第249話 ラボラトリー

 厚みのある金属製の扉。閉じられたら、破壊は難しそうに見えた。

 まあ、グリードにとっては、大したことない扉だろう。でも獣人には、開けることは難しそうだった。

 獣人を研究するための施設。扉を通って、すぐに下への階段があった。

 壁からは水が僅かに滲み出ており、階段を濡らしていた。ひんやりとしているのに、湿度のせいか息苦しさを感じながら、薄暗い階段を降りていく。


「しばらく進めば、広い空間にでます」


 ロイが言う通り、階段下から明かりが漏れていた。


「思ったよりも広いですね」

「この風切り音は?」

「換気のためにタービンが回っている音ですね。地上と地下の空気を入れ替えているんです」


 換気しているわりにカビの臭いが充満していた。

 天井にはたくさんの照明が取りつけられており、眩しいほどの明るさだ。

 地下の陰気な空気を、少しでも取り払おうとしているようだった。


「たくさんのエレベーターがありますね」

「これらはすべて違う階層に通じています。問題が発生した場合、階層ごとに隔離できるようにしているんです」


 彼はさらっと話したけど、かなり危険な研究をしているとも受け取れた。


「僕が出入りできるのは、4階層だけです。ここでは、僕の専門分野と獣人研究のコラボレーションをしているんです」


 ロイの専門は精霊研究だ。俺が知る限り、獣人は精霊を扱うことができない。

 セシリアはここに来てから、ずっと納得のいかない顔をしていた。


「なぜ、私たちをここへ連れてきたのですか? これはハイエルフにとって、明らかに軍事機密でしょ」

「許可は得ていますよ。ぜひともお二人に見てほしいそうです。特にフェイトさん、あなたには」

「なぜ俺に?」

「簡単な話です。人間だからですよ」


 ロイは先にエレベーターに乗り込んで、俺たちを待っていた。

 俺はセシリアを顔を見合わせた。そして、気持ちを決めたとばかりに、一緒に頷いた。


「行こう」

「はい」


 エレベーターの扉は閉まって動き出した。4階層と聞いていたので、すぐだと思っていた。泊まっている宿屋のエレベーターは1階から7階まで、あっという間だったからだ。


 同じ感覚でいた俺は、予想よりも長い時間エレベーターの中にいた。


「もうすぐです……はい、着きました」


 ロイの言葉と共に、扉は開かれた。

 すぐに目に入ったのは、長い通路だ。その両脇にはたくさんのドアがある。

 すべてがカードキーを使わないと入れないようになっていた。


 通路は静まり返っており、俺たちの足音だけが聞こえてくる。


「静かで落ち着くでしょ。僕もここにくると心が静まります」

「このドアの先に何があるんだ?」

「研究者に割り当てられた部屋ですよ。各自がここで研究をしているんです。必要であれば、同僚を招き入れて共同研究をします」

「今も他の研究者がいるのか?」

「どうでしょうか? 僕は徴兵されてから、ここに来ていませんから。部屋はこの通り残っていますけどね」


 ロイはドアの横に設置された機器にカードキーを読み取らせた。

 電子音がなり、認証が完了したのだろう。ドアがスライドして開いた。


「さあ、どうぞ。部屋は定期的に掃除されていますから、綺麗ですよ」


 彼の研究室の中に入って、あまりの悍ましさに俺たちは言葉を失った。


「どうされたのですか? 中央にあるテーブル席に座ってください」

「ロイ……お前はここで何をやっているんだ」

「これらですか? 見ての通りです。このラボラトリーは獣人たちの品種改良をしいると言いましたよね」

「なら、容器に入れられている彼ら姿はなんだ」

「まあまあ、落ち着いてください。品種改良をしていくと、耐えきれずに死んでしまう個体が出てきます。僕はそれらの再利用させてもらっています」

「はっ? 再利用って……」


 中央のテーブルを囲むように並べられた大きな容器は淡く光る液体に満たされており、中には獣人と思わしき遺体が入っていた。

 少なくともそのようなものが、40体以上はある異様な光景だった。

 ロイは研究用に使っているであろう流し台で、飲み物を作り出した。


「そのまま廃棄してはもったいないじゃないですか。この島は資源に乏しいから、可能な限り有効利用しないといけません」

「彼らには命があるんだぞ」

「いいえ、獣人はハイエルフにとって道具にすぎません。それにフェイトさんがいう命があるとしても、もう終わったことです。彼らは死んでいます。仲間の研究者が破棄するのが面倒だと言うので、僕の方でもらってあげているんです」


 トレイに出来上がった飲み物を乗せて、ロイは俺たちが座るテーブルに置く。


「僕の自慢のアイスティーです。茶葉のブレンドにはこだわっています」


 良い香りがするアイスティーだ。

 遺体に取り囲まれた場所で落ち着けるわけもなく、俺たちの前でグラスに入った氷が溶けるのを見ているだけだった。

 セシリアがロイを睨みながら、机を叩いた。


「生きているうちは弄んで、亡くなってからも繰り返す。なんて非道なことをっ!」

「先ほども言ったように限りある資源なのです。死体を改造して、以前よりも強化しているんですよ」

「遺体になぜそのようなことを……」


 嫌な予感がして、俺とセシリアは容器に入れられた獣人の遺体を凝視した。

 嘘だろ……いや目の錯覚ではない。

 今は遺体の指先がぴくりと動いた。


「キャッ」


 セシリアは小さな悲鳴を上げて、堪らず俺の腕に抱きついてきた。普段は決してそのようなことをしない彼女だ。よほど、戦慄したのだろう。

 遺体が蘇る……あの時と似ている!?


 俺は過去に王都セイファートで起きた出来事を思い出していた。

 それは王都を実質的に管理していた聖騎士の五大名家の一角であるブレリック家の長男によって引き起こされた。長男の名はラーファル。お世辞にも良いやつとは言えなかった。

 そんな彼が永遠の命を求めて、賢者の石と呼ばれる赤い輝石に手を出したのだ。その力は絶大で、ラーファルを人間ならざる者へと押し上げた。その副産物として、死者が吸血衝動を持ち、ナイトウォーカーとして蘇った。

 王都が崩壊しかけた苦い記憶だ。


 ロイは獣人が入った容器の前まで行って、手を当てた。


「どうですか。素晴らしいでしょ?」

「そのようなことをして、碌なことにはならないぞ」

「大丈夫ですよ。僕は精霊研究のエキスパートですから、死体に精霊を移植して操り人形にしているだけです。僕の意思なくして、勝手に動くことはありませんよ」

「まさか……あの時に言っていた共同研究は」

「あっ、申し遅れました。僕は軍ではこう呼ばれています。ネクロマンサーのロイと……」


 ネクロマンサーだと!?

 ロイが手を挙げる。そして指揮者のように振る舞うと、容器の中にいた獣人たちが動き出した。


「なんて素晴らしい。ここを放置していたのに、これほど自由に操れるとは。見てください、あの容器を。あれほど腐っているのにも関わらず、しっかりとしたものではないですか!」

「もうやめてっ!」


 セシリアが悲痛な声を上げるが、ロイには聞こえていなかった。


「フェイトさん、しっかりと見てくれていますか。この不死の兵士たちを」

「お前……俺に特に見てほしいと言った理由はこれだったのか」

「はい、聖地奪還のために戦争となれば、人間たちはこれと戦うことになるでしょう。さらには、戦いで亡くなった人間ですら僕らの手にかかれば、不死の兵士の仲間入りです」


 ハイエルフは自分たちの力の一端を俺に見せつけたかったのだ。

 そして戦争が起きた時に、人間側に勝ち目がないと言いたげだった。


「俺に何をさせたい?」

「ハイエルフ側の特使として、人間たちに僕らの望みを伝えてほしいだけですよ。できれば、戦争は回避したいじゃないですか?」

「こんなものを見せられて俺がするとでも?」


 ロイはテーブルの上に置かれたアイスティーを飲み干した。


「時間はまだありますよ。さあ、せっかく用意したアイスティーが緩くなってしますよ」

「こんな場所で飲めるわけがないだろ」

「残念ですね。僕にとって最高にリラックスできる場所だったのに、気に入ってもらえないとは……」


 肩を落としたロイは、俺たちの前に並べられたアイスティーを片付けていった。

 流し台に無造作に置くと、振り向いて言う。


「僕はフェイトさんに感謝しているんですよ。だって、あなたがやってきてくれたことで、さらに人間に興味が湧いてきました。楽しみですね、人間の死体が早くほしいものです」


 思わず立ち上がった俺たちに、ロイは不敵な笑みをこぼす。


「きっと素晴らしい操り人形ができることでしょう」

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