第213話 最後の使徒

 地平線へ向けて逃げていくブラックキューブたち。

 それを追いかけながら、俺はグリードの話を聞いていた。


『緑の大渓谷はケイロスとライブラが最後に戦った場所だった』

「やっぱり……そうだったのか」


 あそこだけ、ガリアではありえない光景が広がっていたからな。普通じゃないってことくらい、初めて訪れたときから思っていた。


『そして、ケイロスが暴食スキルに飲み込まれた場所でもあった』


 どこか、悔しそうに言うグリード。その言い方から、あまり思い出したくなかったのだろう。


 それでもグリードは、良い機会だと言って教えてくれた。


 ケイロスが暴食スキルに飲み込まれながら、放った最後の斬撃によって緑の大渓谷が生まれたのだろう。その力によってライブラに致命傷を与えて、更には不思議な現象を大地に刻み残した。


 草木が生え、そして魔物たちが救いを求めるように集まりだしたという。それは俺も目にしており、今もなお継続していた。


 俺の中にいるケイロスと繋がったことで、魂の解放という力が使えるようになったのだろうか。


『ケイロスからはどうだ?』

「いや、何も……」


 ケイロスに問いかけてみたが、返事はない。それにラーファルの気配もない。


 この世界に来てから、彼らが俺を見守っていてくれるような感覚は無くなっていた。何かが阻害しているように思えた。


『声が聞こえないのか』

「ああ。グリードが魂の解放について、他に知っていることは?」

『俺様がわかるのは一つ。その力がライブラに対抗できる唯一の手段だった』


 ライブラに魂の解放しか通用しないのか? ならギリギリで習得できて良かったと、安堵しているとグリードに笑われてしまった。


『それはケイロスが使ったものだ。お前も同じにならなくてもいい』

「グリード……」

『この力は確かにライブラに通用した。しかし、倒す決め手に至らなかった』


 ここが一番重要だとグリードは静かに言う。


『ケイロスもお前に期待しているのさ。あいつは色々と手を焼くくせに、大事なことは伝えない。なぜだか、わかるか?』

「それって、俺たちのことを……」

『信じているのさ』


 グリードにとっては、柄にもない言葉だったためか、少しだけ照れくさそうだった。


 死を司る黒天使になった父さんとの戦いでは、ケイロスの助力を得た。それはどうするべきかを教えるものではなく、俺たちにとって進むべき道を導くようなものだった。グリードが言うとおり、そういう人なのだろう。


『とうとう……見えてきたな』

「あそこが、世界の中心」


 グリードも俺と同じく、初めて見る場所。


 太陽のように燦々と光り輝く。それなのに不思議と眩しくない。流れ着いた無数の魂たちがその巨大な光の玉に吸い込まれていく。


 そのたびに表面に波紋と魂の赤い色が混ざり込む。しかし、黄金色の方が勝り、魂の色は失われてしまう。その様がまるで、存在すらも否定されて、部品のように扱われているようだった。


 暴食スキルに喰われた魂たちでも、あのような扱いはされない。一つ一つの個としての存在を許されていた。


「どれほどの魂を得て、こんな大きさまで成長したんだ」

『4000年ほどかけて少しずつだな。俺様たちの想像を超えているのは確かだ』


 近づけば近づくほど、その大きさに圧巻される。空に浮かぶ二つの月を間近に見たことはないが、もしできるのならこれほどの大きさなのかもしれない。


「なあ、グリード」

『どうした』

「もしも、この月みたいなこれを喰らったとしたら」

『バカなこと……どうなるかはお前自身が、一番よくわかっていることだろうに』


 呆れているようで、どこか心配しているような声でグリードは笑った。


『フェイト、準備はいいか? ご登場だ』


 黒剣を握りしめながら、グリードに促されて目を向けた先に。

 太陽にあるという黒点のように、巨体な魂の塊を背景にしてポツンと人影があった。


 数は二つ。一つは磔にされたロキシー。そして、横には目を瞑り、静かに事の始まりを待つライブラだった。


 すでに彼は俺たちのことをわかっているはずだ。なぜなら、ブラックキューブを使って俺たちの足止めをしたくらいだ。


 逃げ帰ったブラックキューブたちが彼の周りを漂っているし。


 ならいっそ、こちらから……。


「ライブラっ!」


 名を呼ばれて彼の口元が緩んだ。


 そのまま慌てることなく。ゆっくりと目を開けて、目の前にいる俺を見つめた。

 名前を呼ばれても、攻撃をしてこないことがわかっていたようだ。


「やあ、待っていたよ。どうだい、この世界は? ここまで絶景だっただろ?」

「何をしようとしている? ロキシーを解放しろ」

「同時に二つを聞かれると、困ってしまうな」


 この……ここまで来て、飄々としやがってっ。


「そう怒らない。いいよ、まずは彼女を解放しよう」


 ニヤリと笑ってライブラが指を鳴らす。途端に、ロキシーを磔ていた十字架の形をしたものは、跡形もなく砕け散った。


「ロキシーっ!!」


 抱きかかえて、様子を窺う。しかし、気を失ったままだった。


「約束通り、解放はした」

「お前……ロキシーに何を!」

「僕はただ彼女の中にいるスノウに命令しただけさ」

「まさか」

「ああ、目覚めることのない眠りを与えた。スノウの力を借りたところで、彼女は聖刻に縛られている。同化して聖獣の力を得て、強くなれてもちゃんとリスクはあるのさ」


 ライブラは眠ったままのロキシーに目を向ける。そして、次に俺をしっかりと見つめた。


「代償を払い続けてきた君ならわかるだろ。決められた力以上を得ようとすれば、そうなっている。この戦いにも、本来意味はない。ミクリヤから聞いただろ。すべては予定調和だと。そのような継ぎ接ぎだらけの姿になって、僕の前に立ったところで決められたものは変えられない」


 ロキシーを抱きせて、黒剣をライブラに向ける。それでも、彼はブラックキューブを好きなように漂わせたままだ。


「僕はこれを守るために生まれてきた」


 ライブラの後ろにある黄金色の巨体な球体を指差しながら、


「やっと現物を見れて良かった。守るべきものがどのようなものなのかがわからない……なんてやはり辛いものだからね。僕も他の聖獣人と同じように長く生き過ぎてしまったようだ。人の姿を捨てて、聖獣としてだけ生きられたなら楽だったかもしれない」

「ライブラ……お前は」


 満足そうな顔で頷いていた。


「思ったとおりだ。綺麗で素晴らしい。……守る価値がある」

「それはなんだ。お前が守るそれは?」

「神さ」

「えっ……この球体が」

「正確には神だったというべきか。皆等しく、神に祝福されているのさ。スキルを与えられて、レベルを上げ、ステータスを育む。死して、それは魂と一緒に神の身元へ帰る。元は与えてもらった力だ。ちゃんと贄として還さなければいけない」

「なぜ、与えられるスキルに違いがある?」

「わかっているだろ。魂の耐久に依存するからさ。強い魂には強いスキルを。弱い魂には弱いスキルを。君が言う持たざる者にもちゃんと役目がある」


 ライブラは口を開けて咀嚼する真似をしてみせた。


「魔物の餌だ。魔物がレベルを上げて、ステータスを育てる糧となってもらうためさ。初心者の武人は、まずゴブリンから狩ってレベル上げをしていくだろ。それと同じさ。魔物もまずは弱い人間を喰らって強くなっていく」

「そのためだけの存在なのか」

「フェアじゃないだろ。そうしないと一方的過ぎる。もとを正せば、魔物も人間だったし。大きな枠組みでは人間同士の殺し合いさ。君たちは同族で争い、殺し合うのが好きだろ。こうして見た目を変えてやれば、なお一層だったわけさ」


 漂う人間の魂と魔物の魂を捕まえて、二つにさほどの違いはないとライブラは見せつけてきた。


「初めは人間の魂だけだった。しかし魔物の魂を得たことで、スキルに多様性が生まれてきた。そこから得られるものも必然的に増える」


 捕まえた二つの魂を黄金色の球体へ投げ込む。魂の色が滲んだが、すぐに元の黄金色へと戻った。

 それを微笑ましそうにライブラは見届ける。


「それでもまだ早い。その上で扉を開け、ここへ君を招いた。その意味がわかるかい」

「とてもじゃないが、歓迎されているとは思えない」

「察しがいいね。君にはここで永遠に眠ってもらう。特等席だよ……神の身元という」


 先程までライブラの周りを浮遊していたブラックキューブ。

 それが意思を持ったかのように、各々が規則正しく動き始めた。


「すべてが予定調和だというのなら、僕の好きにさせてもらおう。暴食だけは二度と元の世界に現れないようにしないと。同じ轍を踏まないようにしているんだ。そうしなければ、僕の前にいる君のように新たな力を得て、何度でも現れるからね」

『フェイト、来るぞ』

「わかっている」


 このプレッシャーは、父さんの比ではない。死を司る黒天使には、まだ俺への甘さがあった。


 雑味のまったくない殺気とでもいうべきか。ライブラの表情は未だに変化していないというのに……。


 そのギャップが得体の知れない底深さを俺に印象づける。


「それね。聖刻が戦えと言っている。君はやはり危険な存在だ」


 ライブラの顔に描かれた入れ墨が、真っ赤に輝いていた。

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