第224話 盲目の貴公子
先に屋敷へ入ったはずのセシリアが、ドアノブを持ったまま固まっている。
どうしたのだろう。
俺は後ろから覗き込むと、見知らぬエルフが数人いた。
二人のエルフは、テーブルの席に座った身分の高そうなエルフの警護役といったところか。
立ち振舞から、手練れだとわかる。部屋の中まで帯剣していた。
下手をすると問答無用で斬り捨てられそうだ。
とても彼らを歓迎できる雰囲気ではない。
セシリアは黙ったまま、席に座った男のエルフを睨んでいた。
しかし、彼はそんな彼女に気がついてはいなかった。
それは当たり前だ。男のエルフは、両目を黒い布で隠していたからだ。
しばらくの沈黙が過ぎたあと、セシリアが口を開く。
「……兄さん」
その声を聞いて、セシリアの兄の口元が緩んだ。
「セシリア、久しぶりだね。100年ぶりかな?」
「いいえ、150年ぶりよ。すっかり私のことなんて忘れてしまっているのかと」
「何を言っているんだい。たった二人きりの兄妹じゃないか」
ゲオルクは目が見えないはずなのに、セシリアから視線を外した。
「珍しいお客さんだね」
先程の微笑みとは打って変わって、静かな声だった。
彼の取り巻きのエルフたちも、俺を見つめている。そして、帯剣にいつでも手をかけられるようにしていた。
とりあえず、俺はセシリアのお兄さんには歓迎されていないようだった。
「エルフでは……ないね。もちろん、獣人でもない。君は何者なんだい?」
「それは……」
答えようとしたら、セシリアに制されてしまった。
「兄さんには関係のないことよ。今更、こんなことのために私の家に入って来たの? ……最低ね」
「ひどい言葉だ。本来、君の役目を僕が担っている。いつまで逃げる気なんだい。どれほど足掻いても、生まれてくる前から与えられた役目からは逃げられない」
「……あなたにはわからないわ」
セシリアの顔色は悪かった。声をかけようとしたけど、彼女には届かなかった。
つまり、この場から、逃げ出してしまったからだ。
セシリアの家に俺は取り残されてしまった。しかも、初対面のお兄さんと一緒にだ。
「やれやれ、これほど経っても変わらないな」
そう言いながら、ゲオルクは俺を見た。話がまるでわからない俺に聞かれても困る。
「さて、君の名を聞いてもいいかな?」
「……フェイト・バルバトス」
「フェイトか……なるほど。ずっと独り身だったセシリアが初めて異性を自分の家に招いたんだ。特別な君に危害を加えるつもりはないよ」
取り巻きはそれを聞くと、帯剣から手を引いた。
ピリピリとした空気が和らいで、ほっと胸をなでおろす。
ゲオルクは俺に戦意がないことを気に入ったのか……笑顔で言う。
「セシリアが帰ってくるまで、時間がある。少し歩かないかい」
「強制ですか?」
「いや、君はここのことをまだよく知らないと思うから、案内しようと思ってね。セシリアよりもここをずっと深く教えることができると思うけど、どうかな?」
軽々しく付いていくのは安易か? でもゲオルクはセシリアの兄だ。
セシリアが感情的になって俺を置いていったのも、裏を返せば彼女が兄を信じているからだろう。
短い付き合いしかないけど、セシリアは俺と危険な者とだけを一緒にするようには思えなかった。
その好意に甘えて、この世界の情報を少しでも知ることが得策かもしれない。
「わかりました」
「素直でよろしい。実はね。これから大事な仕事があるんだ。これは本来、セシリアがしなければいけないこと。僕が代わりにこなしている」
「セシリアの仕事?」
「ああ、きっと君にとっても、面白い経験になるだろう」
ゲオルクは席から立ち上がると、部屋の外へ歩き出す。
俺とすれ違うとき、肩をポンと叩いた。
「さあ、行こう。その折れた剣は持ったままでいいよ」
武装したままでも問題ないか。信頼してくれていると取っていいのだろうか?
それとも折れた黒剣ではまともに戦えないと思われているのか?
まあ、いいさ。行くと決めたんだ。
その面白い経験とやらを見せてもらおうか……なんてな。
俺を囲むように取り巻きを配置されたら、拒否権などないだろうし。
セシリアの家を出て、エルフ街の大通りを進んでいく。
「この方角は……」
「もう土地勘が、意外に物覚えがいいんだね」
思った通り、艶やか街を通り過ぎて、獣人たちが住む地区へやってきた。
レンガ造りの趣のあるエルフ街。それとは真逆。ボロボロの木の板で継ぎ接ぎだらけの家々が並んでいる。
そして、獣人たちの誰もがゲオルクを見ると、頭を垂れらした。
彼らが敬意を払っているようには、とても見えなかった。
「今日も平和で何より」
ゲオルクは上機嫌だ。目が見えないくせに、足取りは軽い。本当は目が見えていると思えてしまうほどだった。
「こうでないといけない」
「何が言いたい?」
俺はゲオルクの様子が気に入らなかった。そのため、敬語を思わず忘れて喋っていた。
取り巻きのエルフたちが、またしても帯剣に手をかける。
しかし、それをゲオルクは制した。
「彼はいいんだ。彼は僕たちとは違うし、もちろん獣人でもない。何にも囚われていない。つまり、僕に敬語は不要だよ」
「さっきから何が楽しいんだ?」
「そろそろ見えてきたね」
これで二度目だ。
見上げれば見上げるほど、異様な高さのある壁――グレートウォールだ。これほどの圧倒的な面積を有していても、汚れ一つない真っ白。無垢な白が視界に広がっていた。
「この壁の外にでも出るのか?」
「まさか。僕たちは出ないよ」
ゲオルクはそう言って指差した。その方向をよく見ると、階段があった。
真っ白の壁のため、目を凝らさないとわからないほど同化していた。
「さあ、登ろうか。これから大変だよ」
「昇降機とかないのか?」
「神聖なグレートウォールにそのような物を取り付けることはできないよ」
そう言ってゲオルクはニヤリと笑った。そして階段を登りながら言うのだ。
「この一段、一段と登って行くことに意味がある。見たまえ」
ゲオルクの目線の先……地面には多くの獣人たちが集まり出していた。
「すべて登り終えた頃には、もっと増えていることだろう」
セシリアの代わりにしていることらしいけど、ノリノリだな。さすが、250年も代行していることはある。
この先に何があるかは知らないけど、嫌ならそれだけの期間やるはずもない。
「セシリアはなぜ嫌なんだ?」
「責任を取りたくなのさ。何もしなければね。しかし、その責任は誰かが追わなければならない」
「それがあなたというわけか」
「兄妹だからね。生まれながらに目の見えない僕のような欠陥品でも、役が回ってくる。たとえ代わりだとしてもね」
階段を踏み外すことなく歩くゲオルクの足取りは力強かった。
「さあ、もうすぐだ」
気が遠くなるほどの階段の先に、グレートウォールの頂上があった。
吹き荒れる風は強く、油断していると足元をすくわれそうだ。
「準備はもうできているようだね」
そこにはエルフの兵士たちが一列に並んでいた。
「ご苦労さま。今日の咎人は?」
「はっ、こちらです」
鎖に繋がれた獣人の男が兵士に伴われてやってきた。体中が傷だらけのため、何らかの暴行を受けたように見える。
「これの罪状は?」
「盗みです」
「はぁ……懲りないね。君たちもそう思うだろ?」
ゲオルクが目を向けた先から、おそらく獣人の男の家族と思われる者たちが連れてこられた。
幼い娘と息子、そして母親だろうか。
口々に「お父さん」や「あなた」などや、懇願する声が聞こえる。
「ゲオルク、これは……」
「見ての通り、裁判だよ」
「裁判? 誰が判決を下すんだ?」
「僕と言いたいところだけど」
ゲオルクは足元を見て言う。
「このグレートウォールさ。もし罪人でなければ、きっと助けてくれるはず。でも……そうでなければ」
「何をしようとしている!?」
俺の質問に答えることなく、部下の兵士たちに指示する。
「この獣人を前へ」
「はっ」
獣人の男はグレートウォールの縁に連れて行かれた。今にも落ちそうなほどのギリギリだ。
ゲオルクは静かにゆっくりと言う。
「ここから先は外の世界。内側の祝福なき世界。もし、おまえが咎人でなければ、落ちる前にグレートウォールが再び、内側の世界に招き入れよう」
「嫌だ。俺はただ家族のためにっ! 嫌だあああぁぁ」
泣き叫ぶ獣人の男と家族。
俺は見てもいられず、動こうとするが、ゲオルクの取り巻きのエルフたちによって抑え込まれてしまう。
本来の力があれば、この程度どうとでもできるのに……くそっ。
そして獣人たちの声はエルフたちに届くことなく、男は突き落とされる。
「嫌だあああああああああああぁぁあぁ。生りたくない、生りたくないっ」
落ちていく男を俺は呆然と見ていた。
しかしゲオルクは違った。
「始まるよ。転生の儀がっ!」
獣人の男は黄金色の光を放ち始めた。あまりにも眩くて、直視できないほどだ。
真っ白な壁がまるで黄金でできているかのように見えた。
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