第225話 転生の儀

 生まれ変わる。今ある形を失い、新たな形へ作り変えられる。

 喚き散らす声が、人ではなく獣のものへ。

 俺には彼だった者が何を言っているのかは、もうわからない。


 悲しそうな遠吠えがグレートウォールに木霊していく。


 グレートウォールの上から声のする方向を眺める。一匹の黒い狼が佇んでいた。


 その狼はゲオルクをまっすぐ見つめていた。しかし、しばらくすると草原へと消えていった。


 あの獣はおそらく魔物だ。


 魔物となった男の残された家族は、今も泣き叫んでいた。父親の名を呼んでも、魔物となった彼が帰ってくることはなかった。


 ゲオルクは魔物が去った方角から目線を外した。その喜喜とした目は俺に向けられる。


「どうだったかい?」

「……」


 俺は答えられずにいた。何がどうだというのか……さっぱりわからない。

 ただただ唖然としていた。

 ゲオルクはそんな俺にニヤリと笑った。


「楽しんでもらえたかな?」

「どこがだっ」

「もし、あの者の罪が許されていたのなら、魔物にはならなかった。つまり、悪いことはしてはいけないってね」

「お前たち、エルフはどうなんだ?」


 ゲオルクに詰め寄ろうとしたけど、従者たちに拒まれてしまった。


「ここではエルフは特別なのさ」

「どういう意味だ?」

「僕たちは、獣人の管理者みたいなものさ。彼らを裁く側にいる。グレートウォールは僕らには寛容なのだ」

「つまり、エルフに影響はない。罪を犯しても、魔物になることは無いってことか?」


 そう聞くと、ゲオルクに鼻で笑われてしまった。

 何かが少し違っているのかもしれない。


「ああぁぁっ、うるさいな」


 ゲオルクがそう言って目を向けた先には、魔物となった男の家族がいた。妻と幼い娘だった。

 今もなお、泣き叫んでいた。特に幼い娘はゲオルクを睨みつけている。


 ゲオルクは従者たちに目を配らせて指示をした。


「お前……まさか」

「そのまさかだったら?」

「やめろっ!」


 今度は周りの兵士たちに押さえつけられた。八人がかりでは、身動きすら取れない。


「離れ離れは寂しいじゃないか。やはり、家族は一緒にいるのがいいと思うんだ。フェイトもそう思うだろ?」

「それは……許されるのか?」

「ああ、許されるね。犯罪者の家族だ。父親と同じことをしないとは限らない。危険な血は排除するべきだ」

「彼女たちは、父親を失ったことで取り乱しているだけだ」

「そう……父親がやったこと、グレートウォールの判決を受け入れていない。絶対の真理を冒涜している。これは大罪だ」


 ゲオルクは部下に命じて、親子を突き落とした。


「やめろおおおおおぉぉぉおおぉっ」

「公平な裁きが今また下されようとしている」


 そんな、彼女たちは盗みを働いてはいないはず。

 グレートウォールの判決を受け入れていないだけで、起こってしまうのか!?


 またしても、黄金色の輝きが二つ。

 真っ白な壁を染め上げる。

 この判決は正しいことなのか? いや、おかしいだろっ!


 地面には、二匹の魔物が寄り添うに立ち尽くしていた。

 その場から離れようとしないため、兵士の一人が威嚇の矢を放つ。


 驚いた魔物たちは走り去っていく。それも、父親とは違った方向にだ。


「あれれ、困ったものだ。理性を失って父親のことすらも忘れてしまったようだね。これだから、獣人ってのは品性がないんだよ」

「ゲオルクっ」

「中身は所詮、魔物だってことさ」


 ゲオルクは外側でなく、内側の獣人たちの街に目を向けた。


「彼らは常に善人でなければならない。咎人はここには不要だ」

「お前たちに都合の良い者……それを善人っていうのかっ」

「当たり前だろ。ここを治めているのは僕たちエルフだ。ここはエルフの世界だ。導く者、そして……従う者。この二者しかない」


 俺を見てゲオルクはニヤリと笑う。


「異邦人の君はどちら側なんだろうね。それとも傍観者かな?」


 問いかけておきながら、ゲオルクはグレートウォールを降り始めた。

 彼の姿が見えなくなると、兵士たちの拘束から解放された。

 ゲオルクを探して、下を眺める。すると、にこやかに俺に向けて手を振っていた。

 あれほど集まっていた獣人たちも蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていた。


 エルフの兵士たちも退去して、グレートウォールの上に俺だけが取り残されてしまった。


「朝からとんでもない歓迎をされちゃったな」


 黒剣に手を当てながら、いつもの癖でグリードに話しかけてしまった。あっと思って触れていた手を離す。


「参ったな……」


 しばらくの間、途方に暮れていた。

 この大陸に来てしまったときと同じ焦燥感が襲ってきた。ここでは、どこまで行っても俺はよそ者だ。

 獣人はグレートウォールの外に出ると魔物になってしまう……いやゲオルクの言うことが正しいのなら、本来の姿に戻るか……。


 その決定権をエルフが持っている。正しくはその中でゲオルクの意のままだ。


 あの様は神にでもなったつもりなのだろうか?

 神なんて碌なものではない……と俺は彼の地での戦いで痛感させられていた。ピエロのように踊らされて、大切な人や自分自身の命すら失いかけた。

 今ここに生きているのですら奇跡に思えるくらいだ。


「今までの常識が通用しない世界。お前ならどうする? なぁ、グリード」


 いつものように小煩い小言を聞かせてもらいたいものだ。でも、あの懐かしい俺様キャラで、偉そうな物言いは聞こえてこなかった。


「帰り道も探さないといけないけど、まだここのルールが飲み込みきれないな」


 グリードが居ないので、もうただの独り言だ。

 答えてくれるのは、風向きが変わって吹き抜けてくる潮風のみ。海からかなり離れているのにここまで潮の香りが流れ込んでくるとは思わなかった。

 グレートウォールの頂上にいるからだろうか?


 このままグレートウォールから出て、放浪の旅にでも出たほうが帰り道が見つかるのではと思えてしまう。エルフの世界にある情報にアクセスしようとしても、異邦人である俺に開示してくれるとは思えない。

 少なくともゲオルクや他のエルフの素行を見るに協力的になってくれそうには思えなかった。


 やっぱり、出ていった方が良さそうだ。

 ゲオルクはそれを促すために、わざわざ俺に転生の儀を見せつけた感じがするし。


 壁に黒剣を突き立てながら、落下のスピードを殺せば降りれなくはなさそうだ。

 昨日の今日で出ていくことになるとは思ってもみなかった。


 助けてもらったセシリアには悪いけど、どうやらここに俺の居場所はなさそうだ。

 この場に居ない彼女に礼を言う。


「ありがとうな、セシリア」


 そして、飛び降りようとしたとき、手を掴まれた。

 振り返れば、当人がいた。

 いつの間に!? 全く気配を感じなかった。


「あなたが真剣そうな顔をしていたから、風の魔法で静かに近づいたのよ」

「びっくりしたじゃないか」

「それは、こっちのセリフ。あなた、さっきここから飛び降りようとしていたでしょ?」

「俺も転生の儀でもしようと思ってさ」

「冗談でもそんなことを言わないでっ」


 セシリアが逃げたから、こんな目にあってしまったのだ。

 少しくらいの皮肉は許されてもいいはずだ。

 でも、それは転生の儀で魔物にされてしまった獣人の家族への冒涜だった。


「ごめん」


 二人で並んで魔物となった者たちが消えていった地平線を眺めていた。

 どれだけの時間が過ぎてしまったのだろうか。

 沈黙に耐えきれずにセシリアに話しかけようとするが、


「ねぇ、フェイト」

「なんだ」

「もう少しだけ、ここに居てくれる」

「なぜ?」


 セシリアは俺をまっすぐ見つめて言う。その目は陽の光を反射して、綺麗に輝いていた。


「私は待っていたの。聖地からの使者。古き伝承の人間。其の者、世界を変革に導かん」


 その言葉を聞いて、セシリアがグレートウォールの外での散策を日課にしていた理由がわかったような気がした。

 そして、俺に初めから好意的だった理由もだ。


 今だに握られた手に、より一層の力が込められた。それは彼女の気持ちを表しているようだった。

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