第256話 ナイトダンス(3)
エレベーターから飛び出して、地上への階段を一気に駆け上がる。
「やばいぞ。あれは!」
『ラボラトリーを食いながら、追いかけてきているな』
ジャスミンはエレベーターの通路を自力で登ってきた。そして、俺が乗っていたエレベーターを押し飛ばして、肉塊を覗かせた。
なんて言う執念だろうか。そんなに俺を食べたいのかよ。俺ってそんなに美味しそうなのか?
『呑気に後ろを見ている暇はないぞ!』
「わかっているって」
俺は出口の重い扉を開けて、外へなんとか逃げることに成功する。
「危なかった。この分厚い扉なら、破られないな」
『今のところはな』
グリードが言うように、分厚い扉を叩く音が次第に大きくなっていた。
それに合わせて、凹みが現れてくる。触手の攻撃力が上がっているのだ。
「まさか……ジャスミンはラボラトリーを食らって……」
『成長しているんだろ』
扉の僅かな隙間から、触手が這い出てきた。それは驚くべきスピードで扉を覆い尽くした。
「はらぺこにも程があるだろ!」
『フェイトも見習うべきだな。あっちの方が暴食らしいぞ』
「そんなことを言っている場合か!」
目の前で起きた状況に、呑気ではいられなかった。
ジャスミンに出口など必要なかったのだ。地下にあるラボラトリーを全て取り込んだシャスミンは、地面を突き破って出てきたからだ。
四方八方に土や岩が飛び散り、周りの木々に寝ていた鳥たちは、大慌てで飛び立った。
それを素早く触手で捕まえて、取り込むジャスミン。
また一段と肉塊が膨れあがった。初めて見た時は俺の身長より小さかった。それが今では、まわりの木々よりも大きい。
『まんまるとよく育つ』
「なんでも食うから、収拾がつかなくなるぞ」
『そのおかげで、ラボラトリーは消滅した。俺たちが侵入した痕跡ごとな』
それは嬉しい限りだが……俺も消滅されそうだぞ。
ジャスミンが肉塊を動かして、俺の方へ近づいてくる。どうやら鳥を食べ尽くしたらしい。
「俺がメインディッシュってわけか」
『もう戦うしかないぞ』
派手に暴れていると、ハイエルフたちが見つかってしまうだろう。そうでなくても、ラボラトリーをぶち壊した音が響き渡っているはずだ。
ジャスミンと対峙しているところを見られるのはまずい。
『フェイトっ!』
無数の触手が俺に向かって、伸びてきた。
「これ以上は無理か」
グリードの言う通り、俺は戦うことを決めた。そして、黒剣を鞘から抜いて、ジャスミンの触手を斬り落とそうとしたとき、
「ん!?」
触手が俺の鼻先でピタリと止まったのだ。おいおい、あれだけ食いたがっていたのに、なぜ?
するすると触手を引き戻したジャスミンは、何かに気がついたように森の奥へと進み出した。
「どうしたんだろう?」
『あの方角は、ロイたちハイエルフがいる場所だな』
「ハイエルフを狙っているのか」
『理由はわからんが、フェイトよりもハイエルフがお好みなんだろ。足の長さの差か?』
「足が短くてよかった……なわけあるかっ!」
助かったけど、状況はさらに悪化していた。
ジャスミンは木々や鳥を取り込みながら、獣狩りをしているハイエルフたちへ向かっているのだ。たどり着くことには、さらに大きくなっていることだろう。
このまま雲隠れするわけにもいかない。
ロイたちに合流しないと怪しまれてしまう。
「追うしかないか……気が進まないけど」
『狙いは変わった。さっきよりも状況はいいぞ』
「そう思って、ロイたちと合流だな」
事態は悪化しているけど、俺にとっては都合がよく好転していた。
ロイにここで死んでもらって、困るのは俺だ。最高にイカれていたやつだけど、ハイエルフの世界で活動するために、彼の力はまだ必要だった。
『一気に走り抜けろ!』
ジャスミンは木々を薙ぎ倒しながらの直線移動。俺は躱しながらの蛇行移動。
ロイたちのところへ、ひと足先にたどり着いたのは、ジャスミンだった。
そして、今だにゾンビたちの暴走に手を焼いていたハイエルフの兵士たちの中に飛び込んだ。
兵士たちは、咄嗟にジャスミンの強襲に気がついて、なんとか躱すことに成功する。それでも、下敷きとなった10体以上のゾンビが取り込まれてしまった。
途端にジャスミンに変化が起こる。
肉塊から伸びていた触手の形が、人間の手に変わっていったのだ。
さらに肉塊には、無数の獣人の顔が浮かび上がった。
幼い頃の俺が見たら、絶対に夜のトイレに行けなくなってしまう。そう思わせるほどの怨念が集まって形を成したような姿だった。
肉塊の顔からは、言葉にならない呻き声を発している。それがやたらに耳をつんざく。
俺よりも耳の良さそうなハイエルフの兵士たちは、自分の耳を手で押させて苦悶の表情をしていた。
そんな兵士の一人に、ジャスミンの手が伸びる。
俺は咄嗟に木々の間から飛び出して、黒剣で両断した。
「下がっていろ!」
「は、はい」
彼は意外にも大人しく後ろに駆けていった。
周りの兵士たちも、混乱から立ち直って次第に状況把握ができてきた。
「グリード、ジャミングはもういいだろ」
『もうとっくに効果は切れている。あれは兵士たちの熟練度の問題だろ』
今だに兵士たちのゾンビは使い物にならないようだった。
ロイの方はどうだろう?
そう思って彼を探すと、ケルベロスを従えて、ジャスミンを見据えていた。
「おや、フェイトさん。どこにいっていたんですか?」
「ゾンビが暴れて森の中へ避難していたんだよ! そしたら、この大きな肉塊が現れたんだ!」
「そうでしたか……大変失礼しました」
ロイは俺の嘘に気づいているのか、それとも気づかなかったのか、表情からはわからなかった。
ただこれだけは、よくわかった。
彼の興味は目の前にいるジャスミンに注がれていると。
「こんにちはジャスミン! 元気でしたか? せっかく冷凍保存をして隠しておいたのに、どこかのお馬鹿さんが間違って開けしまったようですね」
「どういうことだ?」
「彼女は……元は美しい獣人でした。僕はその美しさを最大限に引き出そうとしました。でも失敗してあのような姿に。少々問題がありまして、上層部は廃棄を命じましたが、僕としては大事なサンプルです」
ロイはジャスミンを懐かしむように話を続ける。
「しかし通常の保管では彼女はすぐに暴れてしまう。だから、冷凍したのです。昨日、部下が僕の研究室からゾンビを運び出すときに、誤って開けてしまったのでしょう。冷凍されていたのですぐに動き出すことなく、溶けた今頃になって僕に会いにきてくれたのです」
「なぜロイに会いにきたとわかるんだ」
「だって、彼女が死ぬときに生まれ変わったら、必ず僕を殺すと宣言していました。死体を改造中も、幾度となく僕を殺そうとしました。だから敬意を表して、この肉塊に彼女の名をつけたのです。そう、ジャスミンと!」
端的に言って胸糞だった。
ロイにとっては感動の再会だったようだ。ジャスミンの執念に本当に敬意を示している。そして、喜びに満ちた顔でケルベロスに命令する。
「さあ、これはとてもいいデータが取れそうです。獣狩りなど比にならない運用実験となります」
飛びかかったケルベロスはジャスミンの触手を噛みちぎっていく。
そして、中心にある肉塊に食らいついた。ジャスミンは堪らず叫び声を上げた。
「すばらしいです」
「……惨すぎる」
「そうも言ってられません。ケルベロスの方が強いので、負けることはありません。しかしジャスミンは死ぬことができません」
「つまり倒せないということか?」
「はい。だから、フェイトさんのお力をお借りできたらと思っています」
「何をさせたいんだ?」
「それはあなたが持っている精霊ベリアルの力をお借りしたいのです」
「なぜ俺の精霊を……」
俺は一度もロイに精霊を見せてはいないし、喋ってもいない。
彼の前で見せたのは、精霊と同調したときだけだ。あれだけで、精霊の名がわかってしまうのか!?
ロイは当たり前のように言う。
「僕は精霊の研究を専門としていますから」
彼の後ろでは、ケルベロスがジャスミンの肉塊を盛大に噛みちぎっていた。
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