第229話 五つの島

 セシリアは俺を見つめながら言う。


「この島を合わせて、五つの島が存在するわ。私たちがいる島をルイーズ。他の島の名前はアリス、クロエ、エマ、イネス。誰かの名前っぽいって思ったでしょ?」

「ああ、人の名前みたい島だな」

「神から島を授かったエルフの名前が島の名前になっているのよ」


 ここはルイーズ島と呼ばれているのか。

 そして、セシリアはこの島を授かったエルフの直系の子孫だという。となれば、彼女の兄であるゲオルクも同じだ。

 ルイーズ島で一番偉い存在なんだから、周りのエルフから敬われるはずだ。俺はその彼女の庇護によって、エルフ社会で生活ができている。


「五つの島も、ここと同じような状況なのか?」

「わからない」

「えっ!? どうして?」

「シーサーペントと呼ばれる巨大な魔物が海に巣食っているの。それによって島同士の交易は数千年間断絶している」

「空は?」

「その魔物は空も飛べるの。だから、お手上げね」


 しかし、セシリアはシーサーペントが現れる前のことを教えてくれた。


「クロエ島はシーサーペントに戦いを挑んで滅びたわ。今はおそらくシーサーペントの根城になっているはず。エマ島は獣人たちの反乱によって、滅びたわ。残っているのはルイーズとアリスとイネスね」

「獣人たちの反乱? エルフは精霊術があるから、獣人に負けないはずだろ?」


 この島の体制から見ても、それは明白だ。獣人はエルフが扱う精霊術を恐れている。


「獣人が反旗を翻せた理由は不明。だけど、その争いによって、獣人を守っていたグレートウォールは破壊されてしまうの。壁内は、魔物になった獣人たちで溢れかえってエルフは滅びたそうよ。今もエマ島は魔物の巣窟となっていると思う」

「残った三つの島は?」

「ここと同じね。獣人の管理をより厳しくして、エマ島の悲劇を繰り返さないように必死なの」


 エマ島で獣人の反乱が起こった時期とシーサーペントが現れた時期は重なっているらしい。


「二つの出来事に関連性があるかは、今もわかっていないんだけどね」

「それって他の島との交流ができていないことも関係しているのか?」

「うん。アリス島とイネス島がもしかしたら私たちの知らない情報を持っていても、シーサーペントが海から私たちを阻んでいるから」


 今も二つの島が健在なのかすらわからないという。

 エルフの世界は五つあって、その内の二つはすでに滅んでいる。もしかしたら、途方もない年月の間にアリス島とイネス島も滅んでいるかもしれない……。


「俺は運良くルイーズ島へ流れ着いて、君に救われたのか」

「そういうこと! フェイトは本当に運が良いと思う。シーサーペントに襲われなかったから、普通なら食べられてもおかしくはなかったわ」


 セシリアの真剣な顔を見ながら思う。精霊術を扱えるエルフが太刀打ちできない存在――シーサーペント。

 海を超えて、もといた人間の大陸に帰るためには、シーサーペントという魔物をどうにかするしかなさそうだ。


「流れ着いたときは、俺が不味そうでシーサーペントが見逃してくれたのかも」

「あははっ、そうだったあらいいわね」


 俺の肩を叩きながら、セシリアに笑われてしまった。

 そうであってほしい……甘い希望を抱きながら、姿の見えぬ魔物を想像する。天竜くらいの大きさだろうか? それともそれ以上の存在だろうか?


 どちらにせよ、今の俺の力では歯が立たない。グレートウォールの外に徘徊する魔物――フェンリルにすら殺されかけたくらいだからな。

 強くなるしかない。だが、どうやって? この世界ではレベルやステータス、スキルという概念は存在しない。

 肉体を鍛えたところで、人間の域は超えられない。セシリアに助けられたときのように、魔物に殺されかけるだろう。


 ふと、もう一人の自分の顔が頭を過ぎった。

 あいつの自信からは、この世界でも聖獣人の力は発揮できそうだった。

 しかし、力を借りることはできない。そうしてしまえば、俺の精神はあいつに乗っ取られて、セシリアがいるルイーズ島をどうしてしまうかを……考えるのも恐ろしい。


「どうしたの?」

「いや……この島のことすら、まだ慣れていないのに、五つあるなんてな」

「いっぱい喋っちゃったわね。無理せずにゆっくり慣れて行けばいいし」

「そうも言ってられないだろ」

「……兄のことね」


 ゲオルクは、どう考えても俺のことをよく思っていない。

 妹に付いた悪い虫どころではないだろう。初手で転生の儀を俺に見せてきた。

 次はもっときついもの……たとえば、この島から俺の排斥を訴えてきてもおかしくはないだろう。

 あまりセシリアにこれ以上、迷惑をかけたくはない。


「兄は私の方でどうにかするわ。フェイトはこの島において、特別な存在なのだから」

「特別か……」

「ごめんっ、あなたが人間だからってことだけじゃないわ。私は待っていたの」

「待っていた?」

「この世界のルールが変わる何かを」

「だから、グレートウォールの外へ出ていたのか?」

「ええ」


 セシリアは手に持ったフォークを置いて、少し恥ずかしそうにしていた。


「暇を見つけては、外へ出て海を見に行っていたの。時折、サーペントが海の上で暴れていたのを覚えている。フェイトが流れ着く前日、経験したこともない嵐が島を襲ったの。大地が軋むほどにね」

「嵐……」


 記憶になかった。もしかしたら、その嵐のおかげでサーペントに襲われずにすんだのかもしれない。


「昨日の嵐が嘘のように、雲一つない晴天だった。何かが起こりそうな予感がしたの」

「そうしたら、フェンリルに襲われている俺を発見したわけか」

「ええ、折れた剣で必死に戦うあなたを見つけたの。私たちに似ているけど、違う存在だった。あのとき、私とフェイトが出会わなければ、あなたは死んでいたかもしれない」

「この出会いには意味があると……運命だとでもいいたいのか?」


 俺を見つめながら、セシリアは大きく頷いた。


「たまたまさ。さっきも言ったけど運が良かっただけだ」

「違う。あなたという存在が、ここへ来た意味はあると思う。あの海を超えて、やってきた唯一の人間なのだから……何千年と起こらなかったことが、今……眼の前に起こっている。こういうことには、ちゃんと意味があるの」

「当の本人が意味を知らないのに?」

「その時が訪れれば、否応なくわかると思う」

「もし、それが来るとして良い結果か、悪い結果になるか……わからないぞ」

「その責任は私にある。だって、あなたをグレートウォールの内側へ招き入れたのは私だもの」


 セシリアは感じ取っているのか? 俺が普通の人間ではないことを?

 だが、これだけは知り得ないだろう。俺の半分が凶暴な聖獣人で、暴走の危険性があることを。


 ライブラの言葉が不意に蘇ってくる。これも予定調和だと……。

 俺がここへ訪れることも、すでに決まっていたのなら、何が起ころうとしているのだろうか。

 エルフと獣人との上下関係が数千年以上続いたこの世界に、俺という異物が入ることで、良い方向になるのか……それとも、争いの火種となってしまうかもしれない。


 セシリアはこの壁の中の世界に、新しい風を求めているようだけど、すべての者がそれを望んでいるのか?

 彼女の決意に満ちた目を見ながら、テーブルに置かれたコップの水を飲む。

 湧き水なのか、澄んだ水は喉の乾きに染み渡った。モヤモヤした気持ちも、洗い流してくるかと思っていたら、酒場の入り口から、セシリアの名を呼ぶ声がした。


 甲冑を着込んだエルフ騎士が三人。声をかけたのは、おそらく中央の長身の男だろう。

 彼はセシリアへにっこりと笑みをこぼす。だが、俺に向けられたものとは別物だった。


「フェイト・バルバトス。ゲオルク様の命で貴殿と決闘をすることになったザックス・スナイダーだ」


 ザックスは、この場で決闘を始めんばかりに、強い威圧感を放った。

 今日は楽しい食事会だったはずだ。しかし、あれほど美味しかった料理の味もワインの味も一瞬にして、頭の彼方へと追いやられてしまう。

 そっと折れた黒剣グリードに手を置く。

 俺たちに平穏は程遠いらしい。

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