第277話 三賢人(6)
侵入に気づかれているから、早く蟻塚から抜け出すべきだ。
巣の壁を切り抜いて、ホログラムが示すハッチがある場所へ一気に目指す。
「セシリア、見張りを頼む」
「了解! 迎撃も任せて。フェイトは道を切り開くことだけに集中して」
彼女から心強い言葉をもらった。安心して、巣の壁に専念できる。
セシリアが素早く黒大蟻を処理してくれたことで、中心部に向けてかなり深く侵入できた。ハッチまでもう少しだ。
「この先に、ハッチがあるのね」
「いくぞ」
俺は巣の壁に黒剣を差し込む。
ん? この手応えは……。
『今までよりも厚いな。2倍くらいはありそうだ』
「この先が巣の中心部だからか」
『よほど大事なものがあるんだろ』
その割に、俺たちがいる場所の警備は手薄だった。外側の方がわらわらと黒大蟻がいた。
違和感を感じるが、先に進まないと始まらない。
俺は黒剣に力を入れて、巣の壁をくり抜いて穴を開けた。
「おいおい……」
「これってまずいわよね」
『数えるのが馬鹿馬鹿しくなるな』
千、いや万……さらに奥にもあるとしたら、それ以上だ。
俺の身長くらいの白い卵がぎっしりと産み付けられていた。
そして、俺たちの足元にある卵がカタカタと揺れ始めた。
パキッという音を立てて、中から黒大蟻が顔を出した。
「うあっ!」
俺は咄嗟に、黒剣で斬り伏せる。
《暴食スキルが発動します》
《ステータスに精霊力+50、呪い+8が加算されます》
俺は頭の中で聞こえてきたステータス上昇に違和感を覚えた。
死んだのは見るからに働き蟻だ。それなのに今まで倒したものよりも、得られるステータスが大きい。
強くなっている? 進化しているのか!?
倒した働き蟻の頭部をよく見ると、小さな角が生えていた。
『世代交代で自らを強化できる魔物か』
「閉鎖空間での生き延びる術ってことか」
『他が孵化しないようにそっと進むべきだな』
そうしたいところだが、所狭しと産み付けられた卵が邪魔をする。
なんとか間を縫って、ホログラムが指し示す場所へやってきたのだが……。
「大きすぎだろ」
「他の卵の10倍はあるわね」
なんだ…この卵は、他のものと比べて大きさもさることながら、殻には不気味な紋様があった。
『なあ、フェイト。これらの卵を産んだ女王はどこにいる?』
「さあな。これだけたくさんの卵を産んだんだ。力尽きているのかもな」
俺たちがこれだけ、大事な卵のそばにいるのに、女王蟻はいっこうに姿を表さない。
それをよしとして、ここまで進んできたわけだが……。
「もしかして、世代交代なのかしら」
「となるば……この巨大な卵は」
『新しい女王だろうな』
まわりには、その女王に従う数えきれないほどの蟻たち。
このままにしておけば、いずれ隔壁を突破されて地上へ出てくる恐れがある。
「処理しよう。セシリアはできる限り、周りの卵を頼む」
「俺はこいつを斬って、退ける」
女王の卵をどうにかしないことには、下の階層へ行けない。
『まだ羽化しないうちに、やってしまえ』
俺は大きく飛び上がる。そして、黒剣を強く握って、卵の天辺から下まで斬り裂いた。
女王の卵はガタガタと振動した後、ドロリと中身を吐き出した。
床一面に、その液体が広がっていく。
「倒せたのか……いや、まだだ」
俺は他の卵を駆除していたセシリアを抱き抱えて、後ろに大きく飛んだ。
「暴食スキルが喰えていない」
黒剣が中身まで到達できていなかったようだ。
俺はセシリアを降ろして、女王の卵を確認する。俺が斬り込んだ割れ目から、刺々しい足を出していた。
大きく分厚い外骨格だ。兵隊蟻など比べ物にならない。
次の瞬間、卵は砕け飛び、散弾のように俺たちに襲いかかった。
「私が止めるわ」
セシリアは精霊術で風の障壁を作り出し、殻の散弾を弾き返す。
『女王の早すぎた誕生か』
俺たちが目指すハッチの真上に、生まれたばかりの女王蟻が鎮座していた。
でっぷりとした大きな腹をくねらせて、俺たちを威嚇している。
グリードが言った「早すぎた」という意味はすぐにわかった。
「ところどころが、形をなしていないわ」
「俺が無理やり起こしたからな」
女王が頭を上げて、大きな顎牙を鳴らし始めた。
その音に呼応するかのように、周りの卵が蠢き出す。
「羽化できるのか!?」
『女王の一大事だ。あれらはこのために存在している』
「援軍も来ているわ」
世代交代のために、切り捨てようとしていたものも呼び寄せていた。
背に腹はかえられぬ。新しい女王は、なんとしてでも俺たちを排除して生き延びる気だ。
女王の音で羽化した黒大蟻たちは、どれもが不完全な形をしていた。
目がないもの、足が少ないもの、頭が歪なもの、尻がないもの……無理やり羽化したために、まともな形の蟻はいなかった。
それらの戦い方も、一線を画す。
ただ俺たちに向けてひたすら、突っ込むだけ。
自分の身など、どうでもよくて俺たちに少しでもダメージを与えられたら、それでいいと言わんばかりの攻撃だった。
さらに既存の黒大蟻たちまで加わってきて、大混戦になってしまった。
数が多すぎる! セシリアの精霊術だけでは、対応しきれない。
「ベリアルを出す!」
「ダメよ。それなら私の精霊獣を」
「いや、セシリアは精霊術をたくさん使っている。その上、精霊獣まで顕現させられない」
十分に温存させてもらった。
この大群を抑え込むためには、ベリアルの力が必要だ。
それにあいつを俺は仲良しなんだ。消耗を低減してくれるように気を遣ってくれるかもしれない。
「来いっ、ベリアル!!」
俺を中心に気温が低下する。襲い来る黒大蟻たちを一瞬で凍り付かせてしまうほどだった。さすがは精霊獣だ。登場しただけでこの威力だ。
それにしても、思った以上だった。俺が出し惜しみしていたから、ベリアルが張り切ってしまったようだ。
そのおかげで、いつもよりも大きく消耗してしまった。
「無茶は禁物よ」
「わかっているって。いくぞ、ベリアル!」
ベリアルは大きな口を開けて、冷気を吐き出した。よしっ、黒大蟻の大群を20%くらい氷付けにしたぞ。
無機質な声が俺の頭の中で、ステータス上昇を知らせる。
《暴食スキルが発動します》
《ステータスに総計で精霊力+1013000、呪い+162080が加算されます》
うっ……気持ち悪い!?
大幅なステータス上昇に体が耐えきれないのか?
暴食スキルからの影響ではない。もしかして、【呪い】のせいで体に異変が起こっている?
【精霊力】はセシリアも持っているものだ。しかし、【呪い】は聞いたことがない力だという。
嫌な予感はしていた。【精霊力】を得られると強くなれるけど、同時に【呪い】も取り込んでしまう。
口の中で血の味がした。よく見れば、手からも血が流れ出ている。
「フェイト、大変! あなた血だらけよ!」
「このくらい問題ないさ」
『俺様を握っている手の心拍数が異常だ。無理をするな』
大丈夫さ。このくらい今までの戦いに比べたらなんてことはない。
それよりも今は早期に決着をつけるべきだ。
暴食スキルによって、精霊力は格段に上がった。
その力をベリアルと共有する。
「セシリア、俺のそばにっ」
安全地帯は俺のそばだけ。それ以外はすべてが瞬間凍結する。
ベリアルは莫大な冷気を発した。
襲い来る黒大蟻たち、威嚇する女王蟻、さらには蟻塚すべてを包み込む。
冷気が収まったときには、凍って砕け散った残骸のみが残されていた。
《暴食スキルが発動します》
その声を聞いた途端、倒したすべての魔物のステータスが流れ込んできた。
【精霊力】は俺に更なる力を与えてくれる。しかし、【呪い】はまったく違う。
俺を死に近づける危険なものだ。腕を見ると、肌の色が内出血したように紫色になっていく。
この様子を見て、ロイが夕食会で使った精霊術を思い出していた。
ネクローシス……相手に死を届けるという残酷なものだった。
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