第236話 救世主とは

 俺やパースたちは、しばらく沈黙していた。囲炉裏で炭がパチパチと弾ける音だけが部屋の中を鳴り響く。

 グリードも静かだった。これ以上、言うことはないといった感じだ。


 ふと囲炉裏から目線を下へ向けると、立派な絨毯が敷かれていた。家の中へ入って、すぐに族長たちの視線と向き合っていたため、気が付かなかった。

 囲炉裏を囲むように敷かれた絨毯は、人や魔物らしきものがあしらわれていた。


「この絨毯に織られている絵柄はなんですか?」


 そう聞くと、族長たちが立ち上がり後ろへ移動した。

 座って隠されていた絵柄が姿を表す。何かの戦いを描いているようだった。

 パースは、俺に初めてニッコリと微笑んだ。


「やはり気が付かれたのか。エルフは、目にも止めぬ儂らに伝わる伝承じゃ」

「伝承? これは何が描かれているんですか?」

「聖戦じゃ」


 絨毯に描かれた始まりから、パースは教えてくれる。


「閉ざされし聖地から使者、我らのもとへ現れるとき、聖地への道は開かれん。我らを束縛せし白き壁は崩壊し、魂は救済される。その者はエルフの力を奪いし、我らを新たな力へと目覚めさせん。自由を呼びし、その者は我らを清浄なる地……聖地へと導く者なり。同胞たちの残した手が白き壁を覆い尽くす前に旅立たん」

「エルフの力を奪う……だから、先程……救世主と?」

「すまぬのう。順序立てて話せばよかったのだが、儂も含めて皆が焦り過ぎた。ここでお主に接触する方法を探っておったら、向こうから当人がやってきたわけじゃ」

『爺さん、聖地とはガリアのことか?』

「そうじゃ、荒れ狂う海や襲いかかるシーサーペントを越えた先にあるという人間が住まう場所……儂らの故郷、聖地ガリアじゃ」

『故郷? 俺様は長いこと生きてはいるが、獣人は知らないぞ』

「ならば、お主が生まれるよりも古き時代のことじゃろう。今ではこの絨毯に描かれている程度の伝承しか残っておらんからのう」


 グリードの問いに、パースはきちんと答えることはできずにいた。他の族長たちも同じ様子だった。


「パースさん、エルフも……セシリアもガリアを聖地だと言っていました」

「もしお主が儂らにとって救世主なら、エルフにとって逆じゃ。彼らにとって崇拝すべきグレートウォールの崩壊を呼び寄せる者じゃからな」

「ゲオルクが、俺に執着するのは……」

「ふむ、お主がガリアから来たからじゃろう。しかし、初めは疑心暗鬼だったのかもしれん。だから転生の儀を見せて、お主の様子を伺った。それが昨日の決闘で、エルフの力を奪ったことで確信に変わったかもしれん」


 ゲオルクは決闘に勝ったことで、エルフの街に住まう許可をくれた。

 すぐにでも、グレートウォールの外に追い出したいと思うものだが……。


「お主に強引な手出しをしてこないのは、エルフの力を奪うことができるからじゃ」

『誰だって、ザックスとかいうエルフのようにはなりたくないのさ』

「精霊獣ベリアルか……」


 俺の言葉に一同が息を呑む。そして、パースが皆の意見を代表して言う。


「奪ったという精霊獣をここで見せてはくれんか?」

「ここでですか!?」

「そうじゃ、然すれば皆がお主を信用する」


 獣人の信用を得られることには、メリットがある。直接動きづらいセシリアにとって、獣人との架け橋になれるかもしれない。

 だが、同時に救世主という重い肩書きを得ることにも繋がってしまう。

 パースが言った伝承を思い出す。「その者は我らを清浄なる地……聖地へと導く者なり」というのなら、その役目を担えば自ずとガリアに帰れることになる。その過程でロキシーの行方もわかるかもしれない。


『決めたんだな』

「ああ、このままゲオルクに振り回されるのにもうんざりだ」


 俺はパースの家から出て、精霊獣を呼ぶ。


「来い、ベリアル」


 大きな二本の角で族長たちを威嚇するように精霊獣ベリアルが顕現した。

 周囲の温度は下がり、冷気が吹き荒れる。パースは白い息は吐きながら言う。


「おおおおっ……フェイト・バルバトス様」


 そして目を見開き俺に跪いた。他の族長たちもそれに続いた。

 これでは信用するではなく、従うって感じだ。そんな約束はした覚えはなかった。


「様はやめてください。それに敬意を払う必要もないです」

「じゃが……」

『フェイトがお前たちを信用して、ここまでしたんだ。なら、それに応えるのが義理ってものだろ?』

「うむ。心得た。ならば、フェイトよ。グレートウォールを触ってみるのじゃ」


 パースが獣人たちの手形で装飾されたグレートウォールの前に、俺を連れて行く。


「さあ、壁に手を付けるのじゃ」


 彼の確信めいた目に押されて、手形と同じ左手でグレートウォールに触れた。


「えっ!?」

「おおおおおっ」


 俺はまさかという驚きの声を出した。族長たちは俺と違って、歓喜に満ちたものだった。

 グレートウォールにポッカリと穴が空いたからだ。セシリアがここへ案内してくれたときと同じものだった。

 あのときは、触っても何も反応をしなかった。今回は違った。

 その差は何かを考えて、思い当たることが一つだけあった。


「精霊ですか?」

「その通りじゃ。グレートウォールを通れる資格は精霊を操れる者だけじゃ。エルフからその力を奪ったお主なら、グレートウォールを自由に行き来できる」


 だから、ザックスはベリアルを失った時にあれほどまで、暴れ騒いでいたのか。

 精霊はエルフの力の象徴であり、グレートウォールに選ばれた証でもあったのだ。

 俺はゆっくりと空いた穴に踏み込んだ。大丈夫だ、このまま外に出られそうだ。

 後ろからパースの声が聞こえる。


「儂らはここから先には進めん。どうされる?」


 日暮れにはまだ早い。元々、明日セシリアにグレートウォールの外へ出してもらおうと思っていた。

 この際、丁度いい。もう一度俺が打ち上げられた砂浜に行ってみたかった。


「海を見てきます」

「それは羨ましい限りじゃ。ではまた会おう、フェイトよ」

「はい」


 俺が外へ出ると、空いていた穴がすっと閉じてしまった。もうパースたちの声は聞こえることはなかった。


『シャバの空気はうまいぜ』

「グレートウォールの中はとても広いのに、高い壁のせいで息苦しかったからな。グリード、グレートウォールを通ったとき、何か感じたか?」

『俺様に似たような感じだったことか?』

「ああ、今ならよくわかる」

『あの壁は、俺様と同じように意思を持っている。喋れるかはわからないがな』

「もし喋れたら話は早いのにな」

『物事はいつも都合よくいかないものだ。身に沁みてよくわかっているだろう?』


 全く持ってその通りだ。上手くいっていたら、俺はこのルイーズ島にいない。

 ロキシーと一緒に、マインやエリス、アーロンたちが待っている場所に帰れることができたはずだ。


『まあ、グレートウォールを行き来できるようになっただけでも、良しとするか』

「海に行くぞ。グリードは初めて見るんだろ?」

『楽しみだな。どこまでも続く海原』

 

 しばらく外側からグレートウォールを眺めた後、俺は海に向けて歩き始めた。

 流れ着いた砂浜までの地形は覚えている。セシリアから教えてもらった情報では、島の西側だという。


「知っているか、グリード。この島はこれほど大きいのに浮島なんだ」

『ガリアと繋がりがあるというなら、納得がいく。大陸を浮上させるほどだ。海に浮かべるなど造作もないだろうさ』


 ルイーズ島のことを話しながら西に進んでいくと、


『フェイト、魔物だっ! こっちに来るぞ』

「ああ、わかっている」


 未完成の黒剣を鞘から引き抜き、迫りくる魔物に備えた。

 力も戻ってきている。前回、セシリアに助けられたような遅れは取らないだろう。


「ん? あの魔物は……」

『どうした、フェイト?』

「転生の儀で魔物になった獣人だ」


 見間違えでなければ、俺へ駆けってくる魔物に見覚えがあった。先日ゲオルクによる転生の儀によって、グレートウォールから追放された獣人の成れの果てだった。

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