第261話 御神体

「ロキシーっ!」


 彼女は俺の声に反応することはなかった。

 ただ視点の定まらない虚ろな目をしていた。


 俺にも、ロキシーの意識はまだ体に戻っていないことが理解できた。

 そんな状態の彼女は、眩い光を発し始める。この力は……精霊力か!?


 ステータスとして発現した今なら、はっきりと感じられる。この莫大な精霊力は、人が持てるものではない。

 そう思った時、ロキシーに呼応するように地震が発生した。


「グレートウォールが……」


 ブラッディターミガンで開けた壁の大穴から見えたグレートウォールは、青白く光を天に向けて放っていた。


「ライブラ! これはなんだ?」


 俺の声を無視して、ライブラはロキシーを見守り続ける。そして、手に持っていたミーティアも同じく光り輝いていた。制御に集中して、俺の話を聞くどころではないようだった。


「ベリアルがっ!?」


 神殿の上空でイフリートと攻防を繰り広げていたベリアルが、強制的に消されてしまったのだ。それはゲオルクのイフリートも同じだった。


「これは何だ……精霊力が使えない。それどころか、吸われている!?」


 俺はベリアルを封じられただけだった。しかしゲオルクはそれ以上の制限を受けているようだった。そして、ゲオルクの体に黒い霧のようなものがまとわりつきだした。


「この黒いのは!? 僕にまとわりつくな」


 すぐに声が出せなくなってしまった。理由はゲオルクの傷が、みるみる悪化していったからだ。床には吹き出した血で、赤い水たまりができていた。


「くそがっ! この僕が……」


 悪態をつきながら黒円を握りしめようとするが、もう攻撃できるほどの力はなかったようだった。


『チャンスだ、フェイト!』


 グリードに鼓舞されて、俺はなんとか立ち上がる。

 しかし、胸を大きく切り開かれているためか、口から大量の血を吐血してしまう。血を流しすぎたのはゲオルクだけではなく、俺も同じだった。

 それでもゲオルクに止めを刺すために踏み込もうとしたとき、


(……フェイ)


 ロキシーの声が聞こえたような気がした。

 それに重なるように、ライブラが言う。


「彼は行ってしまったよ。ロキシーによって飛ばされてね」


 意識が遠のく中で、ゲオルクがいた場所を見た時には、血溜まりだけが残されていた。

 すぐに視界は暗転して、何も聞こえなくなってしまった。ただ床の冷たさが体に伝わってきた。



◆◇◆◇◆◇◆◇


 俺は多くの者たちの祈りの声によって目を覚ました。


「ここは……」

「僕の部屋さ」

「ライブラ!」

「病み上がりだ。大人しくしておかないと、やっと閉じた傷口が開いてしまう」


 起き上がろうとした俺は、ライブラの手によって押されて、再度寝かされてしまった。


「あれからどのくらいが経ったんだ?」

「3日さ。今はお昼だよ。朝は鳥の美しい囀りだったのに、聞き逃してしまったね」

「ゲオルクは!?」

「せっかちさんだな。あれはもうここへ、入ってこれないよ」

「ん? 入ってこれない?」

「ロキシーがグレートウォールの力を使って、侵入禁止としたんだ。今の彼女はグレートウォールそのものだからね。まあそれでも無理やり入れたとしても、強力なデバフは避けられない。その状態で戦うことはまずできない。つまり、ロキシーがいる限り、ゲオルクがここを襲ってくることはないのさ」


 ライブラは俺が寝ているベッドに腰掛けて、ニヤリ顔をした。


「君が聞きたいのはそれではないはずだ。ロキシーのことをすぐに聞けなかったのは、怖かったからかな?」

「嫌な言い方だな」

「からかって悪かったよ。でも本当に君が聞きたかったのは、ロキシーのことさ」

「……話してくれ」


 俺を安心させるように、ライブラはゆっくりとした口調で話し始めた。


「彼女はとりあえず無事さ」

「何か問題があるのか?」

「魂はグレートウォールにあるにもかかわらず、自分自身を目覚めさせようとしたのだからね。もう無茶苦茶さ。それほど君を助けたかったのだろう。僕が力を貸したから、肉体の劣化せずに済んだ。ただし……」

「二度目はないと言いたいのか」

「その通り。次に同じようなことをすれば、今回の負荷とは比べ物にならない。ロキシーは今度こそ干からびてしまうだろう」


 俺は無言で、部屋に響き渡る祈りの声をしばらく聞いていた。

 そして、もしライブラが本当に俺に協力する気があるとしたら……。俺はベッドに立てかけられた黒剣を見ながら聞いた。


「ロキシーをグレートウォールから解放する方法はあるのか?」

「なくはない。でも君はそれを選ばないだろう」


 彼は意外にもすんなりと答えた。身構えていた俺だったが、一気に肩の力が抜けていくのを感じた。


「なぜそう言い切れる?」

「御神体としての代わりを用意すればいい。新しい生贄というわけさ。でもロキシーと同等の力を持った者でなければいけない」

「なら、俺を」


 ライブラは首を横に振った。


「君ではダメなんだ。大罪スキルが相性最悪さ。ちなみに僕も不適格だよ。君に敗れてから、弱ってしまったからね」


 窓の外に見えるグレートウォールを眺めながら、ライブラは続ける。


「ロキシーの魂はあそこにあり続ける限り、肉体に戻ることはない。君もわかったように、無理に起こそうとすれば、今度こそ彼女は死ぬ」


 ゲオルクとの戦いの際に、目覚めたロキシーはライブラの力を借りることで、命を失わずにいられた。

 次はないか……。彼女の干からびた姿が脳裏によぎりそうになって、頭を振るう。

 そんな俺の心情をおいて、ライブラは説明する。


「代わりの御神体を用意すれば、グレードウォールはその者の魂と繋がる。ロキシーの魂は解放され、本来あるべき場所である肉体へと戻ってくることだろう」

「ロキシーは自分のために誰かを犠牲にするなんてことは決して望まない。獣人たちを救うために御神体になった彼女を見ていたならわかるだろ」

「そして君もその選択は選ばない。僕が言った通りってわけさ」


 ライブラはベッドから立ち上がって言う。


「まずはゆっくりと休むことだ。早く傷を治さないと、その前にガリアに到着してしまうよ。僕はこれから、ロキシーのサポートさ」


 部屋を出て行こうとして、思い出したように振り返った。


「あ、そうそう。君の看護は特別に彼女にお願いしたからね。噂をすればなんとやらだ。あとは彼女にお任せしよう」


 ライブラが部屋から出て行って、しばらくしてドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 ドアから顔を出したのは、セシリアだった。


「フェイト! 目を覚ましたのね……よかった」

「心配をかけてごめん。セシリアは大丈夫なのか?」


 体は健康そうに見えた。俺が心配していたのはゲオルクのことだった。

 それは彼女にも伝わったようだ。


「フェイトは私が気を失ったあと、兄さんと戦ったのよね」

「ああ、ゲオルクはミーティアというロキシーにとって必要なものを奪おうとしていた」

「預言者……ライブラさんから聞いたわ。兄さんがミーティアを狙っていたこと」

「あれには大罪スキルか大罪武器の力を高める力があるのかもしれない」


 ライブラはミーティアを大罪武器の祖と言っていた。


「グリードは知っているか?」

『さあな、初耳だ。それにしても、大罪武器の祖とは大きく出たものだ』

「お前よりも強いのかな」

『バカをいうなっ。俺様が一番だ!』


 すごい自信だ。グリードはいつもと変わらず同じだった。


『ゲオルクはロキシーによって、グレートウォールの外側へ追放された。ライブラが言っていたことを鵜呑みにすれば、ここにいる限り襲ってこられない』

「そうだといいけど、もしものことがある。これ以上はロキシーに負担をかけられない」

『セシリアは、祝賀会で何か情報が得られたのか?』


 グリードが聞くと、彼女は申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい。ライブラさんや教会幹部に会わせてもらえるところで、兄さんが……」

「ゲオルクが襲撃してきたわけか」

「最悪のタイミングだったわ」


 せめてもの救いは、ゲオルクが顔を隠していたことだろう。

 エルフに襲われて、多くのハイエルフが命を落としたと知れ渡れば、セシリアはどうなっていたことか。好戦的なハイエルフに何をされるかを考えるだけでも恐ろしい。


 参加した祝賀会でセシリアは有用な情報を得ることはできなかった。あの惨状で聞こえたのは、ゲオルクによって精霊を剥ぎ取られるハイエルフの悲痛な叫び声だったという。


「グリードはロイの研究内容で良い情報はあったのか?」

『面白いものがあったぞ』

「なんだよ。勿体ぶるなよ」

『そう急かすな。体に障るぞ。グレートウォールについてだ』


 今すぐにでも知りたいロキシーに関係する情報だった。

 息を呑む俺たち。

 グリードは聞き間違いをしないように、しっかりとした声で言う。


『グレートウォールは、精霊が顕現したものだ』

「「えっ!?」」


 俺とセシリアは驚きのあまり、互いの顔を見合わせた。

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