第222話 階級社会

 生まれてくる前から身分が決まっている。

 努力では覆ることがない種族の壁を俺は見せつけられていた。

 獣人に生まれし者は、エルフに従属しなければならない。街の中ですれ違う獣人たちは、当り前のように跪いて首を垂れる。


 セシリアも彼らに気をとめることなく、颯爽と歩く。俺が暮らしていた王都セイファートとどこか似ていた。

 聖騎士を恐れていた民と同じか……いや、それよりも種族という溝は深そうだ。

 なぜ、獣人たちがエルフに従っているのか? 今の俺に知る由はない。


「どうしたの?」


 先を歩くセシリアが不思議な顔をして、振り向いてきた。


「エルフって……偉いのかなって思ってさ」


 俺がひれ伏す獣人たちを見ながら言うと、セシリアに笑われてしまった。


「偉いかぁ……そう見えるかもね。私としては彼らを守っているんだけど……」

「守る? 何から?」

「話しても、人間のあなたにはわからないと思う」


 部外者の俺に話しても理解できるとは思っていないようだ。

 教えてくれてもいいのにさ。そう思っていると、顔に出ていたのだろう。

 またセシリアに笑われた。


「変わった人ね」

「なんだよ」

「他のエルフはそんなことに興味を持たないし、考えもしないから」

「当り前ってことか?」

「ここはあなたが思っている以上に小さな世界だから、いろいろと複雑なのよ」


 そう言って、彼女はしばらくどこか遠くを見ていた。その目線の先は、おそらくグレートウォールの外側に向けられているように感じた。


「さあ、先に進みましょう。もたもたしていると日が暮れてしまうわ」

「そう言われても」


 行き交う人――獣人たちが珍しくて、つい見入ってしまう。猫の耳をしている者、犬の耳をしている者……いろいろだ。

 あれはなんだろうか? 小さな丸い耳をしており、体躯は筋肉質だ。


「う~ん、熊の獣人かな」

「よそ見をしない」


 熊の獣人らしき者の前を通り過ぎていく。彼も皆と同じように頭を垂れる。

 見た目はものすごく強うそうだが、セシリアの姿に恐れおののいているようだった。

 エルフは偉くて、強いのか……。たしかにそうだな。俺を襲ったフェンリルを簡単に退けてみせたわけだし。


「またもたもたしているわね。早く来なさい」

「はいはい」

「返事は一回」

「へい」


 先に進むと、土の道が石畳に変わる。周りの建物も木製から、白いレンガ調に様変わりした。

 行き交う人たちには、獣人が見当たらない。

 セシリアと同じ長い耳を持つ者たち――エルフだけになった。エルフの服は、獣人の色褪せた服と違って、綺麗に仕立ててある。見るからに生活レベルが違う。豊かな暮らしをしているようだ。

 そして、通り過ぎていくエルフたちから、気位の高そうな感じがひしひしと伝わってくる。


「なぁ、セシリア」

「なに?」

「俺って場違いじゃないかな」

「大丈夫よ。見た目はエルフっぽいから」


 イタズラっぽい顔でセシリアは、俺の耳を指さした。


「獣人の耳をしていないからか?」

「そうよ」

「安直すぎるだろ。嫌な予感しかしない」

「大袈裟ね。獣人たちだって、あなたをエルフだと勘違いしていたし」


 獣人がそうだからと言って、エルフが同じだとは限らないだろ。

 実際、セシリアは俺をエルフでないと見抜いたじゃないか。忘れてしまったのかよ……。

 なんて、思っていると案の定だ。


「おいっ、お前……何者だっ!」


 ほら、見たことか。背が高くてスラリとした体付きをした男性エルフが、俺の肩を掴もうとする。

 武装した身なりから察するに、警備を担っているのだろう。さらに彼の後ろの相棒らしきエルフが俺を睨んでいた。

 ここで俺が下手に出れば、揉め事に発展しかねない。たとえ逃げるにしても、あのグレートウォールとやらに囲まれた箱庭では、袋の鼠といったところだろう。それに、今の俺の力ではエルフの兵士を諫めることは、難しい。

 反射的に折れた黒剣の柄を握ろうしたが、すぐに気持ちを収めた。


 セシリアはそんな俺を見ていた。そして、優しく微笑んで一歩前へ出る。


「待ちなさい。彼は私のものです」

「ふぁ!?」


 私のものとは何だ!? 思わず変な声が出てしまったじゃないかっ!?

 その言葉の意味を俺は理解できていなかった。だから、相当に間抜けな顔をしていたことだろう。


「セシリア様!」

「私が許可しているのです」

「しかし……」


 エルフ兵士は苦々しい顔で俺をまだ睨んでいる。それほどまでに、他種族がここに踏み込んでくることが嫌なようだ。


「もう一度言います。彼は私のものです」


 そう言われたエルフ兵士は一歩後ろへ下がる。そして俺の首元をじっと見るのだ。

 すぐにハッとした顔になって、そそくさと去っていく。


「何だったんだ? それにセシリア様って……」

「こう見えて少しは偉いのよ。ああ、やっぱり耳でわかちゃうか」

「セシリアだってわかっただろ。忘れたのかよ」

「ダメだったか……残念。でも心配はいらないわ。あとで手続きを済ませておくから」

「手続き?」


 先に歩き出すセシリアは振り返りながら言う。


「少なくともあなたがここで暮らしやすくするためのものよ」

「なんで、そこまでしてくれるんだ?」

「それは……ユニークな人だから。きっとこの出会いには意味がある。直感ってやつ?」

「曖昧だな」


 とてもじゃないが、納得できそうにない。それが顔に現れていたのだろう。

 セシリアはため息を一つ。


「まあ、悪くはないってことっ。それにいくら鈍感なあなたでも、ここまで見てきてわかったはずでしょ」

「エルフが統治している社会ってことか?」

「誰の庇護を受けていたほうが暮らしやすいか、よく考えてね。迷子のフェイトさん」

「くっ」


 それを言われてしまっては、返す言葉もない。今のようにエルフ兵士に絡まれていては大変だ。

 セシリアの助力が心強いのは確かだった。


「あと一つ、言っておくわ」

「まだあるのか」

「揉め事は起こさないこと。あなたは、戦いに好かれているみたいだから」

「……わかった」

「その言葉、信じているわよ。本当に」


 セシリアの顔から今までと打って変わって、どこか神聖なものを感じた。それと同時に俺の中で、静まり返っていたもの――暴食スキルが蠢き出したような気がした。


 この感覚……どこかで……。


「さあ、行きましょ。もうすぐ私の家よ」

「やっとか。この荷物も重いからな」


 ずっと角うさぎが入った袋を抱えていたので、腕と肩がへとへとだ。ステータスの恩恵がないと、ここまで疲れてしまうのか。

 新鮮な体験ではあるが、改めて実感する。これが本来の俺というわけだ。少し鍛え直したほうがいいかもな。

 荷物を担ぎ直し、セシリアを追いかける。

 セシリア様って言われるくらいなんだから、すごい豪邸に住んでいるんだろうな。


「ここは私の家よ」

「えっ」

「なによ。その意外そうな顔は!」


 こじんまりとした小さなレンガ調の家だった。手入れは行き届いているみたいで、花壇には色とりどりの花が元気に咲いている。


「もしかして、豪邸に住んでいると思ったの?」

「セシリア様って呼ばれるくらいだからさ」

「アハハハっ、安直すぎる。ほら、大きな家だと掃除が大変でしょ」

「それこそ、安直だろ」

「私は合理的なの。荷物は裏庭に持っていってね」

「はいはい」

「返事は一回」

「へい」


 使用人のように扱われてしまっている。それも懐かしい。

 ロキシーの屋敷に務めていたことを思い出してしまうからだ。


 彼女は今どこへいるのだろうか。彼の地でのことを思い出そうとするが……またしても頭が割れそうなくらいの頭痛が襲ってきた。

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