第275話 三賢人(4)

 長いはしごを降りて、やっと足が付くところに立つことができた。


「セシリア、大丈夫か?」

「平気よ。まだ第一層でしょ。こんなところで止まってはいられないわ」


 頼もしい返事に、俺は安心して先に進む。

 足下は、ところどころで水漏れがあるらしく、湿っていた。

 おそらく、この水分によってカビが発生しているのだろう。


「老朽化しているのか」

『違うな。魔物によって、施設が傷つけられているんだろう』

「見て、あそこの壁を」


 セシリアが示した壁には、大穴が空いていた。

 鋭い爪で切り裂かれたような跡がある。


『十中八九、魔物の仕業だ』

「この壁はアダマンタイトではないな。それにかなり昔の傷跡だ」

『すべてをアダマンタイトでつくることはできなかったのだろう。施設全体と階層を隔ている壁にアダマンタイトを仕込んでいるみたいだがな』

「よくわかるな」

『施設の全体図をもらっただろ。その情報からすぐにわかることだ』


 グリードのやつ……意外によく見ている。


「床をぶち破って下には進めないってことか」

『容易に破壊できるのなら、魔物はとっくにハイエルフの街にあふれかえっているさ』

「フェイト、どっちに進んだらいいの?」


 セシリアは前後を指さしながら、俺に聞いてきた。

 さっそくマスターキーの出番だ。施設のホログラムを表示する。


「ルートはこのまままっすぐだ」

「よしっ、いきましょう!」


 ホログラムのルート指示に従って、まっくらな通路を歩いていく。


「本当に明かりが無いんだな」

『ここは避難用の通路だ。通常なら誘導灯があってもいいはずだ』

「やっぱり、魔物に壊されたのかな」

『光に敏感なやつがいるのかもしれんな。気をつけろよ』


 長い間、光の世界で繁殖を繰り返した魔物。グリードの言うように、明かりに対して過敏になっていてもおかしくはない。

 光源を持たずに、精霊の力を借りた暗視でここに降りたってよかった。


 もし光源を持っていたら、いきなり魔物に囲まれていたかもしれない。


 それにしても、異常なくらい静かすぎるな。

 俺たちはルートを間違えることなく、進んでいく。そして、ゆっくりと得体の知れない気配が俺たちの後ろに増えつつあった。

 一定の距離を保ったまま、それ以上は近づいては来ない。だが、確実に数を増している。


「気になるか? セシリア」

「ええ、すごいプレッシャを感じる」

『慣れだ、慣れ。見てみろ、フェイトのぬぼーっとした顔を』

「それは褒めてないだろっ!」


 誰だって狩られる側になったら、落ち着かない。

 しかも施設の研究に使われていた曰く付きの魔物だ。俺は浮上したガリアで戦った古代の魔物を思い出していた。

 どれも非常に強力な力を持った化け物揃いだった。


 あのような魔物と閉鎖空間で戦うのは少々骨が折れそうだ。

 でも、襲ってこないのなら、俺たちはただ進むだけだ。


「えっと、この先は右に曲がるようだ」

「右ね」


 俺は彼女の後方を守るように歩く。戦い慣れした俺が背後に気を配った方が効率的である。


 先を進むセシリアが突然足を止めた。


「まずいわ、フェイト」


 俺も続いて歩みを止めて、見上げる。


「崩落している。隔壁のアダマンタイトが丸見えだ」

「通路が完全に塞がっているわ」

『どうする?』


 どうするも何も……まずは後ろから、急激に迫ってくるやつらをどうにかしないとな。

 その後で考えるべきだ。

 俺は黒剣を鞘から抜いた。


「グリードいけるか!」

『任せろ、最高の切れ味に調整してやる』

「セシリア、援護を頼む。まずはどのような敵かを探る」

「気をつけて!」


 彼女はそう言いながら、精霊術を唱える。

 緑色の小さな光が、俺を包み込んだ。


「風の精霊の守りをフェイトに与えたわ。これで攻撃を何度か防げるはずよ」

「助かる!」


 体も軽くなったような気がする。

 逃げ道がない以上、奥に押し込まれるのはまずい。

 できるだけ動ける空間を確保するためにも、先手必勝だ!

 俺たちを静かに追い回していた魔物の姿が見えてきた。


『ワームか』

「無数の鋭い足が生えているな」


 真っ赤な血のような色をした大きなワームが床や壁、さらには天井を這って近づいてくる。

 あの足はとても短いけど、至るところで歩けるほどの力は持っている。赤ワームに捕まれたら、身動きが取れなくなってしまうかもしれない。


 床を走っていた一匹が大きく飛び上がった。


『来たぞ!』


 赤ワームは口から大量の糸を吐き出す。俺はそれを躱して、両断した。


《暴食スキルが発動します》

《ステータスに精霊力+30、呪い+5が加算されます》


 よしっ、喰らえた!

 力が少し高まったのを感じる。しかも、暴食スキルが落ち着いており、俺への負荷が思った以上に少なかった。

 これは王国とは違うステータス概念だからかもしれない。


 今の俺には好都合だ。


『フェイトまた来るぞ』


 今度は数匹が一斉に糸を吐き出した。

 ん? なんだこの刺激臭は!?


 俺は黒剣でなぎ払うのをやめて、後ろへ飛び退く。


 大量の糸が床に落ちた途端に、ジュッという音を立てた。


『強酸か? それにしては激しすぎる』


 ドロドロに溶けた床は、今もなお煙を立てながら、穴が広がっていた。

 あんなに強力な酸は見たことがない。一滴でも触れたら、たちまちに体が溶かされてしまう。


 俺が引き下がったのを好機とみた赤ワームたちは、次々と酸の糸を吐く。

 さすがに接近戦には持ち込めなさそうだ。しかたなく、黒剣から黒弓に形を変えようと思ったとき、後ろから声がした。


「フェイト、伏せて!」


 俺はセシリアに従って、床に頭を庇うように倒れ込んだ。

 その上を鋭い空気の刃がいくつも通り過ぎていった。


 威力は抜群だった。空気の刃は、赤ワームが吐いた糸ごと切り裂いた。

 天井や壁に張り付いていた赤ワームたちが細切れになって床に落ちていく。

 俺の仕事は残った赤ワームを一掃することだ。あいつら仲間がいきなりたくさん倒されたことに驚いている。


『今がチャンスだ』

「わかっているって」


 赤ワームが体勢を整え直す前に、斬り裁いていく。そのたびに、暴食スキルが発動する声が頭の中で聞こえた。


「もう終わりかな」

『フェイト、横から伏兵だ!』


 おっと! 酸の糸を躱して、叩き斬る。


《暴食スキルが発動します》

《ステータスに精霊力+30、呪い+5が加算されます》


 積み重なった赤ワームの山を見ながら、俺は黒剣を鞘に収めた。


「ふぅ〜、今度こそ片付いたな」

「お疲れ様! 良い立ち回りだったわ。剣の腕がまた上がったんじゃない?」

「日頃の鍛錬の成果かな」


 スキルに頼っていたことを、この世界に来て痛感したからな。

 初心に戻って、剣術を一から鍛錬していたことが、ちゃんと結果として返ってきた感じだ。


「セシリアも精霊術の威力が上がっていたね」

「ラムダさんからもらった腕輪のおかげよ」

「ああ、精霊力を強化するんだったね」

「これでも出力を抑えてだから、本気を出せばもっとすごいよ」


 まだ威力が上げられるのか……。この腕輪は軍に納品予定だったはずだ。

 兵士たちに支給されたら、どれだけの戦力強化になるだろう。人間側からしたら、危険な装備だった。


 セシリアが装備してくれている今は、とても心強い。


 さてと、この行き止まりをどうしたものやら。

 俺とセシリアはルートを塞いでいる瓦礫の山を見上げていた。


『俺様の第一位階の奥義——ブラッディターミガンで吹き飛ばすか!』

「ダメに決まっているだろ。施設ごと吹き飛ぶわっ!」


 もっと穏やかな方法でここを通りたいのだ。

 グリードのとんでもない方法に困っていると、セシリアが何かを閃いたように声を上げた。


「そうだ! フェイト、これって使えるかもっ」

 

 倒した赤ワーム。その吐いた糸を指差していた。

 なるほど! 異常なほど強力な酸の糸を使って、瓦礫を溶かすわけか。


 試しに一匹の赤ワームの死体を持ち上げて、瓦礫の前に置いた。


「それっ」


 腹辺りを強く踏みつけると、口から大量の糸を吐き出した。

 瓦礫に当たって、みるみるうちに大穴が空いた。


「改めて見ても、すごいな……」

「浴びないように気をつけて、行いましょう」


 作業を進めていくうちに、面白いことがわかった。赤ワームの顎下にある小さな突起を触ると、糸を吹き出すのだ。


 なんかでっかい銃みたいだ。

 要領を得た俺たちは赤ワームを抱えて糸を吐き出させながら、瓦礫のトンネルを開通させた。


「やったね。うまくいくものね」

「他にルートがなかったから、助かった」

『一階層でこれなら、先が思いやられるな』


 トンネルを抜けると、下へのハッチが見えてきた。最初に見たものと同じアダマンタイト製だった。

 俺はマスターキーをかざす。ゆっくりと分厚いハッチが開いていく。

 のぞき込んで、二階層の様子を確認する。


「また真っ暗だ」

「もう慣れたわ」


 セシリアの言葉は頼もしかった。だけど、先頭は俺に任せろ!

 備え付けられたはしごを降りていく。カビの臭いが、上よりキツい。

 水漏れが酷くなっているのか……それとも他に理由があるのだろうか。

 二階層に着けば、わかることだ。


 一階層で瓦礫のトンネルを開通させるために、思った以上に時間をかけてしまった。

 急ぎたい気持ちを抑え込んで、真っ暗な闇の中を二階層に向けて、下へ下へと進んでいった。

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