第227話 望まぬ対峙

 溜息にも似た……変な笑いが出てしまった。


「またか……」


 いつかはまた訪れるとは思っていた。それがよりにもよって今かよ!?

 疲れているから、心が弱った隙きを突かれたのかもしれない。


 だから、ここに引き込まれてしまったのだろうか。

 この真っ白な精神世界にっ。

 はぁ、昨日安心していれば、これである。


 自らここに来たわけではない。なら、俺をここに招いた者がいるはずだ。

 昔ならルナがよくここへ招待してくれた。そして、グリードと一緒になって精神鍛錬をしてくれていたものだ。

 だが、ルナはもういない。


 心当たりなんか……一人しかいない。


「いるんだろ。出てこいよ」


 俺の声が静まり返った真っ白な世界に吸い込まれていく。

 思わず、舌打ちをしてしまう。勿体ぶりやがってっ!


「出てこいっ」


 しばらくして、本人登場と言わんばかりの黒い影が白い世界にシミのように広がった。

 それは膨らみだして、人の形を成していく。


「困っているようじゃないか?」

「わざわざそれを言いに来るとは、律儀なやつだったんだな」

「それは俺の体でもある。忘れてもらっては困る」


 もう一人の俺……聖獣人としての俺は、右手に刻まれた紋様を俺に見せてきた。

 これは、ライブラと戦った際に、スノウから受け継いだ聖刻だった。


「この聖刻が消えていない意味はわかるよな」

「それって……まさか!?」

「神はまだ存在しているってことだ」

「どこに? あれは俺が喰らったはずだ」


 もう一人の俺は、ニヤリと笑う。そして、俺の胸の辺りを指さした。


「そうだ。今、お前の中で眠っている」

「暴食スキルの中で?」

「そして、生まれようとしていることだろう」


 聖刻が刻まれた右腕を俺に見せつけて言う。


「見ろっ」


 赤く燃え上がるように色を変える聖刻。神の啓示を受けたことを意味する証だ。


「これでわかるだろ。お前は神を倒せてはいない。喰らっただけだ。その楔から解き放つのが、どうやら俺の啓示らしい」

「戦うってことか?」

「いや、違うな。殺し合いだ。お互いの存在を賭けたな」

「元は二人で一人だった。こんなことをしていたら、自分が自分を殺していることになるぞ」

「ずっといい思いしてきたお前にだけは言われたくない!」


 前よりも会話ができるということは、もう一人の俺は力が増してきているのだろう。そのきっかけは、おそらくスノウの聖刻を取り込んだからかもしれない。


「これ以上うじうじやっているのなら、今ここで俺が表になって、フェイトになってやる」

「うるせっ。こっちだって、好きで悩んでいるわけじゃない。あの彼の地での戦いの後……すべてうまくいったと思っていたんだ。みんなのところへ帰れると信じて疑わなかった。それが今、どこかもわからない場所で、理解のできないルールでの中で生かされている」

「それがどうした? 頭で考えられて、口で伝えられて、手足があって何処にでもいける。これ以上の何を望む。今の状況がどうしようもないのなら、お前が変えればいいんだ。できないのなら、俺が変えてやる」


 何を言っている。他国へ来て、俺たちのルールを押しつけて、それこそ何になる。


「お前は神にでもなったつもりか?」

「この世界で不在ならそれもいい。実際に、暴食スキルの中には出来損ないだが、敬愛すべき神がいる。なら、加護の無いものに、与えることも道理だろう」

「そんな押し付けに救いはない。それは支配だ。結局、エルフたちがやっていることと変わらない」

「人は皆、支配されることを望んでいる。だから、神という信仰を捨てきれない」

「違うっ!」


 自分そっくりなもう一人の俺を睨み返す。

 交渉など初めからなかったのだ。あるのは言葉のぶつけ合い。キャッチボールすらできない幼い会話だった。

 人はこのようなときに、辿り着くコミニュケーションが一つだけある。

 互いが信じるものが正しいと証明するためには……。


 俺は、折れた黒剣を鞘から引き抜いた。同じく、もう一人の俺も黒大剣をどこからか出現させた。


「人とはこうも愚かなものだな」

「お前にだけは言われたくない」

「見ろっ、その黒剣を! ボロボロじゃないか。捨てて新しい剣を新調しろ。俺のようにな」


 黒大剣をこれ見よがし掲げる。


「グリードとはいつも一緒だった。これからも、ずっとだ」

「そのガラクタで俺に勝てると思うなよ」


 もう一人の自分が一瞬で間合いを詰めてきて、上段から黒大剣を勢いよく振り下ろす。

 その獲物で受け止めれるものならやってみろと言わんばかりだ。


 気に入らなかった。

 俺とグリードを侮蔑するようなその黒大剣の使い方がっ!


 ずっしり重い一撃。柄に近い部分で受け止める。

 バチバチと火花を散らしながら、互いの顔を睨みつける。俺そっくりな顔のくせに……よくもあれほど悪い顔ができるものだ。


「このエルフ世界では、スキルやステータスがうまく機能しないのだろ? どうした、さっきの威勢は? 俺に押されて来ているぞ」

「……っ」

「このまま、細切れにして暴食スキルの深層に亡者どもの餌にしてやる」


 お前は三つ間違っている。

 一つは俺が暴食スキル……其の者を司っている。今は現実というシステム外でうまく扱えないだけだ。

 二つはここはお前の精神世界だけではない。ベースは暴食スキルの世界に薄い膜を張って、セーフハウスのような空間を形成しているだけ。ここは現実世界ではない。暴食スキルの世界では、本来の力……スキルやステータスが扱える。

 最後は、俺はお前に決して屈しない。


 グリードなしでも、折れた黒剣で俺は戦える。


「うおおおおおおぉぉおおおっ!」

「なにっ。泣き虫やろうのくせにっ」

「人は悲しいときに泣いてもいいんだ。笑っているときでさえも嬉しくて泣けるんだっ。お前にそれができるのかっ」


 黒大剣を弾き返す。

 がら空きになった懐に、折れた黒剣を殴るように叩き込んだ。


「ぐはっ……それがお前の弱さだ」


 ふらつきながら立ち上がるもう一人の俺は、上唇を一舐めして笑った。


「独りぼっちで寂しくて、精神が弱っているかと思ったら、なかなか元気じゃないか」

「俺はお前には負けない」


 結局、ライブラとの戦いでも、お互いに協力はできなかったし、わかり合えなかった。

 あれほどの戦いでも、共闘できないのなら、これからも望み薄だろう。

 俺たちはいつも交わることなく、同じ体を共有した平行線だ。


 もう一人の俺は黒大剣を地面に突き刺した。


「今はな。だが違っていく」

「どういう意味だ?」

「エルフ世界ではお前は、昔の何もできない持たざる者だ」

「くっ……」

「図星だ。どうだ、昔に戻って気分は?」


 確かに苛立ちはある。できたはずのことができなくなっている……というは、案外辛いものなのだな。

 初心に返るっていう感じでもなく、本当に何もできなかった。忘れていた昔の無力感が思い出されてしまった。


 そんな俺に言うのだ。


「取引をしないか?」

「信用できない」

「嫌われたものだな。仲良くやっていた時期もあるだろ」

「ほんの僅かな時期だけだろ?」


 隙きあらば、俺と取って代わろうとするやつの言葉に耳を貸せるかっ。

 しかし、もう一人の俺は落ち着いていた。

 聖刻が刻まれた右腕を俺に向ける。


「力を貸してやる。聖獣人としての力だ。この力なら、エルフ世界でも通用する」

「どうして?」

「信用するかしないかはお前次第だ」

「何が目的だ?」


 俺の了承も得ずに、聖刻の力が俺の右腕にも刻まれていく。

 勝手なことをするなっ!


「簡単なことだ。この力を使えば、使うほど俺がお前になっていく」

「なら、尚更。使うわけがないだろ」

「そうかな。俺はお前を見てきた。どうしようもないときにお前は必ず、この力を使う」


 ゆらぎのない確信に満ちた目で俺を見つめてきた。

 俺は反論する気も失せてしまった。


「せいぜい、自分だけで頑張ってみることだな。俺はいつでも力を貸してやる」

「……うるさい」

「次第に俺が表になる。フェイトになるんだ」


 真っ白な世界に笑いと共に、もう一人の俺は消えていった。

 そして、俺もこの世界から旅立っていく。眠りの時間が終わりを迎えようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る