第250話 接触

 ず〜ん。俺とセシリアは重たい空気に包まれていた。

 ロイは鼻歌交じりに闊歩している。

 この差である。


 普段の彼は誠実な人だと思う。しかし、獣人に対する考え方は受け入れられない。

 さらにネクロマンサーとしての彼は、大事な何かが欠けているというか、タガが完全に外れている。


 研究のためなら、俺やセシリアが持っているような倫理観などいとも容易く捨て去ってしまう。出会った当初からは想像できないほどのヤバいやつ……それがロイ・ダーレンドルフだ。


 先を歩くロイが俺たちの気持ちを知ってか知らずか、屈託のない笑みをこぼしながら言う。


「さあ、もうすぐですよ。ラボラトリーからはこの森を抜けるのが一番早いんです」

「そうだな」


 言われなくても、グレートウォールは圧倒されるほどの高さがある。

 たとえ鬱蒼とした森の中でも、木々の僅かな隙間からはっきりと目視できるほどだ。


「……獣人たちの気配が消えたな」

「あれらは、グレートウォールを忌み嫌っています。これより外に出れば、本来の姿に戻ってしまいますから、怖がってもいます」


 エルフのところにいた獣人たちとは違うようだ。彼らはグレートウォールを恐れてはいなかったし、忌み嫌ってもいなかった。ただ内側で生きていくしかないと達観していたようにも感じられた。そんな彼らはグレートウォール崩壊によって、魔物に変わってしまったけど……。


 セシリアはロイを問い質すような口調で聞く。


「獣人たちがそうなるように操作しているのでは?」

「もしかして、品種改良のことを言っているんですか? どうでしょうね。僕の専門分野ではないですから」

「はぐらかさないでください。獣人たちにハイエルフはどれほどのことをしたんですか?」


 詰め寄られても、ロイは淡々と答えた。


「知ったところで、今更どうにもならないでしょう。それに、あなたが心を傷めるだけです。もう変わってしまったことは……過去は戻りません。獣人はハイエルフのおかげで種として繁栄しています。仮に生き物として捉えるのなら、成功していると思いますよ」

「あなたと言う人はっ!」

「セシリア、もうやめよう。ロイと言いあっても、何も解決しない。これはハイエルフの世界で起きていることだ。部外者の俺たちがいくら声を上げようとも、理解されない」

「その通りです。残念ですが、セシリアさんの倫理観を僕たちに押し付けようとも、培ってきた歴史や文化が違いすぎるのです」


 ロイの言葉が全てを物語っている。

 人間とハイエルフは、分かり合えない。あまりにも倫理観が違いすぎるのだ。

 種族として近しいと思われるエルフのセシリアでさえ、これほどまでに話が噛み合わない。


 おそらくハイエルフは考え方を変えることはないだろう。閉鎖的なグレートウォールという環境がそうさせてしまったのか。それともハイエルフが持って生まれてきた気質なのだろうか。

 どちらにせよ、彼らは人間の敵になる。それだけは避けられそうになかった。


「着きました。お望みのグレートウォールです」

「助かったよ。ここに来ることは、断られると思っていたから」

「外に出るのは困りますが……。フェイトさんはどうして、ここに来たかったんですか?」


 ロイは真意を探るというよりも、単なる興味心で聞いているようだった。


「エルフのところにあったグレートウォールと違いがないのかを知りたかっただけさ」

「なるほど、どうですか? 同じですか? 違いますか?」

「そんなにすぐにわからないって。ちょっと時間をくれるか?」

「わかりました」


 俺は建前を言って、誤魔化した。ロイは納得してくれたみたいだった。

 実際、セシリアは違いがあるのかを知りたがっていたし、良い隠れ蓑となってくれた。


 ロキシーはグレートウォールを維持している。俺がここへ入るために、これに触ったら彼女の声が聞こえたような気がした。

 俺の予想では、グレートウォールを介してロキシーと接触できるのではないかと考えたのだ。グリードが神殿で眠るロキシーを診てくれた際に、彼女の魂が別のところにあると感じたという。


 俺はロキシーと繋がれるように願って、そっとグレートウォールに触れた。


 その瞬間、指先に稲妻が流れ込んだように感じた。


「ここは……」


 俺はどこまでも続く浅い海の上に立っていた。波は無く、海面は静寂に包まれていた。

 空を見上げれば、恐ろしいほどの青空が広がっている。見続けていると、深い青色に吸い込まれそうになってしまうほどだった。


 海の青と空の青は見回す限り……どこまでも続いていた。きっと地平線の向こう側も、同じ光景が広がっているのだろう。そう感じさせるほどの世界だった。


 俺は海面に手を入れて、そこの砂を掬い上げた。

 青以外の色だ。純白の砂はしっとりと濡れていたが、すぐに乾いてサラサラと俺の手からこぼれ落ちていく。

 すべてが落ちたとき、海面に生まれた波紋がどんどん大きくなっているのに気がついた。


 俺が動いても、まったく微動だにしなかった海面。今は砂を落としてできた波紋が伝播して、さらに増幅されて、小波となってしまった。


 俺がきっかけとして、止まっていた世界が動き出したように感じた。

 空を見上げれば、雲が次々と生まれては地平線の向こうへと流れていく。


「なんだ!?」


 海に浸かっていた足元に何かが蠢いていた。

 よく見ると、小さな貝や甲殻類たちだった。少し離れたところではクラゲの群れが優雅に泳いでいた。

 生き物が増えるたびに、海面が少しづつ上昇していく。


 足首あたりだった海面は、すでに膝下になっている。


「魚だっ!」


 海面が真っ黒になるほどの魚の群れが足元を通り過ぎていた。そのうちの何匹かは、俺に挨拶をするかのように、海面から跳ねてみせた。


 魚が行く先を見れば、浅かった海が深くなっているようだった。光を放つ珊瑚がところどころにあり、魚たちの棲家になっていた。


 遠くの方は、おそらく足も付かないほどの深さになっているだろう。変わりゆく世界の中で、俺だけが取り残されているように感じた。


 空も賑やかになった。鳥たちが飛び回り、時折魚を獲りに降り立つ。

 地平線では鯨のような生き物が、盛大に潮を吹いていた。それを楽しむように、鳥たちが舞い踊っている。

 俺が見守る中で、世界は生き物の営みを育む。途方もない時間によって、行われてきたことが、すごいスピードで駆け抜けていく。


 どこからか、赤ん坊が泣く声が聞こえた時、世界は止まった。


「……フェイ」


 後ろから凛としていて、とても優しい声がした。俺は懐かしくて、涙が出そうになった。


 俺は言葉を詰まらせながら、彼女の名前を呼んだ。


「ロキシー!」


 振り返って彼女を見た時には、世界は元に戻っていた。

 浅い海と青い空だけで、生き物は俺たち以外存在しない。


 まるで二人だけに用意されたような世界だった。

 ロキシーは微笑んで、俺を安心させるように言う。


「やっと会えましたね。私はこの通り元気ですよ」

「本当に大丈夫なのか? ライブラやハイエルフたちに何かされたかと……」

「私の意思で、ここを守っています。グレートウォールの中には、フェイがさきほど見たように多くの魂が集まっているんです。誰かがそれをまとめないといけないんです」

「それがロキシーだったと」

「他にできる者がいませんでしたから……獣人たちを見捨てることは私にはできませんでした」


 彼女らしい言葉だった。そんなロキシーに俺も救われた一人だ。

 

「まだここを離れるわけにはいきません。フェイ、どうか獣人たちを救ってください。二度とあのような惨劇を繰り返さないためにも……」


 俺は疑問に思った。「二度と」とは一体どういうことだろう。

 聞き返そうにも、世界のすべてが真っ白となって消えていく。

 ロキシーの姿も俺の前からいなくなってしまう。


「フェイ、私は何があっても……あなたを信じています」


 その言葉を最後に、俺は元の世界に引き戻された。

 目線の先にはグレートウォールの穴がぽっかりと空いている。外への通路が出来上がっていた。

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