第220話 銀色の悪魔
確実に一羽ずつ、斬り倒す。いくらなんでも角うさぎが無限に湧いてくるわけがないだろう。
ひたすら、戦っているうちに辺りは倒れた角うさぎだらけになってしまった。
青々とした草原が赤い色と混ざり合って、俺がいる場所だけ目を背けたくなるほどだ。
せっかくの綺麗な場所を汚してしまったような気分だ。しかし、生き延びるためにはどうしようもない。
今だに襲い来る角うさぎに対応しながら、辺りの強い血の匂いが鼻に付き出した。そろそろ場所を移動しよう。……そう思っていると、どうやら手遅れだったようだ。
風下から、遠吠えが聞こえてきた。
それをきっかけに角うさぎは、俺を無視して一目散に巣穴に逃げ込んだ。
やはり、戦いで流れた血の匂いが、良からぬものを呼び寄せてしまったようだった。
地平線の向こう側から現れた銀色の獣。
これほど離れているというのに、なんて大きさなのだろうか。
俺を一睨みすると、一直線に駆けてくる。走り抜けるスピードが速すぎて、草原が強くなびいて道を作り出すほどだ。
狙いは、角うさぎの死体ではない。俺だ。
折れた黒剣を握り締めて、襲い来る大狼らしき魔物を待ち受ける。どうせ、あのスピードから今の俺では逃げ切れない。
開いた大きな口からは、鋭い犬歯が覗いていた。見るからに、一噛みされただけで致命傷になるだろう。
俺は銀狼の噛み付きのみを警戒して、黒剣を構えていた。
それは間違っていたと知ったときには遅かった。
噛み付きを紙一重で躱して、黒剣を首元へ叩き込もうとしたとき、
「なにっ!」
さらに加速した銀狼は俺の斬撃を避けて、くるりと態勢を変えて追撃してきた。
前足の鋭い爪が俺を襲う。
「くっ」
武器を持った手を狙われた。宙を舞う黒剣を見ながら、銀狼を睨む。
こいつ……頭が良い。初撃の噛み付きは、虚仮威しだったんだ。
本当の狙いは俺の無力化。
武器を失った俺はジリジリと後退する。合わせるように銀狼は悠々と近づいてくる。
魔物のくせに勝利を確信しているようだ。
俺にはもう素手しか残っていない。格闘スキルがあれば、アーツの寸勁で戦えるのに……発動する気配はない。
「くそっ」
銀狼は焦る俺を弄ぶかのように、鋭い爪で引っ掻いてくる。内側に鎖を編み込んでいる上着をいとも簡単に裁断してくる。
足元の草に、俺の血の飛沫が飛び散った。
二度目、三度目、四度目、五度目……。
「こいつっ」
俺を喰らいたいなら、さっさと仕留めればいいものを、遊んでいるとでもいうのか?
それとも、他に目的でもあるのか?
血だらけになっても倒れない俺に、銀狼は面白そうに目を細めた。
そして、俺の周りをぐるぐる歩き始める。
いつ、また襲われてもおかしくはない。そんな緊張がしばらく続いた。
それは唐突に訪れる。
銀狼が前足に付いた俺の血を一舐めすると、毛を逆立てて大きく遠吠えをしたのだ。
そこからは先程の銀狼とは違っていた。理性的な顔は消え失せて、獣らしい残虐な目に変わる。
俺の血はそれほど美味かったのだろうか? メミルが俺の血を飲む際と、なんとなく似ているような気がする。当人は銀狼を同じだと聞いたら、きっと怒るだろうけど。
今は呑気にそんなことを考えている暇はない。
黒剣はかなり遠くに飛ばされている。取るためには、銀狼に背中を見せなければならない。
無理だ。
目を離した隙きに銀狼が体当たりをしてきた。巨体の突進だ。不意を突かれたこともあり、正面から受け止めてしまった。
これでもかというほど、後ろに飛ばされてしまった。あまりの衝撃で息ができなくなり、口から血が溢れている。
しかし、幸運だった。
飛ばされた先に黒剣が転がっていたからだ。
拾い上げて、噛みつこうとしてくる銀狼の口を黒剣で抑え込む。重い……重すぎる。ステータスのアシストがないためだろう。銀狼の巨体と比べて、俺はあまりにも小さ過ぎた。
押され始めて、大きな口が段々と近づいてくる。今まで、暴食スキルで散々喰らってきたツケが回ってきたのかもしれない。
変な笑いが出てきてしまう。
「それでも、俺は家に帰るんだ」
力負けをしていき、俺は地面に押さえ付けられた。黒剣で抑えても、銀狼の口が着々と俺の口元へ。
「……帰らなければいけないんだ」
ロキシーを探して、俺は王国セイファートへ帰る。こんなところで終わってたまるかっ!
そのとき、一筋の突風が駆け抜けた。
キャンッ!
銀狼の情けない声と共に、俺を押しつぶそうとしていた重さも消える。
大きな足音が遠ざかっていく。霞む視界の中で、銀狼が退散していった。
「大丈夫、あなた」
「ああ、助かった……よ……」
出血を過ぎたためか、ぼやけていく意識。助けてくれたのは、銀色の髪をした女性だった。
ここにも人間がいたのかと思ったら、何かが違う。
容姿は美しいのだけど、耳がとても長い。そして先端が尖っている。こんな人間は見たことがなかった。
彼女も俺を見て、同じような印象だったようだ。
「あなた……エルフかと思ったら、耳が短い。どういうこと?」
「……エルフ」
「私はそうよ」
問いかける彼女の顔を見ながら、俺の意識は遠のいていった。
ゆらゆらとした暖かさ。あれだけ痛かった体も、嘘のように軽い。
草の匂いを帯びた風が心地よかった。
「目を覚ましなさい。もう傷は治っているわ」
「……」
「私にここまでさせるなんて、良い度胸ね」
頬をつねられて飛び起きると、やはり銀髪の女性がいた。長い髪をポニーテールに結んでいる。
その髪型のためか、尖った長い耳が印象的だ。
たしか……彼女は自分のことをエルフって言っていた。おそらく種族を示す呼称だろうか。
緑色の目で彼女は訝しむように俺を見つめる。
「あなたは何者? エルフの出来損ないとか?」
「ちょっと耳を触るなよ」
「減るものじゃないでしょ。それにしてもエルフとよく似ている」
「ジロジロと見ないでくれるか」
「命の恩人なんだからね。さっきの狼はフェンリルっていう危険な魔物なんだから」
「フェンリル?」
彼女は頭を抱えて呆れた顔をしていた。
「はぁ、私だから追い払えたのよ。あなたって幸運なんだから……本当なら今頃、フェンリルのお腹の中なんだから」
「ありがとう。助かったよ。えっと、あなたの名前は」
「私はセシリア・フロイツ。あなたは?」
「フェイト・バルバトス」
セシリアは握手を求めてきた。助けてくれたこともあるし、友好的なエルフなのだろう。
俺は彼女の手を握り返す。
すると、今度は絶対に答えてもらうという感じにセシリアは言うのだ。
「それで、フェイトはエルフではないよね。なら、あなたは何?」
「……人間」
彼女はその言葉に首を傾げた。聞いたことがないようだった。
「まあ、いいわ。せっかく狩りにきたのに……変わった者を拾ったみたい。でもちょうど獲物もたくさんあるようだし」
辺りに横たわっている角うさぎを見ながら、セシリアはにっこりと笑った。
「ちょうどいいわ。助けてあげた恩を返してもらうかな」
「これらを運べと?」
「察しが良いわね。それに、あなたのような者をそのままにはしておけない掟があるの」
「掟?」
「そうよ。だから、付いてきてもらう」
「拒否権は……なさそうだね」
あの大きなフェンリルを追い払うほどの強さだ。下手には動けそうにない。
それに、ここは俺がいた場所と違うのに……人間を知らない場所なのに、信じられないことに言葉が通じるのだ。
ここは素直に従って、情報を集めたほうが得策だろう。
セシリアが用意していた袋に角うさぎを詰め込む。
「手際が良いね。さあ、行きましょう」
「取って食われないよな?」
「さあ、それはどうかしら。あなた次第ね」
彼女は俺を見ながら、不敵な笑みをこぼした。
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