第247話 狂信者
神殿はハイエルフの街の中心にあり、すべてを見守るかのようにどっしりと佇んでいた。昨日はロキシーのことばかりを考えていて、神殿をよく観察する余裕すらなかった。
改めて神殿の前に立って見上げる。
ハイエルフたちの栄華をことさらに強調する彫刻が細部に至るまで施されていた。
鼻につくような芸術の中に、ただ一つだけ荘厳さを感じた場所があった。
それは神殿の入り口から一番高い場所にあるシンボルだった。
幾重にも重なった美しい花びらが特に目を引く。さらにそれを支えている茎、光を取り込もうと伸びる葉……すべてが自然界に存在しないと思えてしまうほど、神々しい。
花咲く植物を恭しく取り囲むのは、ハイエルフたちだった。
見るからに、あれはハイエルフにとってかけがえのないものなのだろう。
俺の目線を追ったロイが声をかけてきた。
「あれが気になりましたか、フェイトさん」
「あの花はなんて言うんだ?」
彼は花の彫刻に敬意を表するように言う。
「あれはロマリアと呼ばれています。僕たちの聖地で多く自生していた花です。この島でも数は少ないですが、守り続けられている大事な花です。僕たちの国花ですね」
「彫刻であれほど綺麗なんだ。実物も見たいくらいだ」
「ロマリアは希少な花ですから、神殿で厳格な管理がされています。一部のハイエルフしか見ることができません」
「それは残念ね、フェイト。でも花に興味を持つなんて珍しいわね」
「なんていうか……どこかで見たような気がするんだ」
俺は記憶を思い出して、考えてみるが……何も出てこない。それでも、見覚えがあるのだ。とても変な感覚だった。
「フェイトってガリアから来たのでしょ。なら、そこに自生しているなら、見ていて当然じゃない?」
「そうなのかな……俺が知っているガリアはほとんどが荒野だった。例外として森は少しだけあったけど、そこではロマリアは咲いていなかったんだ」
「ならどこで見たのよ?」
セシリアにそう聞かれても、やはり答えが出ることはなかった。
ロイはおかしなことを言う俺に、ロマリアについて質問してきた。
「フェイトさんはロマリアの花の色を知っていますか?」
「純白だろ」
「その通りです。それ以外の色はどうです?」
「葉や茎のことなら、深い青色かな」
「また当たりです」
彫刻からは、ロマリアの色はわからない。それを言い当てた。
つまり、俺は知っていることになる。
もしかして、記憶が欠けている10年の中に、存在している花なのかもしれない。
だから知っているのに、どこで見たのかはわからない。
おかしなことになっている気がした。
俺は10年間の記憶を失っている。そのことを意識して思い出そうとしたとき、恐ろしいほどの頭痛が襲ってくるのだ。
ほら、予想していた通り、頭が割れそうになる。
ロマリアから、失った過去の自分を思い出そうとしたら、この有様だ。
「フェイト、大丈夫? 顔色が悪いわ」
「ただの頭痛で持病みたいものだから、すぐによくなるから」
「そう……ならいいけど、気分が悪くなったらすぐに言ってよ」
「心配してくれて、ありがとう。その時はセシリアにすぐに伝えるよ」
「よろしい!」
セシリアは俺に頼られるのが嬉しいようだった。俺もロキシーを救い出せたら、セシリアの問題に協力させてもらいたいと思っている。それを彼女が望むかは、別だけど。
「フェイトさんにロマリアをお見せできたら、もっと思い出せるかもしれないのに申し訳ありません」
「ロイが謝ることではないよ。その気持ちだけで十分さ」
ずっと神殿の前に三人で立っていると、警備をしている兵士が鋭い目線を送ってきた。人間とエルフが白昼堂々、ハイエルフにとって神聖な場所に居座ることが嫌な様子だった。
俺たちが神殿の中へ入ろうと歩き出すと、さらに不快な顔つきに変わった。
それでもライブラから神殿に入る許可は得ている。ハイエルフが予言者様と敬っている者の意向だ。
警備の者たちは苦虫を噛み潰したような顔になって、通り過ぎる俺たちに敬礼をしていた。
心に反していることでも、仕事は忠実に行う。宿屋の支配人たちも、そうだったようにこの考え方がハイエルフにとって、当たり前なのかもしれない。
俺は、ほんの少しだけ彼らに尊敬の意を抱いた。良くも悪くもハイエルフは誇り高い種族なのだろう。
真っ白で巨大な柱が並んだ通路を進んでいく。天井のステンドグラスに色鮮やかな光が差し込んでいた。天然の照明によって、中は想像以上に明るい作りになっている。
純白の服を着た司祭だと思われる者たちとすれ違いながら、さらに奥へ。途中に中庭があり、庭師たちがせっせと伸びた枝葉を刈り込んでいた。
それを横目に見ながら、ロイに聞く。
「昨日よりも、たくさんのハイエルフがいるな」
「フェイトさんたちが訪れたときには、彼らの仕事は終わっていましたから」
司祭や庭師は早朝だけここに出入りしているようだった。
「昼を過ぎれば、ここは静かになります。いるのは常駐している兵士くらいです」
「司祭たちはどこにいくんだ?」
「各地にある教会に戻られます。ここは聖ロマリア正教の総本山ですから」
「聖ロマリア?」
「救世主ですよ。彼女は遥か昔にハイエルフを悪き者から救い出して、この地に導いたのです。先ほどの花は聖ロマリアが好きだったこともあり、彼女の名前となりました。あの花は聖ロマリアと同一視されているんです」
ロイは歩きながら、聖ロマリアについて熱弁していた。それほど、彼らにとって大切な存在なのだろう。
「聖ロマリアは清らかな心を持っており、慈しみに溢れた女性でした。彼女はハイエルフを救った際に大きな傷を負ってしまい、それが原因で亡くなってしまいました」
ロイから聞いた戦争好きなハイエルフとは違っていた。
「そんなハイエルフもいたんだな」
「いいえ、彼女は僕たちとは違います」
ロキシーがいる部屋の中に入ったところで、ロイは足を止めた。
「預言者様と同じ種族の方です」
「ライブラと!?」
ライブラにハイエルフたちが従っている理由がわかった。
信仰している救世主と同じ存在だと、彼らは思っているからだった。
ロイはグレートウォールを支える御神体として、眠るロキシーを見つめる。
ガラスのような透明な筒に入れられた彼女は、優しい微笑みを浮かべているようだった。
「僕たちを守っているグレートウォールが崩壊の危機を迎えたとき、預言者様が彼女を連れて現れました。彼女は自分の身を挺して、僕たちを救ってくれたんです」
ロキシーを見続けるロイは敬虔な祈りを捧げているようだった。
「初めは彼女を悪く言う者もいましたが、次第に皆が口を揃えて言うようになりました」
「……まさか」
「聖ロマリアの生まれ変わりだと」
俺たちの横を司祭たちが次々と通り過ぎていき、ロキシーに向かって祈りを捧げていく。そして彼らは、しばらく経った後、この部屋から静かに出ていった。
おそらく司祭たちは各地にある教会から、聖ロマリアの生まれ変わりの姿を一目見ようと訪れているのだろう。
「ロキシー様は僕たちの救世主です。フェイトさんが心配するようなことは決して起こりません。そんなことは僕たちハイエルフが許しませんから」
出会ってから、ずっと優しい顔をしていたロイの顔が、ゾッとするほど恐ろしいものへと変わった。
ハイエルフによって信仰され、待ち続けていた救世主が現れたのだ。きっと俺たちがこの部屋に入ることすら、本心では嫌っているのだろう。
セシリアはロイの変わりように終始、言葉を失っていた。
ロイを含めて、ここに訪れる者たちの顔はまさに狂信者を感じさせたからだ。
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