第239話 崩壊

 セシリアはまだ気を失っている。俺は彼女を抱きかかえたまま、まともに戦える状況ではない。


 そんな状況をわかってか……ゲオルクは声高らかに言う


「さあ、フェイト。特等席へ行こう」

「待てっ」


 頭上にあるきれいに細工されたステンドグラス。

 ゲオルクは勢いよく飛び上がって、それを突き破った。

 砕けて落ちてくる色とりどりのガラスたち。完成されて優美を誇っていた物が一瞬にして失われる様は、グレートウォールの崩壊を思わせた。


 追いかけて、ゲオルクを睨む。彼は意に介さない。

 視線は俺へでなく、瓦解していくグレートウォールに向けられていた。


「とうとう僕たちは束縛から解放される。記念すべき日……神からの独立記念日だ。見ろよ、神からの保護を失った者たちの末路を! なんて醜いことか」


 逃げ惑う獣人たちが次から次へと、魔物に変わっていく。その魔物が獣人を襲うのだ。更に襲われている獣人に変わってしまう。魔物と魔物とが殺し合いを始めていた。


「本来のあれが、獣人の本質なのだよ」

「こんなことをしたら、エルフの街も陥落するぞ」


 黒円を振りかざして、ゲオルクが強めの口調で言う。


「それがどうした。この船には力のない者は乗れない。聖地へ向かう神聖な船に力のない者はいらない」

「同族だろう!」

「違うさ。僕にとっての同族は君だ。精霊という力に溺れたエルフ……小さな箱庭で権力を振りかざし、己を研鑽することを忘れた。堕落した者たちは、ここで粛清される」


 魔物の群れは、エルフの街に流れ込んでいく。まるで今までの圧政の怒りを晴らすように、残虐な雄叫びが至るところで聞こえてきた。

 ゲオルクは、愉悦に浸るような目で眺めていた。


「フェイト、君は知っているかい。エマ島が獣人たちの反乱によって、滅びたという話を」

「セシリアから聞いた。それがどうした?」

「それが今まさに、同じことが起こっているんだ」

「……まさか」


 獣人たちの反乱とは、魔物化してエルフを襲うということだったのか!


「きっかけは不明だけど、グレートウォールを維持していた御神体に何かがあったのだろうね。そしてグレートウォールを失い、獣人が魔物化して、ジ・エンドさ」

「同じようにルイーズ島が滅んでも、いいのか!」

「いいさ、いいに決まっているだろっ。この魔物たちは僕たちにとって贄だ。魔物を倒すことで、スキルを磨き上げる。それがフェイトの世界で行われてきたはずだ」


 魔物の群れは、エルフの街の中心部……この神殿にまで攻め入ってきていた。

 空も飛べる魔物もいる。俺たちの周りを旋回しながら、襲うチャンスを狙っていた。


 ゲオルクは、そのような隙きを見せず、黒円を投げつけた。

 形を変えて巨大な円となり、空の魔物を次から次へと両断していく。

 それが手に戻ったときに、黒円は真っ赤に染まっていた。

 血が滴り落ちる黒円を俺へ向けた。


「素晴らしい力だ! 殺せば殺すほど、身の内から力が湧いてくる! 君も僕と同じ傲慢スキルなのかな?」

「……」

「だんまりか。でもその顔の様子から、違うスキルのようだね。それだけわかれば、十分さ。僕には出迎えがあるから、ここで失礼させてもらうよ」


 そう言い残すと、高台から飛び降りていった。

 後を追おうにも気を失っているセシリアを一人にはできない。


『フェイト、安全な場所に避難だ』

「どこにあるんだよ。もうこの街に安全な場所はないぞ」

『グレートウォール内は魔物の巣窟になっている。ならば、目指すべきは』

「外か!」


 崩れきったグレートウォールの外へ目を向けるが……。


「外からも魔物たちが押しかけているぞ」

『侵入を護っていたグレートウォールがなくなったから、ここぞとばかりに攻めてきたかもな。それなら尚更、外が安全だ』

「あの魔物の群れを超えていけというのか……」


 グレートウォールの中にいる魔物は、元獣人たちだ。

 そして押しかけてくる魔物ももしかしたら元獣人かもしれない。


『倒さなければ、進めないぞ』

「わかっている……セシリアだけは守りたい」

『なら、覚悟を決めろ』


 俺は黒剣を鞘から引き抜く。セシリアを抱え直す。

 すでに魔物たちは俺がいる高台に迫りつつあった。


 掴もうとしてくる魔物の腕を切り飛ばして、俺は高台から飛び降りた。

 魔物たちはしつこく追ってきた。それを躱しながら、斬り伏せる。


 その度に、頭の中で無機質な声が聞こえてきた。

 ステータスが上昇する声だ。暴食スキルは久方ぶりのたくさんの魂を喰らえて、喜んでいた。


 俺は何をやっているんだ……。今喰らっている魔物は、獣人だった人たちだ。

 やっぱり、グリードが言ったように合理的に戦えない。


 獣人たちは、俺をエルフの圧政からの解放者として喜んでくれたけど、彼らを聖地へ導くことはできなかった。


 それどころか、暴食スキルの贄にしてしまっている。


『後悔は生き残ってから幾らでもできる。今は戦いに集中しろ。癪だろうが、ここは暴食スキルに頼れ』

「……わかっている」


 俺はセシリアを守るため……いや自分自身を守るために、魔物たちを倒していく。

 だが、子供の魔物たちを前にして、足がすくんでしまった。可愛らしい獣人の子供たちの顔が目の前に浮かぶ。


「最悪だ……こればっかりは」

『フェイト! 体を借りるぞ……クロッシングだ』


 無理やりグリードが俺の体を操って、戦い出した。

 魔物を次から次へと倒して、無機質な声がステータスアップを教えてくれる。その度に、俺は吐き気に襲われた。


『お前は悪くない。悪いのは俺様だ。そう思えばいい』

「グリード……それはできない」

『今のフェイトに心の負担をかけるわけにはいかない。もう一人のお前に付け入る隙きを作らせるな』

「知っていたのか?」

『俺様はお前の相棒だ。それくらいわかる。もう一人のお前は危険過ぎる。それこそ、この場が消え去るくらいにな』


 そこまでわかってくれていたのか……グリードには世話を焼かせっぱなしだ。

 だから、ちゃんと暴食スキル保持者として業を果たさないといけない。グリードだけに押し付けてはいけない。


「俺も一緒に戦う。俺の弱さを補ってくれ、グリード」

『任された』

「『いくぞ!』」


 二人の心を重ねてこそ、クロッシングの真価が発揮される。

 不安定なステータスの手綱を握って、魔物たちを薙ぎ払う。

 頭の中で無機質な声が聞こえるたびに、悲鳴にも似た声が身の内に落ちていくような気がした。


「『うおおおおおっ』」


 何体の魔物を倒したのか……わからないほど喰らってしまった。

 血塗られた黒剣は、いつの間にか折れた形から、元の形へと戻っていた。

 獣人だった者たちの生き血を吸って、蘇ったかのようだった。


 安全なグレートウォールの外側にたどり着いた時には、潮の香りがしていた。

 俺がこのルイーズ島に漂着した場所に戻ってきていた。


 セシリアを砂浜にそっと置いて、海に向かって歩いてく。

 止めどなく押し寄せる波によって、体中に付いた魔物の血が現れていく。体は綺麗になっていくが、心が晴れることはなかった。


『フェイト、お前はよくやった』

「自分とセシリアが生き残るために……俺は……」

『それ以上は言うな。俺様もお前の罪の半分は受け取った。この俺様の姿が……それを証明している。俺様の中にもあの者たちが生きている』

「グリードは言っていたよな。暴食スキルが目覚めたときに、賽は投げられたと」

『ああ……』

「彼の地でライブラを倒して、出来損ない神を喰らったときにその業から解放されたなんて……都合の良いことを思っていたんだ」


 魔物の血で汚れた顔を洗って、陽が沈んでいく空を見上げる。


「掬い上げたはずの賽は指の隙間から流れ落ちて、死ぬまで戦い続ける業は背負い続けたままだった」

『そうだ。まだ終わってはいない。少なくともお前にはロキシーを探す目的があるのだろ? ならば、まだ立ち止まれない』

「グリードの言う通りだ」


 俺が見据えた地平線から何かが移動してくるのが見えた。

 それはとてつもなく巨大。このルイーズ島と同じくらいの大きさかもしれない。

 それが複数押し寄せてきていた。

 ゲオルクは出迎えがあると言っていた……まさか、他の4つの島が集結しようとしているのか!?


『ぶつかってくるぞ。衝撃に備えろっ!』

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