第276話 三賢人(5)
二階層は、上よりも酷い有様だった。
生態プラントの運転効率が30%に低下している理由もよくわかる。
通路は食い破られており、部屋が丸見えになっている。
「通路と部屋がほとんど一体化しているな」
「床に血の跡があるわ」
俺もセシリアと一緒に、床を確認する。血はまだ新しい。
「魔物同士が争っているのかしら」
「珍しいけど……ここでは食料がなさそうだし」
閉鎖された特殊な環境だ。俺たちが知っている食物連鎖とは、違うルールが成り立っているのかもしれない。
すごい湿気だし、そこで繁殖したカビやキノコでも食べているのかと、淡い期待を持っていた。魔物が互いに食料としているくらいなので、美味しそうな俺たちが格好のご馳走だろう。
『暴食らしく食われる前に、喰らうしかないな』
「ああ、食事の時間だ」
俺は黒剣を鞘から抜いた。セシリアも細剣を構える。
互いに背中合わせになって、視線を破壊された通路の壁へ向ける。
押し寄せてくる気配は俺たちを取り囲むように接近していた。
「来るぞ!」
通路の壁に空いた穴から、それはひょっこり顔を出した。
厚みのある顎牙をカチカチと鳴らしながら、大きな複眼がこっちを見ていた。
その目の黄色は特徴的で、黒く大きな体によく映えている。
俺は黒弓に変えて、黒大蟻にむけて魔矢を放つ。
急所と思われる頭を狙ったが、すんでの所で顎牙に魔矢が噛みつかれた。
恐ろしいほどの反射神経だ。
「ゲッ……魔矢を食べてるっ」
『相当腹が空いているんだろう』
通路に空いた沢山の穴から、黒大蟻がわらわらと這い出てきた。
あっという間に道が塞がれて、先へも後ろにも行けなくなってしまう。
「精霊術で道を切り開くわ」
セシリアが風精霊の力を借りて、正面へ向けて詠唱する。
かなりの数が、それを一掃するために精霊力を高める時間が必要だ。
俺はその間、襲い来る黒大蟻を黒剣で応戦した。
『フェイト、尻にある毒針に気をつけろ』
「見るからにヤバそうだな」
グリードの指摘通り、黒大蟻の尻から太い針が出し入れされており、そのたびに緑色の液体が滴り落ちていた。床にそれが当たると、ジュッと音を立てて変質した。
あんな液体を体内に打ち込まれたら、たまったもんじゃない。
黒大蟻の硬い外骨格よりも、刃を通しやすい関節部を狙って斬り伏せていく。
《暴食スキルが発動します》
《ステータスに精霊力+40、呪い+7が加算されます》
顎牙と尻針に気をつければ、セシリアが精錬術を発動するまでの時間は稼げそうだった。
それにしても、数がどんどん増えている。
この階層にどれだけの黒大蟻が潜んでいるんだ。
『フェイト、前と後ろから新手だ』
「で、でかい過ぎだろ!」
通路いっぱいの大きさの黒大蟻が突撃してきたのだ。
頭は体当たり専用と言わんばかりの角だらけだ。目は退化しているが、しっかりと俺たちを把握していた。明らかに戦闘より体格……他を働き蟻というのなら、あれは兵隊蟻だろう。
仲間を巻き込みながら、前後から二匹が駆けてくる。
このままでは俺とセシリアは、ぺしゃんこにされてしまうだろう。
『やはりここは、俺様の第一位階奥義……』
「それはなしだって言っただろ。セシリア、まだか」
「……おまたせ、いけるわ!」
セシリアは高めた力をすべて注ぎ込んだ精霊術を放った。
荒れ狂う風の刃が通路に深い傷を残しながら、兵隊蟻に衝突した。
「よしっ」
角をへし折りながら、兵隊蟻を頭に無数の傷を入れていく。そして、止めどない風の刃によって耐えきれずに頭は、細かく切り飛ばされた。辺り一面に兵隊蟻の体液がまき散らされるが、俺たちは躊躇することなく、前に進む。
道は開かれたけど、後ろからはたくさんの追っ手が迫っていたからだ。
「にげろおおおぉ!」
あんな数を律儀に相手している暇は俺たちにないのだ。
セシリアは走りながら、精霊力をまた高めていた。
挟み撃ちにされたときの保険である。
「いつでも放てるようにしておくわ」
「助かる」
となれば、身軽に戦えるのは俺だけだ。彼女はいつでも精霊術を放てるように待機していないといけない。そのため、集中が削がれる行動が出来なかった。
「セシリアはここぞというときに、頼む!」
「露払いをお願い」
任された! 俺は通路に空いた左右の穴から、飛び出してくる働き蟻を斬り伏せていく。そのたびにステータスの上昇を知らせる声が頭の中で聞こえた。
精霊力が上がるのは良いとして……ずっと気になっているのは呪いだ。
呪いが一体俺にどのような効果があるのかは、今だに不明だった。
あまり溜め込んで良いものとは思えない。しかし、位階奥義を発動する際に力にはなってくれているのは確かだ。
たとえリスクがあったとしても、やはり溜め込む以外に選択肢がなさそうだった。
『おっと、またしても兵隊蟻のご登場だ』
「なんか、足音が重なっているような……」
『よくわかったな。二匹が連なっているぞ』
一匹でダメなら、もう一匹ってことか!?
働き蟻や兵隊蟻の動きは、何者かの指示を受けているような感じだった。
「セシリア、頼めるか」
「任せて! この腕輪のコツが掴めてきたら」
放たれた風の刃が先ほどよりも、威力が上がっていた。
兵隊蟻の厚い外骨格をもろともしない激風だ。
「まだ先は長いから、フェイトはできる限り温存しておいて。精霊獣の顕現はもっての外よ。あれは消耗が激しいんだから」
「ありがとう、セシリア」
今は彼女の言葉に甘えさせてもらおう。
セシリアの言うとおり、精霊獣の顕現はとても精神を消耗する。それはゲオルクとの戦いで痛いほど思い知らされた。3日ほど意識を失っていた理由は、怪我以外にも精霊獣のダブル顕現が影響していたと思う。
俺は顕現ができても、精霊術が使えない。
無理矢理、暴食スキルで喰らった精霊だ。セシリアのように生まれ持った精霊ではないからだろう。
『奥義と顕現がお預けされたら、フェイトに何も残らんな』
「言い過ぎだ!」
黒剣と黒弓は使える……うん、それくらいだった。
今はいざという時に備えて、暴食スキルで力を蓄えるのみ。
『まあ、奥義の頼らずに、各武器を極める良い機会だ』
「できる限り、頑張るさ」
俺はマスターキーのホログラムで、ルートを確認する。
「このまままっすぐ進んだところに、下へのハッチがある」
「了解! いっけえええぇぇ!」
セシリアは返事をしながら、駆け込んでくる兵隊蟻を風の刃で切り刻んだ。
俺も後方から来る追っ手を、黒弓で牽制する。
「うまくなったな」
「追尾付きだから、それを利用することにしたんだ」
初めは顎牙で魔矢が受け止められていたが、死角からなら面白いように頭を貫ける。
「そろそろハッチがある場所だ」
ホログラムの全体図では、ハッチはこの先の小部屋に設けられているはずだった。
だけど、俺たちが駆け込んできたところは、大空間だった。
壁や天井が破壊されて、どこにもない。
あるのは聳え立つ蟻塚だった。
「まさか……蟻塚の中にあるの?」
「ホログラムは蟻塚の中心を指し示している」
あの中へ潜り込むしかなさそうだ。後ろからは兵隊蟻たちが迫っている。
迷っている暇はない。
「いくぞ」
「どこから、入り口は見張りがいるわよ」
「無ければ作ればいいのさ」
俺は黒剣をセシリアに掲げて見せる。
「グリード、よく切れるように調整してくれよ」
『任せろ!』
蟻塚は思った以上に分厚かった。それでも、斬れないことはない。
素早く、人が一人通れるくらいの切り込みを入れる。
そして足で蹴り押すと、壁は倒れて即席入り口の出来上がりだ。
「本当に良く斬れる黒剣ね」
『もっと褒めてもいいんだぞ』
「調子に乗っている場合か! 中に入ろう!」
俺たちを執拗に追っていた兵隊蟻たちが、蟻塚の見張りと合流したようだ。
顎牙をカチカチと鳴らし合って、周囲に警戒を促していた。
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