第241話 躾

 セシリアと二人で東の山脈を登っていた。

 急な斜面ではなく、歩いて進めそうだ。美しい花々が咲いており、空気も澄んでいた。高山でハイキングしているような気分で軽快だった。


 聖都オーフェンで起こった惨劇も少しは頭から離れてくれそうだ。

 武人として頭の切り替えは大事なことだ。過去を引きずって心を乱してしまえば、本来の力を発揮できない。


 それにしても良い空気だ。深く吸い込むと気持ちが落ち着く。

 集中力が高まっていい。なんて思っているとグリードが言ってきた。


『付けられているぞ』

「みたいだな。海岸からずっとだ」

『わかって放っておいてのか』

「たぶん寝込みでも襲う気だろな」


 グリードと会話していると、セシリアが気になったようで話に入ってきた。


「魔物のこと?」

「ああ、たぶん俺がここへやってきた時のやつだ」

『確か……フェンリルとかいう魔物か?』

「そうだ。俺に噛み付いて、美味そうに血を飲んでいたからな」

『その味が忘れられずに、狙ってきたというわけか』


 力が戻りつつある俺にとって、フェンリルの気配は手に取るようにわかった。一定の距離を取りながら、ぴったりと付いてきていた。

 うまく気配を消しているつもりだろう。しかし、みんなから存在を感じ取られている段階で、苦戦する敵ではない。


「どうするの? このままにしておけないでしょ」

「グリードが言う通り、ゆっくりと眠りたし……俺の方でなんとかするよ」

『手を貸してやるか』


 セシリアは岩の上に腰を下ろして休憩。俺とグリードはフェンリル狩りだ。ちょっとした因縁に決着を付けてやる。


 黒剣から黒弓に形状を変えて、フェンリルが隠れている大岩に狙いを定めた。


『ブラッディターミガンは使わないのか?』

「オーバーキルだろ。ステータスが持ったない」


 大岩ごと貫いて終わりにしてやる。魔矢を放つ!

 フェンリルは魔矢に気がついていない。まさか、これほど離れた位置から攻撃を受けるとは思ってみなかったようだ。


 魔矢は大岩を砕いて、フェンリルに当たった。

 甲高い犬の鳴き声を聞いたからだ。


『やったか?』

「いや、暴食スキルが喰えていない」


 勘が良いやつだ。ギリギリのところで躱したようだ。

 大岩から慌てて飛び出してきて、勢い余って坂を転げ落ちていた。


「追いかけるぞ」

『畳みかけろ』


 黒弓で数発の魔矢を放って、今度こそ終わりだ。

 そう思っていたら、フェンリルの動きが止まった。


「ん? なんだ……あれ!?」


 お腹を見せて、尻尾を必死に振っていた。


『犬がする服従のポーズのように見えるな』

「降参ってことか?」

『おそらくな』


 う~ん……俺を食べようとしてきたくせに、命乞いとは魔物というか……動物みたいだな。


『どうする。このままとどめを刺すか?』

「いや、もしかしたらフェンリルも元は獣人かもしれない。言うことを聞くのなら、殺したくはないな」

『寝首をかかれないようにな』


 とりあえず、フェンリルを呼んでみた。

 尻尾を振りながら、俺の方へ駆け寄ってくる。黒弓から黒剣に変えて、念のため反撃できるように構えた。


 俺の前までやってきたフェンリルは、またしても服従のポーズをした。


『完全に負けを認めているようだな』

「懐いているというより、命乞いなのがなんとも……」


 セシリアが面白いものを見るように、近づいてきた。


「どうしたの? フェンリルを倒すんじゃなかった?」

「そうなんだけど、こんな感じになった」

「あらら、飼うの?」

「えええっ、今は魔物のペットが必要かな」

「じゃあ、倒すの?」


 フェンリルがつぶらな瞳でキュンキュンと鳴いていた。

 くっ、卑怯な……俺を襲ってきたときはこんな顔をしていなかったぞ。


「信用はまだしない。けど様子を見るよ」

「なら、私も協力するわ。魔物が懐くなんて初めて見たから」

「いや懐いていないんだ。これは命乞いだよ」

「尻尾を振っているし。大きな犬と思えば、なんとかなりそう」

「まあ、セシリアが良いのなら……」

「名前はどうする?」

「犬かな」

「『酷っ!』」


 俺のネーミングセンスにセシリアとグリードからドン引きされてしまった。だって、俺を殺そうとしてきた魔物だよ。

 愛着心がまったくないからさ。


『仕方ない。俺様が名付けてやろう。クランヘカテリーネマルボロマックスだ。光栄に思え!』

「長いわ! 長過ぎるって。舌を噛みそうになる名前をつけるな」


 セシリアが閃いたような顔をして言う。


「なら、後ろを取ってマックスで良いじゃない」

『おいっ、俺様がせっかく付けてやった名前を短くするな』

「決まりだな。今日からお前の名前はマックスだ」


 服従のポーズのままのフェンリルに名前が付けられた。

 俺はマックスの腹を撫でてみる。噛まれるかもしれないので慎重にだ。


「俺の信頼度は0……いやマイナスまだ傾いているから、頑張ってマックスに上げてくれよ」

「ワン!」

『良い返事だな。これは期待できるぞ!』


 マックスに対してグリードとセシリアが好意的だった。俺は飼い主となったが、全く信用していなかった。


 フェンリルって知能が高そうだし、演技をしているという疑惑が拭えなかったからだ。もし、本性を出したら即ブラッディターミガンだ。

 その様子を察したグリードが面白がって言う。


『フェイトとマックスの関係は、どうやらデッドオアアライブだな』

「一瞬のミスが命取りさ」

「襲われたときのことが、相当なトラウマになっているみたいね」


 マックスにやる餌はない。そのため、周囲を警戒しながら、食事をしてくるように命令した。


「よし、行け!」

「ワン!」


 元気よく駆けっていった。もしかしたら、このまま戻ってこないかもしれない。それでもよしだ。

 尾行されて寝込みを襲われるより、遥かに良い。枕を高くして寝れるというものだ。……枕は無いけどな。


「行っちゃったね。戻ってくるかなマックス」

『さあな、フェイトとの主従関係がしっかりしていたら戻ってくるだろう』

「なんだよ! 飼い主次第な感じで俺を見るなっ!」


 野宿をして一晩を越しても、マックスは帰ってこなかった……。

 セシリアが気を利かせて言ってくる。


「もしかしたら、遠くまで見張りに行ってくれいるのかも、きっと戻ってくるよ」

「襲ってこなくなっただけでも良しとするよ」

『よしっ、駄犬を待たずに出発だ』


 山脈の頂上で東の方角を眺めると、薄っすらと白い壁が地平線付近にあった。

 ハイエルフが守るグレートウォールは健在のようだった。


「まだ距離はあるけど、一気に進めば今日中に付きそうだな」

「そうね。魔物に出会わなければね」

『おい、見ろ。あれを!』


 グリードが教えてくれた方向を見ると、沢山の魔物の死体が散らばっていた。

 すべてに噛まれたような傷跡がある。しかも比較的新しい傷だった。傷口の状態から時間経過を考えれば、半日くらいといったところか。


 セシリアが俺を見ながら言う。


「マックスが私たちを守るために倒してくれたのよ」

「歯型の大きさを見るに、フェンリルっぽいけど……」

『じゃあ、あいつはなんで戻ってこないいんだ?』

「俺に聞くなよ!」


 知るかよ。まさか……まだ食事中だったりするのだろうか。

 そんなことを考えていると、グリードが苦笑いしながら言うのだ。


『飼い主に似るというからな。鉄砲玉のように飛んでいって、一向に帰ってこないのがよく似ている。その割に影でやることはやっているところなんかもお前みたいだぞ』

「そんなことは……無いと思う」


 アーロンやロキシーたちからも似たようなことを言われたような気がする。そう気がするだけさ。決して俺は鉄砲玉ではない……ブーメランのように戻ってくるはずだ。


 今もアーロンたちが待つ人間が住む世界に帰ろうとしているし。まあ、ゲオルクのせいでちょっと遠回りになっているが、大罪スキル保持者をこのまま野放しにはできない。


 ゲオルクは聖地であるガリアに執着していた。やつを追うことで家路への道が開けそうな予感がした。

 それにロキシーの行方もわからないままだ。彼女を連れて、みんなが待つ場所へ帰るんだ。


 俺は彼女を想いながら、集中して魔力を探った。漂着してからやってきたことだった。ルイーズ島では残念ながら全く感じられなかった。

 イネス島ではどうだろうか? 期待と緊張が入り乱れる自分を抑え込んで、ロキシーの魔力を探り続けた。


「そんな……まさか……そこにいるのか」

『フェイト? どうした……この魔力は!?』

「ああ、あのグレートウォールから感じる! ロキシーがあの中にいる!!」


 喜ぶ俺にセシリアも嬉しそうに微笑んだ。


「あなたの探し人がとうとう見つかったのね」

「すぐに行こう! 駆け抜けるぞ、グリード!」

『気が急くのもわかるが、慎重にいけ。ハイエルフは気位の高いらしいからな』


 それでも急がずにはいられなかった。俺は山脈を一気に落ちるように下りていく。

 セシリアは風精霊の力を借りて、俺に付いてきた。


「ハイエルフとのやり取りは、まずは私が行うわ。聖都オーフェンの状況も伝えたいし。無理やり中に入るのは禁止よ」

「わかっているって、ハイエルフは気位の高いだろ」

「よろしい。ハイエルフの都……私も書物でしか知らないから、あなたとは違った意味で、胸が高鳴っているわ」


 地平線にあったグレートウォールがどんどん近づいてくる。

 巨大な白い壁が向こうから迫ってくるようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る