第248話 行きつけの店

 俺は眠りながら、透明なガラスのような筒の中で漂うロキシーを見つめていた。

 彼女の入れ物を触ることすら、禁止されていた。少しでも近づこうとしたら、警備する兵士たちによって止められてしまう。ここから無理に動けば、ハイエルフとの関係は終わってしまうため、断念せざるえなかった。


 離れた位置からでしか、ロキシーを見ることができずに苛立ちを覚えていたとき、腰に下げていた黒剣が振動した。


『俺様の柄をロキシーの方へ向けろ』


 俺だけ聞こえるような小声だった。隣にいたセシリアを見たら、やはりグリードの声に気がついていなかった。


 言われた通り、ロイを含めたハイエルフたちに悟られないように、そっと黒剣の柄の先をロキシーがいる方角へ合わせた。


『いいぞ。少しの間のままにしていろ』


 俺はしばらく目を瞑って、出入りしている祭司のように振る舞っていた。

 別に祈りを捧げていない。グリードが何かをしようとしている。そのサポートをするために、ハイエルフたちに疑われないようにしていただけだった。


『もういいぞ』


 俺は鞘から手を離して、目をゆっくりと開けた。

 そんな俺の姿を見て、ロイが聞いてくる。


「どうされたんですか?」

「彼女との思い出に浸っていただけさ」

「フェイトさんにとって、大事な人だったんですね」

「今もそうだ」

「いいえ、今は僕たちにとっても、大事な方です」


 ロイはどうやらロキシーのことになったら、ハイエルフらしさを全面に出してくるようだった。

 俺とロイのやりとりの横で、セシリアは静かにロキシーを見つめていた。


「今のところ、肉体的には問題なさそうですね。私たちの街を守っていた御神体は、長い年月をかけて劣化していきました」

「ロキシーがあんなミイラになるっていうのか?」

「確証はありませんが、おそらく同じかと思います。ロイさん、聞いてもいいですか?」

「何でしょう? 僕にお話しできることなら何なりと」


 ロイはセシリアの方へ向いて、にっこりと微笑んだ。


「ロキシーさんの前にここを守っていた御神体は、どうなったんですか?」

「それは残念ですが、答えられません」

「例の機密ということですか?」

「そう受け取っていただいて構いません」


 ここで過去の御神体がどのようにあったのかはわからない。それでも、代わりにロキシーが必要だったのなら、セシリアがいた街にあった御神体と状況に違いがあれど似たような運命を辿ったのかもしれない。


 ハイエルフや獣人たちが暮らしている広大な大地を守っているグレートウォールを維持している御神体だ。それに成ったものは、相応の負荷がかかってもおかしくはなかった。


 ロキシーは彼の地での戦いで、スノウの聖獣人の力を引き継ぎ、ヴァルキュリアとして覚醒した。もう彼女は普通の人間とは違う存在に昇華しているはず。

 だからこそ、グレートウォールを維持できている。それでもセシリアが言うように、時間と共に体が劣化していく現象に襲われる可能性がある。


 彼女の身に危険があると考えると、俺は気が気ではいられなかった。


 心が逸る俺にセシリアは、安心させるように優しい声で言う。


「大丈夫、ロキシーさんの肉体は元気よ。フェイトが恐れていることはないもないわ」

「……セシリア。君の言葉は今の俺に、心強いよ」


 彼女は俺を落ち着かせるために寄り添ってきた。

 ロイは時計を見ながら、面会の終わりを告げた。


「時間です。預言者様に許されたのはここまでです。他の者たちも、彼女へ会いたがっていますので」


 俺だけが他のハイエルフたちとは違って居座ることは許されない。

 彼女が目覚めるまで、そばにいたいけど、今魔のままでは叶わないだろう。

 救い出す方法を見つけなくては……。


 俺は鞘に収められた黒剣に手を置いた。グリードが何かヒントを掴んできるかもしれない。ここは素直に退出した方が良さそうだ。


「またくるよ。ロキシー」


 返事は当たり前のようになかった。だけど、一瞬、彼女が微笑んだような気がした。

 部屋から出ると、セシリアが話しかけてきた。


「フェイト、どこか落ち着ける場所へ行きましょ」

「……ありがとう」


 俺を気遣ってのことだった。側から見ると、そんな言葉をかけずにはいられないほど、俺の心は乱れていたのだろう。


「ロイさん。いい場所はありますか?」

「そうですね」


 しばらく考えたあと、ロイはとっておきを披露するように言う。


「僕の行きつけのお店だったら、静かなところがありますよ」

「ぜひ、お願いします!」


 セシリアは興味津々だ。俺もロイが入り浸っているお店を見てみたい。

 行きつけの店とは懐かしい響きだ。王都セイファートでは、エンカウンターという酒場が俺にとっての行きつけだった。店主のおっさんは元気にしているだろうか。彼の地での戦いから十年経っている現実を今だに、俺は受け入れられずにいた。


 なぜなら俺とロキシーは当時の姿のままで、あの時から時間が止まってしまっているようだった。異国の地では、初めて見るものばかりで時間の流れを感じさせてくれなかった。

 俺は10年過ぎ去ったという現実を体験できていない。

 もし王都セイファートに戻ることができたのなら、俺は失った記憶と共にそれを取り戻せるのだろうか。


「フェイト、行くわよ」

「ああ」


 真っ白な神殿は、雲一つ無い青空によく映えていた。

 聖ロマリア正教か……ハイエルフたちの信仰心は本物だった。俺がロキシーを救おうものなら、彼らは命をかけて襲いかかってくるだろう。


 ロキシーは、慈悲深い人だ。ハイエルフを救った結果が、このような形になってしまうなんて、彼女は予想できていただろうか。

 俺は後ろ髪を引かれながらも、神殿を後にした。


「……すぐに行くよ」


◇◆◇◆◇◆◇◆


 ハイエルフの歴史ある華やかな街並みを通り過ぎて、植林に囲まれた畦道にまでやってきた。獣でも出てきそうなほど、生い茂った草木。

 ここの先に、ロイの行きつけの店があるとは思えなかった。 

 時折、離れた茂みが音を立てるため、セシリアが否応無く反応していた。


「フェイト! 何か気配を感じるわ」

「みたいだな。これは……獣人かな」

「当たりです。フェイトさんは、素晴らしいですね」

「なぜ、獣人たちが俺たちの跡を付けている?」

「知らない者が来て、怖がっているだけですよ。この近くに獣人たちの牧場があるんです」


 知らない者? この先にはロイにとっての行きつけの店。なら、俺たちがその者に該当するのだろう。

 それに牧場という言葉が気になる。


「ロイ、その牧場ってなんだ?」

「それは繁殖場のことです。今僕たちを茂みでのぞいているのは、そこで生まれた子供たちでしょう」

「なんてことを……」


 繁殖場と聞いたセシリアが悲痛な声を出した。俺もロイの言葉に顔が引き攣っていた。


「かなり昔になりますが、獣人たちがハイエルフに反旗を翻したのです。すぐに制圧しましたけど、自然繁殖させると危険な因子が生まれることがわかったんです。それ以来、ハイエルフで繁殖を厳格に管理しています」

「彼らにとって意志はどうなるんですか!?」

「道具にそのようなものは必要ありません。エルフならセシリアさんも知っているでしょう。獣人の本性を……あれは魔物です」


 ロイは研究者に戻ったように、淡々と能弁に語り出した。


「繁殖場は獣人たちにもメリットがあります。遺伝的な危険性がある個体は不適格として取り除かれます。より良い遺伝子のみが選抜されることで、今の獣人たちは病気というものを克服しました。また気性も矯正されて、皆が従順な者のみです」

「それはハイエルフにとって都合がいいからでしょっ!」

「そうとも言えますが、最適化された繁殖によって、この1000年ほどは転生の儀はおこなわれていません。獣人はハイエルフにとって大事な道具です。壊れるほど酷使はしません」

「最低限の施しはしているということか?」

「はい。ハイエルフと獣人は、うまく共存しているんですよ」


 これはハイエルフ側からだけの考え方だ。

 果たして、獣人たちはどうなのだろうか? ロイは気性を矯正していると言っていた。これは一体、どのようなことをされているのだろうか。俺たちは彼が言う牧場が気になってしかたなかった。


「着きましたよ。ここが僕たちのラボラトリーです」


 鬱蒼とした森の中に、大きな金属製の入り口だけがあった。建物は見当たらない。

 ラボラトリー? どこにあるんだ?

 不思議に思っている俺とセシリアに、ロイは下を指差しながら言う。


「地下にあるんです。いろいろと危ない研究もしていますから。それで郊外にあるんですけどね」


 まさか、行きつけの店がラボラトリーだとは誰が思おうか!?


「喉が渇いたでしょう。美味しい飲み物をご馳走しますよ」


 そう言いながら、ロイは入り口の横にあった読み取りきに、カードキーを照らした。

 金属が擦れるけたたましい音が辺りに響き渡る。その音に、俺たちをつけていた獣人たちは驚いて、姿を消してしまうほどだ。


 ラボラトリーか……このような場所に俺たちを招き入れて良いのだろうか?

 ロイは軍の機密で言えないことがたくさんあった。それなのに、ここは機密で溢れていそうなのに……。


 ロイは気にすることなく、開かれた扉の向こうへ入った。


「どうぞ、こちらへ。心配ありませんよ。ここは獣人たちの研究施設ですか」


 その言葉に、俺は背筋が寒くなるのを感じた。隣にいるセシリアの顔色は一層悪くなっていた。

 手招きするロイの顔は、研究者としての自分を取り戻したかのようだった。 

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