第237話 獣人の魔物

 痩せこけた黒い狼。見るからに食べ物を得られていないようだった。

 こちらへ駆けてくる足取りも、時折ふらついている。それでも眼光は鋭く、獲物である俺をしっかりと捉えていた。


『フェイト、わかっているな』


 グリードが念のためと俺に確認をした。あれは、もう獣人ではない。魔物なのだと。


『ならば、やることは決まっているだろ?』

「魔物なら殺すべきだろうな。でも、まだ試していないことがある」

『何をする気だ』


 飛びかかってくる黒い狼を躱して、横腹を蹴り上げる。

 気絶するほどの力で手加減するのは、なかなか難しいものだった。何せ、魔物はいつも全力で倒していたからだ。

 黒い狼は足元をぐらつかせながら、立ち上がった。息遣いは荒く、かなり疲弊しているようだ。

 早く捕獲しないと、死んでしまうかもしれない。


「上手くいかないものだな」

『俺様を使え、加減してやる』


 グリードが切れ味を無くしてくれた黒剣で、再び襲いかかってくる黒い狼の首筋を一閃。

 甲高い吠え声がした後、黒い狼は地面に倒れ込んだ。

 近づいて、容体を確かめた。息はしている。峰打ちで気絶しているだけのようだった。

 俺は黒剣を鞘に収めると、黒い狼を担ぎ上げた。


『どうするつもりだ』

「グレートウォールの中へ帰るのさ」

『魔物を中へ入れるのか?』

「元は獣人だ」

『なるほど、転生の儀の逆を試すのか』


 ものは試しだ。やってみる価値はある。ゲオルクはグレートウォールの追放ばかりで、その逆をやったことがあるように感じられなかった。

 セシリアもゲオルクの目があり、試してもいないだろう。だから、転生の儀をあれほど快く思っていなかった。


『もし、失敗したらどうするんだ?』

「責任を持って、介錯する」

『そこまで腹に据えているのなら、何も言うまい』


 痩せているといっても、黒い狼は大きかった。一歩一歩進む足にずっしりとした重さがかかった。

 グレートウォールの壁上を見上げる。警備をしているエルフ兵が歩いていた。

 この状況なら、遅かれ早かれ見つかってしまうだろう。別に構わなかった。

 既にザックスから精霊獣を奪ったことが、ゲオルクに知られている。なら、グレートウォールの行き来もできるだろうと予想していそうだった。

 案の定、エルフ兵は俺を見つけたが、ただ見守るのみで何もしてこない。

 グレートウォールに手を触れると、出て来たように同じ穴がポッカリと空いた。


「中へ入るぞ。グリード」

『おう、鬼が出るか蛇が出るか』


 グレートウォールの中を進んでいく。すると、黒い狼が目を覚まして、もがき苦しみ始めた。

 噛まれないように口を押さえて、多少引っ掻かれるのは我慢する。


『もうすぐ出口だ。踏ん張れ』


 出口に近づくほど、暴れ具合は一層激しさを増す。まるで毒を飲まされたかのような暴れっぷりだった。

 鳴き叫ぶ声も大きくなっている。この様子は、内側にいる獣人たちにも聞こえているはずだ。


「出口だ」


 グレートウォールの内側に入ったとき、黒い狼はぴたりと動かなくなった。

 急いで地面に置いて、容体を確認する。


「息をしていない……」

『失敗か?』


 俺が動かない黒い狼を見ていると、突然変化が起こった。

 体を震わせた後、目と開けた口が光を放ち始める。その光は全身に広がった。

 そして眩い光となって、天へと伸びていった。

 俺はあまりの光に目を閉じて、ゆっくりと開いたときには、黒い狼の姿ではなかった。


『成功したようだな』

「これが逆転生の儀ってやつだ」


 男は眠ったままで目を覚まさなかった。

 しばらく、様子を窺っていると、パースたちが騒ぎを聞き付いてやってきた。


「フェイト、この者は……転生の儀で追放されたはず。何故ここに?」

「外で魔物となった彼を見つけたので、ここへ連れてきました。すると眩い光を放った後に、元の姿に戻りました」

「なんてことじゃ……」


 パースを含めた族長たちが予期せぬ出来事に、収拾がつかずに騒ぎ始めた。

 やはり、転生の儀で魔物となった者がグレートウォールに帰ってくることは、彼らの知る中でなかったようだ。


「どうする……彼は罪を犯して追放されたんだぞ」

「ゲオルク様が知ったら……」

「今まで獣人に戻った者はいない。前例がない」


 彼の処遇について、族長たちがあれやこれやと話し出していた。どれもエルフを恐れてのことばかりだった。

 この調子で、獣人がエルフから独立できる時代が訪れるのだろうか。少々、不安が残る。

 やれやれ、連れてきたのは間違いだったのかもしれないと思っていると、凛としたエルフの声が聞こえた。


「静まりなさい。道を開けなさい。フェイト! どこにいるの?」


 セシリアの声だった。騒ぎを聞き付けた獣人たちによって、辺りはごった返していた。

 それを掻き分けるように、彼女は俺のところにやってきた。


「とてつもない光を見たわ。あの光は転生の儀によく似ていた。何が……」


 俺に詰め寄って来て、押し倒すような勢いで聞いてくる。しかし、足元に眠っている獣人を見て言葉を詰まらせた。

 すぐにしゃがみ込み、獣人の脈を確認する。


「生きている……彼は魔物になったはず」


 セシリアに事の経緯を説明した。それを聞いた彼女は信じられないようだった。


「転生の儀で魔物になった者は、グレートウォールの中に戻っても、元の姿に直りません。それはエルフの歴史書にも記載されているわ」

「えっ、彼は獣人に戻ったけど」

「転生の儀は一度魔物になったら、どのような手段をもってしても駄目。大昔に獣人を使って幾度となく試したと……」

『その歴史書が本当なら、今回は違った因子がある』


 グリードがそう言うと、セシリアは俺を見た。

 そして、しっかりと頷いた。エルフが魔物となった獣人を連れて、グレートウォールに潜っても魔物のままだった。

 しかし、今回は人間である俺が行った。


「フェイトが因子となったわけ?」

『今のところ、そうとしか考えられないだろ』

「ええ……」


 考え込んでしまったセシリアに、辺りを見回しながら俺は言う。


「騒ぎが広がり過ぎている。このままでは、彼の処遇が危うい」


 またゲオルクに転生の儀をされて、魔物に逆戻りされてしまうかもしれない。

 そんな予想にセシリアはきっぱりと言い切った。


「転生の儀はさせません。彼は罪を償い、この地へと戻って来た」

「既に罪を償っている?」

「そうよ。転生の儀を受けた段階で罪は償われているの」


 セシリアの言葉を信じるに彼の身は安全に思えた。しかし前例がない以上、果たしてゲオルクがそれで良しとするだろうか? 転生の儀をとても楽しそうに執り行っていた彼が、簡単に納得するだろうか?


「早計だったかもしない」

『なら、魔物となったこいつを殺せたか?』

「それは無理だな」

『お前は、獣人に戻る方法を選んだ。それが正解だったかは、これからにかかっているだろ?』

「全くその通りだな」


 グリードの言いたいことはよくわかる。これからとは、ゲオルクのことだ。

 俺はゲオルクの転生の儀を台無しにした。獣人に転生の儀を恐ろしいものとして、脳裏に焼き付けてきた。それがひっくり返った今、彼はすぐにでも動いてくるかもしれない。


「フェイト、兄さんの近衛騎士たちよ!」


 予想していたよりも早かった。俺がグレートウォールを出てから、何かを起こすと踏んでいたかのようだった。

 分厚い甲冑をガシャガシャと鳴らしながら、周りを囲む獣人たちを追い払う。

 残されたのは、魔物だった獣人と俺とセシリアだった。

 遠目から獣人の男の家族が声を上げていた。安堵と心配するものだった。

 近衛騎士の隊長と思わしき者が部下に命令する。


「その獣人を連れて行けっ」

「はっ」


 両脇を抱えられて連行されていく。他の獣人たちは、静まり返って見守るのみだった。

 隊長はセシリアと俺にも声をかける。


「セシリア様、ゲオルク様がお待ちです。フェイト・バルバトス、お前も付いてきてもらう。拒否権はない」

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