第278話 三賢人(7)

「フェイトっ!」


 立っていられなくなり、倒れ込む俺をセシリアが抱き止めてくれた。


「すごい血よ。肌の色もおかしいわ」


 精霊術で治癒してくれているようだった。彼女の温かさを感じる。

 次第に荒れ狂っていた心臓の鼓動が治っていった。


「かはっ、楽になったよ」


 大きな血溜まりを吐いて、呼吸もいつものように落ち着いてきた。

 まだ大きく息を吸うと肺は痛むけど、先ほどに比べれば大きく改善している。


「何が起こったの! 蟻をすべて倒したら、フェイトもボロボロになったわ」

「これは……」


 セシリアに暴食スキルについて、俺が置かれている状況について、説明した。

 彼女は俺の話を静かに聞いていた。


「相手の力を取り込める力……その力が私たちの世界でも使えるようになったと?」

「ああ、初めは精霊だけだった。それが精霊力と呪いもステータスとして取り込めるようになったんだ」

「暴食スキルってのが、この世界を理解し始めているってことね」

「おそらくな。でも、ずっと気になっていた呪いの効果が今わかったよ」


 俺に死を届けるステータス値だ。致死量に達したら、俺は死ぬ。


『なら、俺様の出番だな。奥義でステータスを取り除いてやる』

「ダメだ」

『フェイト、何を考えているっ』

「ここでは奥義は使えない。それにせっかく上昇した精霊力がなくなってしまう」


 精霊力と呪いは俺にとっては表裏一体。


「ゲオルクと戦ったときに気づいたんだ。奥義として呪いを消費するとき、今までとは比べ物にならない威力になるって。それはグリードだってわかっていたことだろ?」

『ああ、そうだ。だが、お前の体がもたないのでは話にならない』

「セシリアのおかげでずいぶんとよくなった。もう大丈夫だ」


 喰らえば、死の呪いも味わうことになるとはな。

 この世界はどうやら俺に優しくできていないらしい。


 もし暴食スキルが新たな解析を進めてくれたら、克服できるかもしれない。まあ、俺としては、今もずっと苦しめられている暴食スキルにこれ以上頼りたくはないのが本音だ。


 俺は一人で立ち上がってみせる。腕を見たら、肌がすこしだけ紫色に変色していた。


「定期的に治癒するから、無理は禁物よ」

「一度に魔物を倒すのはやめるよ。さっきみたいな反動は無くなると思う」

「できる限り、私の方で魔物を処理するから、今度はフェイトがサポートね」

「了解!」


 彼女の勇ましさに感謝しつつ、俺は三階層へのハッチに視線を移した。


「魔物の数が多くなってきている。下はもっとか…それとも」

「意外に少ないかもね。私たちにとってはそっちが好都合よ」

「そう願いたいものだ。さあ、開けるよ!」


 ハッチにマスターキーをかざす。

 ピッピッピッ! 音が聞こえた後に、ハッチのロックが解除された。

 さてさて、下はどうなっているだろう。


 自動で開かれたハッチをセシリアと一緒に顔を突っ込んで覗き込む。


「おっ、すこし灯りが残っているぞ」

「ずっと下の方でわずかに光っているわね」


 ん!? 目算だけど、光が見える距離が今よりも遠く感じる。

 セシリアも同じように見えたらしい。


「3階層だけ他と比べて深いのかしら……」

「大変かもしれないけど、降りてみよう」


 据え付けられた梯子を一歩一歩踏みしめながら、下を目指す。

 途中、俺たちの近くを飛行する魔物が横切った。

 静かに身を潜めていたことで、なんなくやり過ごすことができた。


「飛行する魔物がいるなんて……」

「かなり大きかったな。俺たちを発見できなかったら、目は悪いんだろう」

「他の感覚で獲物を認識しているのかもね。とりあえず、動かなかったら大丈夫みたいだけど」


 飛行する魔物は俺たちが降りている場所を縄張りとしているようだ。

 何度も俺たちの近くを旋回した。

 その魔物は扁平な菱形をしており、細長い尾を持っていた。とても鳥には見えない。

 セシリアは海にいるマンタに似ていると言っていた。


 正式な名前は知らないけど、俺たちは飛行する魔物を、空マンタと呼ぶことにした。


「フェイト、空マンタがまた来たわ」

「了解」


 互いに魔物の接近を報告し合って、その度に動きを止める。

 そうこうしているうちに、80mくらいは降りてきたはずだった。

 上の階層と同じなら、ここで床が現れるはずだ。


「そろそろなのに、おかしい」


 俺はさらに下へ降りようとした時、足元に何もなかった。

 床はもちろん、梯子すらないのだ。


「うあああっ!」

「フェイト! 手を」


 ギリギリのところでセシリアが俺の腕を掴んでくれたので、落下せずにすんだ。


「危なかった……梯子が途中から無くなっている」

「いいえ。よく見て、フェイト」


 暗視を効かせた目を細めて、周りを見る。

 うそだろ……。


「階層が抜けているのか!?」

「ええ、間違い無いわ。私にもそう見えるもの。グリードさんはどう?」

『二人と同じだ。魔物によって破壊されたのだろう』


 施設の全体図に載っていた分厚いアダマンタイト製の隔壁を破ったというのか!?

 しかも一部では無い。三階層のほぼすべての隔壁がなくなっている。


『三階層の底が抜けている』


 さらに下の層に行こうにも、これ以上の梯子はない。

 ホログラムでこの階層のハッチがあった場所を調べている。


「遠いな。本当に避難できるように作っているのかよ。この地下施設は」

『研究施設がメインで、避難は二の次だっただろ。全体図から読み取れるぞ。空いたスペースを無理やり避難通路にしたのがな』


 二進も三進もいかない状況の中で、セシリアが提案をしてきた。


「風の精霊の力を借りれば、ゆっくり落下するくらいはできるわ」


 ラムダの腕輪によって、精霊術の力が上がったとはいえ、俺と抱えて飛ぶのはかなり難しいようだ。精霊術で空を飛ぶことは、途轍もなく高度の技術と力が必要なのだという。


 しかし、落ちる速度を緩めるのは話が違う。

 定期的に足の下に強い逆風を作り出すだけでいいらしい。


「飛び降りたら、私がフェイトを抱きかけるから」

「……わかった」

『おいおい、フェイト姫だな』

「こんなときに冗談はやめろ」


 俺とセシリアはタイミングを互いに計った。


「いくわよ。1……2……」

「「3!」」


 一緒に梯子から手を離した。

 落下しながら、俺たちは手を繋いだ。


「さあ、フェイト姫! こちらに」

「おい! セシリアまでやめてくれよ」


 彼女は俺の手を引いて、お姫様抱っこをした。

 うん。なんとも言えない気分だ。


『姫は戦いでお疲れだ。丁重に扱ってくれ』

「わかったわ」

「……もう好きにしてくれ」


 俺はセシリアの腕の中でされるがままだった。

 彼女は精霊術で落下速度を減速させる。


「とりあえず、下に見える灯りを目指しましょう」

「俺はホログラムで現在位置を確認するよ」

『なら俺様は、周囲の魔物を警戒してやろう』


 各々の役割分担ができたところで、さらに下へと落下していった。

 俺はホログラムをずっと見ていた。

 おかしいのだ……もうすでに示された位置が五階層となっている。


「なあ、生態プラントの運転効率が30%に低下した一番の理由はこれだよな」

「そうだと思う。何も無い空間がこれだけの深さで続いているんだもの」

『逆にまだ維持できている方が奇跡だ』


 下の光を眺めていたら、チラチラと点滅していた。

 これだけ施設が大きく損傷しているのだ。ライトが故障して、点いたり消えたりを繰り返しているのだろう。そう俺たちは思っていた。

 しかし、魔物を警戒していたグリードがいち早く気が付く。


『下に魔物の大群だ。空を飛んでいる!』


 点滅して見えていた理由は、魔物が光を遮っていたからだった。

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