第257話 ナイトダンス(4)
ケルベロスが咥えた肉塊の一部はうねうねと蠢いていた。
「いけませんね。捨てなさい」
ロイの命令によって、ケルベロスは大きく首を振って、咥えていた肉塊の一部を離れたところに飛ばした。
「切り離されても、生きているのか?」
「みたいです。僕が知っていたときよりも、よりしぶといです」
「嬉しそうに言うな!」
「これは失礼しました。それで、ご協力を頂けますでしょうか?」
俺がこの場で協力すると本気で思っているようだった。
「なぜ、そう思う?」
「フェイトさんにとって、僕は利用価値があるからです。ここで死なれては困るはずです。どうですか?」
「それは……」
言葉を詰まらせたのが、答えになってしまった。
ロイは俺が口に出さなかったことを、すらすらと話し始める。
「僕ほど、フェイトさんに好意的なハイエルフは他にはいないでしょう。もちろん、そうなればエルフであるセシリアさんに気を回してくれる者もいなくなります。彼女をよく思わない者から、あからさまに狙われることでしょう。そして、聖ロマリア様にはもう会えなくなります」
「くっ」
「この場で僕が死ねば、兄のオータムがあなたを怪しんで危険視するでしょう。いくら預言者様の意向があったとしても、ハイエルフのあなたへの不信感を拭いきれない。もう一度言います。そうなれば、あなたの大事な人は……」
「わかった。協力してやる。……だから、死ぬなよ」
「ありがとうございます。フェイトさんならそう言ってもらえると思っていました。もちろん、死ぬつもりはもうとうありません」
元々そのつもりでここにきたのだ。
そのことを殊更に言ってくるロイは、いい性格をしている。
「人間の力……見せてもらいますよ」
「お前も、ケルベロスを使いこなし見せろ!」
俺は黒剣を構えて、ジャスミンに向けて駆け出した。
『いけるのか? フェイト』
「倒し方はもうわかっている。ロイに一から十まで能弁に説明させる気はない」
『あのハイエルフを黙らせるぞ!』
ロイは俺の精霊【ベリアル】が必要だと言った。
俺は、リンク中のベリアルを顕現させることなく、力のみを黒剣に流し込む。
『俺様に冷気がっ』
「即席のアイスソードだ。温度調整を頼めるか?」
『任せておけ。キンキンに冷やしてやる』
グリードが言った通り、黒剣の表面に氷が張り付き始めていた。
狙うは肉塊だ。俺を進めさせないように、無数の触手が襲ってくるが、
「ここは僕は道を開きましょう」
俺の行く先を塞ぐ触手をケルベロスが次々に食いちぎっていく。
わずかに出来上がった道を駆け抜けて、一気に肉塊に詰め寄った。
「すばらしいです」
俺は勢いよく肉塊を縦に両断する。そして通り過ぎるときにも、横に斬り裂いた。
十字斬りされたジャスミンは地面に崩れ落ちる。そして、黒剣に込められた【ベリアル】の冷気によって、瞬時に凍結した。
その勢いは凄まじく四方八方に伸びた触手にも及んでいた。
さらにはジャスミンを中心として、地面まで固く凍りついている。所々で急激な凍結によって、大きな霜柱まで発生して今も成長中だ。
「これで冷凍保存ができました。さすがフェイトさんです」
ロイは喜んで、部下を集め出した。また、ジャスミンを保管するつもりなのだろう。
だが、執念の塊となった悲しき怪物が、このまま大人しくしているとは、俺には到底思えなかった。
今まで戦いの経験から得た予感が、俺に危険だと言っているようだった。
「ロイ、離れろ。まだ終わってはいない」
「どうしてですか? この通り、凍っています」
「お前が教えてくれたように、ジャスミンの弱点は氷だ。でも、もし克服できる力を獲得できていたとしたら」
ジャスミンは、この場にいたゾンビたちを取り込んで、進化していた。
その進化が見た目以上に、中身まで及んでいたらどうだろう。そして凍結保存された過去に対抗しようと、本能的に体が反応していたとしたら……。
そう思った矢先、兵士の一人がジャスミンの肉塊の奥を覗き込んでいた。
「ロイ様、中で何かが光っています。赤く……」
次の瞬間、その兵士は悲鳴を上げていた。凍ったはずの肉塊から、何かが飛び出して、兵士の口の中へ入ってしまったからだ。
兵士の皮膚の下がうねうねと動き出す。その度に血が吹き出すのだ。
想像を絶する痛みによって、呻き声を上げながら兵士は絶命した。
そして、皮だけとなった兵士の遺体は地面にひらひらと落ちた。
「なんてことです。なんて言う執念なのです! 僕のためにここまでの進化を!」
ロイは興奮していたけど、周りにいた兵士たちは目の前で起こったことに慄いていた。
ある者は腰を抜かし、そしてある者は逃げ惑っていた。
兵士の皮の中にいるそれは、次の標的を見つけて、すごい速さで飛び出した。
行く先にいたのは、ケルベロスだった。目を食いちぎって、中へ入る。
取り憑かれたケルベロスはロイの言うことを聞くことはなかった。ただピクピクと頭を小刻みに揺らしているだけだ。
動きがピタリと止まる。
「うああ……」
三つの頭にあるすべての目が食われており、その穴からドロドロとした液体が流れ出てきた。そして、立ち尽くしていたケルベロスだったが、突然一気に膨れ上がった。
そして風船のように破裂したのだ。
辺りに腐った死臭が立ちこめる。吐き気を催しそうな中で、うねうねと動く肉塊が現れた。ジャスミンが元気よく蘇ったのだ。
「これはこれはまた会いましたね、ジャスミン!」
ロイとジャスミンは対峙していた。彼は恐れることなく、研究者としてジャスミンの状態を観察しているようだった。
「ロイっ!」
ジャスミンは宿敵を前にして、喜んでいるようだった。触手をくねらせて、ロイを取り囲んでいく。そして、肉塊が果実のようにパッカリと割れた。
中には女性の獣人らしい顔が入っていた。
それは甲高い歓喜の声を上げた。
顔にあった口は裂けていく。中には無数の歯が散りばめられていた。
「僕をジャスミンが期待しているほど美味しくはないですよ」
ロイの言葉と共に、ジャスミンは隠されていた顔で彼の頭を貪ろうとする。
「呑気に観察している場合かっ!」
俺はどうにか彼のところまで接近していた。黒剣でジャスミンの触手ごと肉塊を斬った。
間一髪、ジャスミンの歪な口がロイの頭を掠めていった。
「死ぬ気か!?」
俺はロイを抱えて、ジャスミンから大きく距離を取った。
「助かりました。お恥ずかしい話、ケルベロスを取り込んだジャスミンに見入ってしまいました」
「それも、もう見納めだ」
ロイを置いて、ジャスミンに近づいていく。
俺が先ほど斬ったジャスミンは凍っていない。十字斬りした時と同じように精霊【ベリアル】の力を込めたにもかかわらずにだ。
出し惜しみはできない。全力で、ジャスミンに進化の時間を与えずに倒す。
「グリード、いけるか」
『問題ない。しかし、いいのか?』
「喰らってみないとわからない。でも喰らうしかない」
俺は未だかつて、あのような者を喰らったことがない。
果たして、暴食スキルにどのような影響を与えてしまうのか……。
それでも、人間とハイエルフの戦争が起ころうとしている今、好き嫌いは言ってられない。
俺は黒剣を黒弓に形状変化させる。
そして、精霊【ベリアル】の力を黒弓に送る。その力を吸って、黒弓は禍々しい形へと成長していった。
ジャスミンは宿敵の前に立ち塞がる俺へ向けて、怒り狂いながら触手を伸ばして襲いかかってくる。
俺はその動きを見据える。そして、成長した黒弓を心を落ち着けるように静かに引く。
「いくぞ! グリード!」
『ぶちかませっ、フェイト!』
「『ブラッディターミガン・ベリアル!!』」
莫大な冷気を纏った黒い稲妻が、執念の声を上げるジャスミンを包み込んだ。
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