それでも力を貸してくれている理由は……。
「セシリアはゲオルクをどうしたいんだろう」
『さあな。衝撃の際、何かしらの会話をしたようだが……』
彼女は一体どのような話をゲオルクにしたのだろうか。その場にいなかった俺たちにはわからない。そして、無理に聞くのも、彼女の心に無断で踏み入るような気がして憚られた。
『あいつとはこの先、また戦うだろうさ』
「グレートウォールの中には、もう入ってこれないだろ」
『今のところはな。お前だって大罪スキル保持者ならわかっているはずだ』
「……さあね」
惚けてみても、グリードの冷静で淡々とした声が終わることはなかった。
『世界の理を破りしスキル』
俺の暴食スキルは、この世界に来て初めのうちは全く役に立たなかった。
そうだ。俺の全ての始まりだった腹が減るだけのスキルに成り下がっていた。
しかし、時間が経つに連れて、適応して世界のルールを飲み込み出した。
この世界に来て、急に暴食スキルの力を失ったことで、忘れていた無力感を思い出した。その裏では、やっと解放されたようで心が軽くなったようだった。
全ては杞憂だったわけだが。
グリードが言ったように、俺と同じことがゲオルクにも起こっていてもおかしくはない。制御も難しく、折り合いをつけることなど許されない大罪スキルだ。
力に目覚めたばかりのゲオルクが、ことを急いで攻め込んできた理由がそこにあるのかもしれない。
ならば、再戦の日は近い。
『見ろ、フェイト。通路が見えてきたぞ』
「天井はボロボロだけどな」
照明は生きており、明るい光が俺たちを導いてくれているかのようだ。
あれなら暗視無しで進めそうだ。
俺はマスターキーからホログラムを起動する。
「近いな」
『たまには順調もいいものだな』
さっきまで、ずっと落下していて魔物にも襲われて大変だったんだ。
背中のセシリアはすやすやと寝息を立てていた。体力の回復にはしばし時間がかかりそうだ。
「さあ、先に行こう」
このまま、すんなりとハッチに行きたいものだ。なんせ、本来は避難ルートなんだからな。
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